えみこも、師匠になれるかしら。
本日もお目通しくださり光栄です。京都のロックな霊媒師 西陣の拝み屋 えみこです。
本日4/14(金)は神奈川営業中日、ご予約は満了です。近々の予約受付は4/17(月)対面デーから、ご予約お待ちしております。
本日は長らく楽しみにしていたキリスト教の師匠カテキスタのA先生にお会いする日。えみこは7年前京浜東北沿線にあるこの教会にキリスト教を学ぶために2年くらい通っていました。いま考えても無謀でしかないのですが、当時大口という駅にあるカフェに週3日常駐しておりまして、そこの依頼人の絡みでどうしてもイエスキリストという神様と話をする必要が出てきました。こんなとき、優秀な霊能者なら難なく話せるのでしょうが、えみこは違います。その神を知り、背景を知ることでしか聴こえない聲がある。そのため、意を決して教会の門を叩くのです。

たのもー!(おい!

◯専業主婦からベテランカテキスタになった師匠◯

師匠とお会いした際「なぜキリスト教を学びたいのか」と問われました。さあ困った、説明のしようがない。しかも教会内、完全アウェイ、師匠の後ろには十字架に磔にされたイエスが見える。
(試されておる汗)
そんなことしか脳裏をよぎらない。しかし、嘘はつけない。真意を精一杯わかりやすくアレンジしてご説明さしあげる。なんだこれ、なんの罰ゲーム?説明を終えたわたしに師匠は一言、
「わかりました、貴方は普通の学びとは違うようです。わたくしもしっかりやらなければ。ではまず、歴史からお勉強しましょう」
そうおっしゃり、分厚い本を出されました。そこには世界史で見るような年表が。そして、「次回からこれを学びます、聖書云々の前にまず成り立ちから。それが一番重要です」と、あたまがクラクラするようなお話をされました。そして一言、
「ところで貴方、事務室のコピー機動かせるかしら?わたくしね、全くわからないのよ。若い方だからわかるかと思って」
多分当時師匠は70代、えみこは50手前。確かに師匠からみたら若いけど、まったく若い人感ゼロじゃん、な本人。数分後電気のつけ方もわからない事務室で一人、ガー、と無言でコピーするえみこがいたことは言うまでもありません。やっぱ、試されておる。

◯忘れられない師匠◯

こんなキャラのえみこなもんで、簡単に人に師事しません。教わりはしますが、それは師事ではない。師事とは教えとその精神を受け継ぐことやと思っている。だからこそ、「精神の伝承無理」となったら潔く師のもとを離れてきました。だからこそ離れるときはお別れのとき、しかし、A先生との最後はそうじゃなかった。二拠点の往来が始まり、体力気力が限界に達し、さらに移住の目処も立たなかった時期。ついにぷつりと切れた日があり、講座を体調不良で欠席したのです。その後バタバタと移住が決まり、お会いできないままになってしまいました。それはずっと心残りだった。ところがこの春、ある生徒さんから通詞の依頼を受けました。オンラインの通訳後、故人の方の通詞書をお送りする準備中、ふとメッセージが降りてきました。
「あの子を、貴方の教会に」
なんだかわからないけれど、そんなイメージ。ああ、ご本人がいいならA先生に託そう、そう思ったのです。その旨を同封の送り状に記載した気がします。ご本人からわたしの紹介と書き添え教会に連絡を入れた旨の報告が入り、わたしは7年ぶりで師匠にメールを入れ「よろしくお願い致します」と門徒を託したのでした。

その後、師匠から音信はありませんでした。生徒さんの開講日が決まっても、授業が始まったという報告が来ても、師匠から連絡はなかった。ただ、授業報告をくれた生徒さんから、わたしが再婚したことを師匠から確認された、と聞いて、メールをお読みになっていることはわかった。行きがかりとはいえ、不義理したまま京都に出た身、覚えていてくださるだけでもありがたい。そう思っていたころ、急に師匠からお電話がありました。まあ、ビビった、正座して電話を受けた。
「こちらにはもういらっしゃらないの?お会いしたいのよ」
そんな意外な申し出に「行きます!来月!どちらに伺いますか⁈」と叫んだことはいうまでもありません。

そんなこんなで、朝ごはんがコンビニフルーツのリンゴしか喉を通らない朝(中里依紗さま御用達女優飯で有名なやつ)。7年ぶりに古巣教会の門を潜ります。憧れの師匠、わたしが何度か生徒さんたちにお話する程、大好きな師匠。そして、アーメンの神から言われているとあるメッセージを確かめに。
なんかなー、これ、また思うんかなー。

試されておる(イエス!高◯クリニック)

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。