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noteを続けて実感した「書く」ことのメリット

noteを始めていつのまにか47記事も書いている。
一昨年ワードプレスでブログにチャレンジしたのに比べると始めやすい、書きやすい。

読んでもらえたら嬉しいけど読んでもらえなくてもいい。そう思って始めたものでも、全く読まれないとちょっと寂しい。その点noteは少しSNS的要素があって読まれるハードルが低い(検索よりは)。

私はいつも500文字とか1000文字とかそんな簡単な記事だけど、書くのはいいと思う理由が幾つもある。

小さな達成感が味わえる

書き終わって記事をアップすると達成感がある。

本来、誰にも読まれなくていいなら日記で十分なのである。でも日記は1つのテーマでまとまって書くわけではなく、書いても「出来上がった!」という感覚はあまりない。字が汚いので自分でも読み返す気にならない。

その点noteだと、万が一、人様がお読みになってもおかしくない程度には文章を整え、始めと終わりをつける。同じようなテーマでまとめておける。写真もつけられる。

1記事でも出来上がればちょっと嬉しい。

日々の家事も仕事も育児もさ、そんな短期的な達成感ってないじゃん。ずっとバタバタで一生懸命何かやってたはずなのに、夜になると「あれ?今日何した?」って日も多い。

そんなときに「今日は1記事仕上げた!」と目で見えるのは嬉しい。

意識的に残したことが残る

当時はつらかった部活や、そうでもなかった出来事でも、写真で見るとすごくイイ思い出に見えることがある。

写真ってカメラに向かって笑うことが多いから、そのイメージが残されるんじゃないだろうか。
育児で大変な時は子供が赤ちゃんだったころの写真を見返す。 眠れないし泣く意味も分からないし当時も大変だったんだけど、とてもイイ思い出に見える。

文章には大いに「その人」が出ると思うんだけど、意識的に良かったことや学んだことに目を向けて書いていくと、その思考が強化されて記憶に残る。

次第にこれから書くネタもいい面に目を向けて探すようになる。するといつの間にかそんな自分に近づいていくんじゃないだろうか?
という期待。

小さなネタに敏感になる

毎日書くのがいいと思う理由がこれ。
日々の出来事やちょっとした思考に敏感になる。

noteに書こうと思うと、そんな忘れがちな小さな出来事もコマメにメモするようになる。(スマホにメモしても何書いたのか分からなかったり、書く紙を忘れ、紙持ったらペンを忘れ、お風呂で思い出してもあがるとキレイサッパリ思い出せなかったり…という調子だけど)
どんな小さなことでも、なぜ引っかかるのか書いてみると意外と深かったりもする。

育児はあっという間だというけど、仕事しててもただ寝てても15〜20年はあっという間に過ぎるんじゃないたろうか。

書かなければ、失われていくことも多い。
例えば1年前に書いたものを読むと、初めて聞いたみたいに「そーうだよねー!」と納得したり、その頃から全く成長してなかったりする。

書こうとすることで意識的に今を生きることにつながると思う。

自分が知らなかった結論が出てくる

書いているうちに、自分でも思いもしなかった着地をすることがある。 思考が整理されるんだろう。
頭の中だけで考えている時はぐるぐるぐるぐる同じところを回っている。書くことで自分の目で見えるので、どこかに着地できるのがとても良い。

私の感覚だと、最初にザッと書けた分量では特に発展はない。私のnoteはそういう日が多い。
「何文字は書こう」「目次をつけよう」などと考えていると、書きながらたまに「ああ、そうか」と思うことがあったりする。

「いい面に目を向けて」などと言ったが、怒ったり悩んでるときほど書くようにしている。

書けなくなった時の自分へ

これから書くことが本当になくなったり、なんで書いてたんだっけ?と思うこともあると思う。

書く内容は何でもいい。 良いと思う人もいればしょうもないと思う人もいる。でも小さな出来事ほど共感する人もいる。

是非これからも小さく小さく書き続けて欲しい。

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