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うみが見えなくても、糸魚川

結論

1月2日に、海を見に行きたくなってしまった。

「どうしても」というわけでもなく、ただ「なんとなく」だった。

そして、2時間ほど糸魚川へ車を走らせた。

結果として、海を見ることはできなかった。

今回は、そういうお話。暇な人には読んで欲しい。

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はじめに

私は、海の無い長野県に生まれ育った。

中信地区のデカめな都市にある、有名な病院でオギャった。そこから1時間くらいにある大町市で育ってきた。現在は、上田市の8畳アパートにひとりで住んでいる。自炊はしていない。部屋には本が散乱している。

かわ

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海の無い長野県でも、川ならたくさんある。

川遊びも、しようと思えばできた。でも、そんなに明るい子どもではなかった。川の音を聞いて黄昏たり、橋の上で叫んだりするくらいだった。

みずうみ

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小さい頃から、一番近い海は諏訪湖であった。

TVで見る、沖縄の海みたいな「エメラルドグリーン✨」ではなく、ふつうに汚い。期待していても汚い。藻も浮いている。それに寒い。そして汚い。普通に汚い。遠くから見るとキレイそうだが、寄ってみれば見るほど、汚い。どれだけ期待していても、その期待もむなしく、汚い。

それでも、水面が波打っているのを見て、聞くのが、好きだった。

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波は数秒間に1回、ほぼ同じ間隔で訪れる。ただ、波形は何一つとして同じものがない。遠くから見たら全部同じにしか見えないけれど、近くに寄ってみるとひとつひとつが違う、そんなところが好きだった。今も好きだ。

うみ

大学生になり、車をお下がりで手に入れたため、行こうと思えばいつでも好きな海に行けるようになった。

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これは、傷心旅行で訪れた東尋坊。自殺スポットのような印象が未だにあるが、現在は普通の景勝地&観光地となっている。しかし、自殺を止めるための「いのちの電話」なら本当に置いてある。

「傷心旅行で東尋坊に行った」と人に言うと、「大丈夫?」と1ミリくらい心配してそうな心地で聞かれる。正直言うと、全然落ち込んでなかったので、ネタにするために行った。この世で自分に降りかかる全ての不幸・失敗・挫折は、ネタにして友達に面白おかしく話すために起きているのだと、大学2年の夏にやっと気づいたのだった。

2021年、正月の昼下がり

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さて、ここからやっと本題である。

「どっか行こーよ」という父に対して、私はそこまで乗り気ではなかった。

しかし、「糸魚川とか、行っちゃえば?」と母が言った。

「あー... 海、見たくね?」と、私は言った。

そんな一言で、20分後には出発していた。

期待は裏切られる

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道中、白馬村を通過した際の様子だ。

見事にまっしろである。ビッケブランカもびっくりだ。

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小谷村のローソンの様子。除雪車はフル稼働し、忙しなく轟音を立てている。

この時点で、母がこう言い出した。

「これ海どころじゃなさそうだね」

全く以ってその通りである。

ここから山を越えて糸魚川へ出たところで、海が見えるわけがない。山の間だけ雪が降っていて、それを超えれば晴れやかサニーデイ☆ミなんてことはありえない。山を越えてもどうせ雪が降っている。県境の長いトンネルを抜けても、そこは雪国である。依然、変わりなく。

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そうこうしているうちに、糸魚川駅に着いた。

ドン曇りである。しかも、出発地より雪が積もっている。路面はベチャベチャで、凍っているところもあり、歩きづらい。靴も濡れる。

うみがみえなくても

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出発するまえは、↑こんな感じのキレイな海が見たかった。

しかし、実際はこうであった。

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海はほとんど見えない。というか、海岸にも入れないので、波の形を確認しようもない。期待は簡単に裏切られる。

そんなときに、よく思いだす言葉がある。


――――――

「ここに雷雲が垂れこめている。

しかしそれが、われわれ自由な、軽薄な、陽気な精神が

楽しい一日を過ごしてならない理由になるだろうか?」

(ニーチェ全集第十巻 pp.268 白水社)

――――――

ドン曇りだから、綺麗じゃないから、海が見れないから、つまらないから、なにもないから。そういった理由があるからといって、その場をつまらなく退屈そうに過ごすのはもったいなすぎる。

つまらない仕事を、つまらなそうにする。つまらない場所で、つまらなく過ごす。曇りの日に、心まで曇らせる。悲しいときに、ずっと悲しいままでいる。落ち込んだままでいる。

これらに、いったい何の価値があるというのか。

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海が見れないなら、陸に目を向ければいい。

糸魚川駅には、面白い物がたくさんある。走っていないディーゼルカーに乗ることもできるし、隣接したひすいミュージアムでお土産も買える。ちょっと高いが、買おうと思えば本物のヒスイも買える。

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☝やたらに押しが強い。

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プラレールが好きな人であれば垂涎物の空間もある。なんか懐かしい車両がいっぱい置いてあるらしい。

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駅から少し離れた所に、「大町」という名の標識がある。故郷と同じ名前なので、ちょっとうれしい。糸魚川に来たら絶対に見るようにしている。

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そして糸魚川には、温泉もある。

難しいことはあえて書かないが、けっこう強烈な温泉であり、アブラ臭がする。そしてしょっぱい。そのおかげで、とても体が温まる。こういうしょっぱい温泉が大好きなのだが、いかんせん長野県には少ないので、非常に助かる。露天風呂は寒くてぬるかったが、期せずして雪見風呂を味わうことが出来た。今までたくさんの温泉に入ってきたが、2021年、初めての温泉は、新潟県糸魚川市・高張性の塩化物泉で雪見風呂であった。こんなのは20年生きてて初めてだった。

おわりに

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みんな当たり前に、明日の朝が来ると思っている。

来年も再来年も、同じように過ごしていると思っている。

しかし、そんな期待は簡単に裏切られる。

人は簡単に死ぬ。災害で死ぬ。自分への恨みつらみを持つ人に刺されて死ぬ。寝ている間に火事で死ぬ。飛び降りて死ぬ。病気・疫病で死ぬ。自動車事故で死ぬ。心臓発作で死ぬ。くも膜下出血で死ぬ。多臓器不全で死ぬ。殴られて死ぬ。おぼれて死ぬ。ヒートショックで死ぬ。これら以外でも、ぐうぜん死ぬ。

つまらなそうにしたその日、寝ている間に死ぬ。かもしれない。

というわけで、つまらない時につまらなそうにしている理由はない。つまらなくしているその日のうちに死ぬかもしれない。だからこそ、面白くしなければならない。時々これを忘れそうになることもあるが、なるべく忘れないようにしたい。

海が見えないなら、陸を見ればいい。雨や雪が降っているからといって、出掛けては行けない理由にはならない。悲しいからといって、笑ってはいけない理由にもならない。辛いからといって、死ななくてはならない理由にもならない。期待を裏切られたからといって、嫌わなくてはならない理由にもならない。人と違うからといって、排斥しなければならない理由にもならない。自分がふつうだからといって、周りの普通じゃない人を憎まなければならない、そんな自分を嫌わなければならない理由にもならない。

そんなことをぼーっと思い浮かべている。

もう日が暮れてしまった。 




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