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書籍【あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」習慣】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/4046055545

◎タイトル:あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」習慣
◎著者:原 貫太
◎出版社:KADOKAWA


非常に分かりやすい良本。「世界を正しく見るために、事実ときちんと向き合え」この姿勢こそが大事なのだ。
数年前の大ベストセラー書籍「FACTFULNESS」(ファクトフルネス)に通じるものがあった。
昨今の「SDGs」という言葉に踊らされず、きちんと足元を見ることは本当に大事だと思う。
しかしながら、今の社会では、情報が洪水のように溢れている。
正しい情報を取捨選択しようにも、それを見極めるのは相当に難しい。
その審美眼を磨けということだと思うが、簡単な話ではない。
当然ある一定の知識力が必要だと思う。
しかしそれこそ情報は溢れるくらい流れてくるのだから、必要な知識力がどれぐらい備わっていれば充分なのか。
本当のところは誰にも分からない。
さらに、知識力以外にも、審美眼を磨くための能力を備える必要がある。
その能力とは果たして何なのか?
必要な何かが存在しているのは間違いない。
それが分析力だったり、思考力だったり、想像力だったりするのかもしれない。
目の前の情報を鵜呑みにせず、批判的に考える能力も必要だろうと思う。
経営ではよく言われる、ジョブ理論だったり、デザイン思考だったりも、大事かもしれない。
結局、この能力を持っていれば万能という唯一のものは無いということなのだ。
そして、こんなに沢山の能力を会得することも不可能であるし、そんな万能な人間なんて存在するはずがない。
ついついそんな状態で、思考停止に陥ってしまう。
例えば商品の販売についても、人は選択肢が多ければ多いほど、購入に至る率が下がるのだという。
食品のジャムを、6種類用意した場合と、24種類用意した場合の購入率を比較した実験は有名な例だ。
選択肢が多いと選べないというのは、自分自身でも実感するところだ。
適度な数の選択肢の方が、ターゲットが絞りやすいということであるが、これは「必要とされる能力」という文脈でも当てはまる気がする。
「これからのビジネスマン、特にマネジャー職は、●●の能力を磨く必要がある」
という話を、うんざりするくらい聞かされているが、それではどうすればよいのか。
「結局何をすればいいの?」となった際に、あまりにも会得すべき能力の種類の多さに怯んでしまう。
「SDGs」も実はその一つだと思っている。
「能力の高いビジネスマンほど、SDGsの意識がある」と言われても、日々忙しく過ごしているのに、SDGsの勉強もしなければならないのは、あまりにも負担が大きい。
当然、大切なのは分かっている。
きちんと勉強しなければいけないのも、頭の片隅では理解している。
だからこそ、できる負担を減らすように、SDGsの知識を増やすための社内研修なども行っているが、効果はどの程度出ているのか。
そういう意味でがも、今の時代は特に「如何に考えさせるか」という心と身体の時間を確保することが本当に難しい。
逆に言えば、だからこそ敢えて断捨離して、心身の余裕を持って考える時間を作り出すしかない。
そうでないと、健全に議論して、全体としての最適解を生み出していくことは出来ないのではないだろうか。
ついつい時間に追われていると、「白か黒か」のような二元論で単純化してしまう傾向がある。
答えはそんなものでは出てこないし、当たり前であるが、単純に正解を求めるものでもない。
社会がこれだけ複雑化している中で、1人1人がきちんと意見を持って、それぞれで議論して、最適解を見つけ出していく。
これはどう考えても、時間もかかるし、相当に難易度が高い。
だからこそ、問題が解決されずに棚上げされてきたのだろう。
世界には天才と言われる人たちが数多くいるにも関わらず、この問題を解くことは容易ではないということなのだ。
こんなことを考えると、この複雑な社会を生きていくというのは、本当に難しいなと感じてしまう。
本書に記載されている各項目も、ニュースで見たり聞いたりした話であるが、こうして本の形式でまとめてもらうと、その解像度がグッと上がる。
しかし、本当に解決策は見つかるのだろうか。
衣服ロスの話は、本当に心が痛くなった。
年間50億着が製造されて、30億着が廃棄されているなんて、そんな無駄なことは今すぐ止めた方がいい。
しかもその仕組みは、ほとんどが我々日本も含めた先進国の都合で生み出されたものだという。
この解決は、先進国の我々こそが担うべきではないかと思うが、もちろん簡単な話ではない。
世界の貧困国が今後は経済発展によって、肉食化していくという。
牛肉も豚肉も、人の口に入るまでにどれだけの水を消費しているか。
世界人口は2024年の現在約80億人で、今後100億人までは増加する見込みが立っている。
そうすると、食料不足に陥る訳であるが、同時に水不足も引き起こすというのだ。
数十年先には、毎日毎日100億人の胃袋を満たし、生きていくための飲料水も確保し続けなければいけない。
地球上にある水はほとんどが海水で、飲める水はほんのわずかだという。
今後は水をめぐって、世界で戦争が起こる可能性すらある。
水に恵まれている日本で暮らしていると、世界で水不足が起きていることを感じにくい。
しかし、日本は食用肉についてほとんど輸入に頼っているため、水を相当量輸入しているのと実質同じことになるという。
日本も当然争いに巻き込まれる可能性がある。
そういう事実があるということを認識することが重要だ。
スマホに使われるようなレアメタルが、アフリカ・コンゴ地区での紛争を生んでいる事実も、日本ではなかなか報道されない。
不当な児童労働によって成り立っている先進国の生活がこのまま成立するはずがない。
アフリカの植民地支配はなくなったというが、形を変えて先進国に支配されている状況は変わらないが、いよいよ限界にきているため、何とかしなければいけない。
アフリカと日本を比較しての、絶対的貧困と相対的貧困の話はすごく学びが多かった。
自分自身で正しい情報を得る努力がまだまだだと感じてしまった。
さらに言うと、もし情報を得られたとしても、短絡的に考えてはダメで、そこからどう思考を深くしていくか。
「考え過ぎること」と「深く考えること」は、根本的に異なる。
そこを理解するのは本当に難しい。
「1人」と「孤独」は違う。そして、「自立」と「独立」も違う。
本書内での言葉が深く心に刺さる。
「1人」とは、自分ひとりの状態。(絶対的な一人)
「孤独」とは、周囲に人がいて、そこに入れなくて1人でいる状態(相対的な一人)
そして、「多様な依存先を持つことで、自分らしく生きていけること」が自立。
「周囲との関係性とは関係なく、自分ひとりで生きていくこと」が独立だそうだ。
アフリカと日本を単純比較することはできないが、こうして深く考えていくと、複雑な世界が解像度高く見えてくるから不思議なものだ。
だからこそ我々は勉強しなければいけない。
社会の課題を放っておく方が罪なのだ。
「最も深刻な社会問題は、人々の無関心だ」
これも刺さる言葉だった。
関心を持てば、その物事の背景も勉強しようと思うし、そこに関わる人と議論が必要だと思える。
今のスタンスで無関心を貫くのは、大人としてどうなのか、ということだ。
小さなことでいい。
社会の課題に対しては、自分はどう考えるのか。
それを思考するだけで、もしかすると世界は少しだけ改善されるかもしれない。
その小さな積み重ねが、いつか閾値を超えて花開くかもしれない。
まずは無関心を止めること。
それが大事なのだ。
(2024/5/20月)



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