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恋愛小説、書けません。/Lesson21:「風邪」

 これはまずいな、と気が付いた時には遅かった。
 いつもならば風呂に入った後はすぐ髪の毛を乾かすのだが、考え過ぎたせいでそのままデスクに突っ伏して眠ってしまった。

 悪寒がする。視界もぼやけている、と言うよりも部屋の物が歪んで見える。
 風邪だろうか? と耀介は手を額に当てると、見事に熱かった。
「参った……」
 滅多に風邪などひかないので、常備薬の中に風邪薬は用意していなかった。
迂闊うかつだった」と耀介は己を責める。これでは小説を書くどころか日常生活すらも危うい。
 とりあえずデスクの椅子から立ち上がろうとしたのだが
「うわっ!?」
 上手く立てずに尻餅をついた。これは相当まずい事になったかもしれないと、若干慌てながらもゆっくり立ち上がり、慎重に壁に手を付きながら寝室まで歩いていく。そしてベッドに倒れるように埋もれる。
 スマートフォンでかかりつけの医者に説明して、昼間に往診の予約を取り付ける。その間、どんどんと耀介を襲う頭痛発熱のオンパレード。どうせ襲われるのならば、小説のネタが多過ぎて困るぐらいが良い、などと馬鹿げたことを考えていた。

 昼過ぎにかかりつけの医者が来た。
「この時期、多いんですよ。風邪。とりあえず注射打っておきますね。それと水分を多めに取って下さい。薬は3日分出しますので、熱が引いたら病院に来て貰えますか? 安静にしていれば2日ぐらいで回復するとは思いますが、念の為に」
「分かりました……」
「あとは栄養ですね。お一人でお住まいのようですが大丈夫ですか? ご家族などに来て頂いて貰った方がいいかと思いますよ」
 人のいい、父より少し若いぐらいの医者に滅多矢鱈心配される。
「うちの息子も菅原さんと同い年ぐらいなんですよ。やはり一人だとね、何かと不便でしょうから。また何かあったらご連絡下さい」
「すみません……お忙しい所」
「これが私の『仕事』ですから、お気になさらず」
 医者は笑顔でそう言いながら、耀介に注射を打った。久し振りの注射は頭で分かっていても、痛かった。

 さて困った。食材は一応買っていたのだが、この状態では料理している間に倒れてしまいそうだ。耀介は仕方なく、メッセージを送信する。
 送信してすぐに電話が掛かって来た。丁度昼休みの時間だったようだ。
『ちょっと大丈夫なの?』
 心底心配しているような女性の声。
「油断していた。自業自得だ。それで申し訳ないが……メッセージの内容の通りだ」
『会社帰りになっちゃうから少し遅くなるけど、今おなか空いてる?』
「いや、全く食欲がない……熱で朦朧としている」
『そう……分かった』
 電話の主は何か考えがあったのだろうか、一瞬言葉を止めた。
『でも、何か一口だけでもお腹に入れてから薬飲みなさいよ。いいわね?』
「ああ、分かった……」
『じゃあ夜ね』
「申し訳ない」
『謝ることじゃないでしょう? 病人は病人らしくしてなさい、じゃあね』
 情けない。誰が言ったのかも忘れたが、人間は一人で生きていけない動物だと。風邪を引いて、初めて一人暮らしが「孤独」そのものであると耀介は思った。
 電話の相手――絢乃へのメッセージの内容は『風邪をひいて日常生活に支障をきたしている。良ければ俺の家へ来てくれないか』。我ながら味気ないメッセージだと思うが、熱に邪魔をされてしまい、それ以上の言葉が浮かんでこなかった。
 絢乃もそんな状態の耀介だから責めたりしないのだろう。手間の掛かる幼馴染だ、とは決して言わない。
 母がいれば、こういう時ならばきっと――。目を閉じて耀介は考える。
 想像の母は笑顔で「大丈夫、大丈夫。直ぐに良くなるわよ」と林檎の一つぐらい切ってくれるのだろうか。小学生の頃、無欠席だった耀介にとって学校を休んだクラスメイトから聞く「母の話」、授業参観に現れる「クラスメイトの母達」をどれだけ羨んだことだろう。

 嗚呼、何をノスタルジーに浸っているんだ俺は。耀介は掛け布団の中に顔を埋めた。


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