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【No.17】水の声 水泳部員をぶっち抜く帰宅部員の奇跡の物語

50メートルターンを終えた辺りから異変に気づく。
他のコースに腰から下の足だけが見えるのだ。
泳ぎ疲れたわけではなかった。
その選手達は自分たちの事をそっちのけで俺と鈴木の一騎打ちを見ていたのだ。
息継ぎの時に見えた上半身の姿は、俺と鈴木を応援している姿だった。

そして、それまで以上に怒涛のような声援が聞こえだしてきた。
鈴木は俺の前か? 後ろか? 
意外にも俺は鈴木を意識し始めていた。
俺のこの時からの泳ぎには水の声は聞こえていない。
そうだ。彼女もまた、この一騎打ちを見守っているのだ。

俺は自分にできる泳ぎに必死になっていた。
隣のコースの小松などは相手になっていないほどかけ離れていた。

息つぎの瞬間、その先のコースの鈴木が一瞬だけ見えた。
俺とほぼ同じ位置にいた。
俺が清水式泳法の坂本久美子アレンジバージョンをかましても、鈴木は速い。まさに本物の水泳の選手だ!
俺は自分でも信じられないくらい心がワクワクしてきた。
水泳がこんなにも面白いとは思いもしていなかった。

最後のターン。
俺は水の声のタイミングなしでターンをした。
何度も何度も練習を重ねた結果、俺は水の声がなくてもすんなりとターンできた。
恐らく、俺と鈴木は同じタイミングでターンをし、そして、折り返したであろう。
俺は坂本久美子アレンジバージョンのターンをし、瞬間、水の上に飛び出るかの勢いで、再び水の世界に入った。
水たちがぐんぐん推し進めてくれる。
まるで、手のひらで後押ししてくれるかのように。
腹のほうでベルトコンベアーで運んでくれるかのように、水たちも楽しんでいた。

その時、声が聞こえた。
『小川君! 最後の25メートル!!』
一瞬、水の声かと思ったそれは、新木めぐみの声だった。
その声はまるで天女のように、透き通るようで綺麗な、そしてあったかい声援だった。

それにつられるかのようにクラスの連中の怒涛の声援があった。
それまでの俺は水の声を頼りにしていたせいか、皆の声援に意識を集中したことがなかった。
俺ははじめて全意識を声援に向けた。
『おがわーー!』『いけー!』『まけんなー!』

…俺は水の中で泣いてしまった。
今まで感じたこともなかった、特別な感情がその時あった。

眼下にプールの半分の線が見えた。
残り12.5メートル…俺はそれまでになかった感情を抑えつつ、必死になって泳いだ。

指先を水に溶け込ませるように、腕を水に感謝しながらクロールで水をかき、瞬間、腕を体から離しつつ、水が壊れないように手のひらを水面に出す。
ピンッと伸ばした足のバタ足は、水たちに痛さを感じさせないように、そして、推し進めてくれる水たちを意識しながら。

体を水に託し、少しだけ自己主張させてもらう自分の泳ぎを忠実にして、俺は最後に腕を伸ばし、壁にタッチし、ゴールした。


その瞬間だった。
『綺麗な泳ぎ。ありがとう。あなたに出逢えてよかったわ。』
水の声が俺に語りかけてくれた。

瞬間、俺はすぐさま水に潜った。
俺は水の中で叫んだ。
俺『さよならじゃねぇよな!!』
水の声は答えてくれた。
『また、会いましょう。』

俺は水の中から顔を出し、ホッとしていた。
そして、俺はまたしても自分の順位を知らないでその場にいてしまったのだ。


プールでは物凄い声援とどよめきと…。
何がなんだかわからずにいた。
その時、隣のコースの小松がゴールした。
その他の選手は泳ぎ止めたその場から大きな拍手を送っていた。
俺は自分の順位がわからないまま、どうしていいか分からず、鈴木のコースに自分から進んだ。

隣のコースの小松はとても悔しい顔をしていた。
正直、それはどうでも良かった。
鈴木の隣に行き、俺は聞いた。

俺『俺、何位?』
よくよく考えれば馬鹿な質問である。

鈴木『いや、俺もわかんねぇんだよ』
鈴木もわからないでいた。
今考えれば、お互いにお馬鹿である。

俺達の上にストップウォッチをもった教師二人が並んでしゃがんだ。

教師二人は信じられない顔をしていた。
俺達二人は教師が見せたストップウォッチをみた。

競技の結果は…
0.4秒差で…

鈴木が勝っていた。


鈴木は喜ぶかと思いきや、なんとも難しい顔をしていた。
鈴木『それって、間違いじゃありませんか?』
俺には何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

鈴木『小川の方が速かったんじゃないんですか?』
何を言う、こいつは?

教師は鈴木に言う。
教師A『これは間違いない』
教師B『どうしてそんなことを言う?』

鈴木は突っ込むように聞き返した。
鈴木『俺を…俺の成績を守るためにやってるんじゃないんですよね?』

教師二人はお互いに見合わせていた。
0.4秒の差など肉眼ではわかるはずがない。

俺は正直に鈴木が凄いって本気で思った。
水の声が教えてくれた新泳法でも鈴木には勝てなかったのだ。
俺としては無敵の泳法だと思っていたそれでも、鈴木には勝てなかったのだ。
鈴木には水の声が聞こえてはいない。
自分の実力のみの真剣勝負だった。
そう思うと俺には申し訳ない思いがあった。
俺はつっぱって言う。
俺『勝ったくせに言ってんじゃねぇぞ、恥かかせんな』

言葉は悪かったが、俺は鈴木を守った。
その後、鈴木はどことなくふくれっ面をしていたが、俺は負けを認めた。
その方が、良いと思った。
ゴールしてしまえば、正直順位などどうでも良いのだ。
俺は鈴木と本気で勝負できた。
本当に楽しかった。こんなにも楽しい水泳は初めてだった。
『サンキュな』
小さな声で俺は鈴木に言った。
聞こえたかどうかはわからなかったけど。

この時の結果が本当だったのか、嘘だったのか。
知っているのはあの教師二人のみだった。
鈴木はその結果に納得がいっていなかった。
自分が勝ったのに納得が行かない男も、まぁ珍しい。
本物の男だからこそ、と考えれば当たり前の事かもしれない。

鈴木の勝ち。
俺は鈴木に負けたのだ…
これは、この時に出た結果だった。

この最後の競技には表彰というものがなかった。
突然にできた競技だったからであろう。
表彰状も何もなく、ただ、上位3名が前に並んだだけだった。
俺は2位…またしても新木との約束を守れなかった。
俺はその事で頭がいっぱいだった。

水泳大会は幕を閉じた。
俺は無意識に清水のオッサンのところに行った。
オッサンは拍手で俺を迎えてくれて言った。
清水『さっき、君が泳ぐ前に私に言ってくれた事が最初は信じられないでいたんだよ…』
オッサンは続けた。
清水『実は、彼女との最後の練習の時の話だが、私の泳ぎに改良を重ねたと言って、次回の練習の時に見せると言っていたんだ。』
俺にはその事がなんとなく判るような気がしていた。

清水『その泳ぎを見ることはできなかったが、まさか今日、このような形で見れるとは思わなかった。そうか…そういう泳ぎだったのか。』
俺は聞いた。
俺『あの泳ぎは認めてくれるのでしょうか?』
清水『認めるも何も、あの泳ぎは坂本からの私に対するメッセージだろう。しっかりと受け止めさせてもらったよ。私もあのように泳いでみたいものだ』
清水のオッサンは回りくどい言い方で彼女の新泳法を認めてくれていた。

清水『小川...純…くん』
俺『はい』
清水『ありがとう』
俺『いえ…こちらこそありがとうございました』
清水『君はこの後どうするんだね?』
俺『この泳ぎの事すか?』
清水『ああ…』
俺『ん~…そうっすねぇ。将来結婚して子供が出来たら教えようかな?』
清水『わっははははは!』
豪快な笑いだった。

清水『君の考えは本当に坂本そっくりだな。そうだ、それで良い。私の泳法は君にのみゆだねる。今ここで正式に伝授する。そして、さっきの坂本の泳ぎもだ。』
俺『不思議な教わり方でしたが、お受けいたします』
清水『私の泳法を受け継ぐ者よ、本当に感謝する。素晴らしい一日だった。』
二人で硬い握手をした。オッサンは目に涙を浮かべていた。

水の声が言っていた『覚悟』とは、この清水式泳法を正式に伝授される事を言っていた。

俺は清水のオッサンがプールから見えなくなるまで見続けていた。
その日に知り合ったはずの人。
しかし、もう何年も前から見ていた凛々しい憧れの男の後姿にも見えていた。

つづく

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