ものづくりの源流

2月が誕生日です。29歳になります。

誕生日とか記念日とか、自分のものでもスルーしがちだし、酉年らしくバタバタしているタイプなので、
「今何歳だっけ」「一年前何してたか全然覚えていない」となる自分ですが、30歳までの一年間はさすがに…さすがに意識してやりたいことをしていく年にしたくて、書きます。


わたしは今、Webデザイン・Webまわりの仕事をしています。

学校でデザインやITを専攻したわけでもなくたまたまこの仕事に流れ着いたタイプだけれど、「辞めてぇ!」と冗談で思うことはあっても楽しんでできている。
暇があればサイトを見て、メディア記事を読んでニヤニヤしているような人間です。

もともとものづくりに苦手意識があった自分がなぜものづくりの仕事を楽しくしているか、30歳になる前の節目として、そして仕事を始めて一年の締めくくりとして、来年一年突っ走るためにも言語化しようと思う。

いつも通り長いです。自分のための手記なので。時間の無駄になってしまうから、この先はわたしのファンだけ読み進めてください(この世にいるなら)。

ものづくり・表現の源流

物事つく頃から、ずっと絵を描いている子どもだった。あまりに描くものだから親に「絵の教室に通う?」と誘われたのが3歳になる頃。
その時瞬発的に「絵じゃなくて、ピアノをやりたい」と答えた。

幼稚園の先生がはじくピアノを、ちょうど鍵盤くらいの高さから見ていた。指に押されてポコポコと沈む鍵盤を綺麗と感じたのが、ピアノを習いたいと思ったきっかけ。

その時の風景や、親に言った言葉すべて、不思議とはっきりと覚えている。

すぐに体験教室に連れて行ってもらった。
色々な楽器にふれて、体を揺らして踊った。その時にもらった、ピアノの先生が色画用紙で作ったひよこちゃんのカードは今でもディティールまで思い出せる。ピンク色で、折り目に沿ってぱたぱたと動かすとくちばしがパクパク動くのが好きだった。

ピアノの先生は基礎より自由な表現を教えてくれる人で、わたしは音楽から表現することの楽しさを覚えたし、良くも悪くも表現しないと生きていけない人間になった。

それから余談だけど、この3歳の頃に音楽を通して出会った友人たちと未だに毎年会うような関係でいることも、「音楽がわたしの人生のもと」と言っても過言ではないくらいの大きな出来事に感じる。

音楽と絵と言葉

表現にもいろいろな方法があると思う。喋ることも、歌うことも、絵を描くことも、スポーツだって一種の表現だ。

わたしはその中で、「音楽」「絵」「言葉」を通して表現を育てていった(どれも見事にハンパな仕上がりなのが残念)。

ピアノを習いながらも、絵を描くのをずっと続けていた。それこそ高校生とかになるまで、友人たちとお題を出して描いたり、交換したりしていた。

当時親に買ってもらうものといえば必ずコピックだった。安くはないコピックが、誕生日には何本ももらえて増えていくのがうれしかった。

もう絵もコピックも一つも残っていないけど、今でもApple Pencilが手元に回ってきたりするのはまるで「描けよ」と言われているよう。何の縁かな、と感じる。


同時期に、本が好きになった。

父親は蔵書家で、本棚には経営の本から歴史小説、絵本やことばの成り立ちの本などいろいろな本があった。
幼稚園の頃から父の部屋に入っては、意味も分からないのに「金持ち父さん貧乏父さん」「三国志」「ことわざ4コママンガ」などをずっと読んでいた。
父は誕生日プレゼントに本を贈ってくれるようになった。
ミヒャエルエンデの「はてしない物語」の装丁は子どものわたしの目にも美しかった。しっとりした手触りの赤いハードカバーが光に当たるとキラキラして。今でも宝物(ちなみに読了してない)(なんで???)。


読むのが好きになると自然と書くこともするようになる。そんな感じで、読書感想文で表彰されたり、卒業生代表で答辞を書いて読むなどした。

ちなみに答辞の冒頭の一節は、「同じ窓から見てた空」。コブクロが2005年にリリースした名盤「NAMELESS WORLD」のアルバム収録曲のタイトルだった。
同盤には「桜」「ここにしか咲かない花」も収録されていることからもわかるけど、うなぎ登りもいいところ、コブクロが絶頂期のアルバム曲。

https://open.spotify.com/track/4j7OLcS5H7RtTsPpbEihvQ?si=ilwaQ1k0Ro-6TA9vhwB_Eg


冒頭のここ、「見てた」じゃなくて「見ていた」ね。

と先生に赤ペンを入れられたが、ニコニコとガン無視して「見てた」と読み上げたわたしはやはり表現にこだわる人間だったんだなと今振り返ると思う。

高校・大学は文学を主に学び、夏目漱石がバイブルとなった。

表現するたび心が折れる

大学時代は週8(週7じゃなく、週8)で部活に励んだ。中学からなんだかんだ続けていた吹奏楽を本気でやりたいと思い、吹奏楽が強いからという理由で県外の大学を選んだ(!)快諾した親も親だと思う。

バスで10時間以上揺られて青森や福岡に大会に出たり、台湾の音楽祭に演奏旅行に行ったりした。

この頃は表現する中で悔しい思いをたくさんした。みんなガチだったから。

100人ほどいる部員の中から、大会に出られるのは半分ほど。オーディションによって決められる。
自分の表現に明確に「ダメ出し」されるわけだから、悔しくて泣いたこともある。20にもなって。

この頃「あーつらいな」「上手い人がゴロゴロいるんだ」と、自分の表現力に自信が持てなくなっていった。

絵も同じで、出会いが増えるたびに自分より上手く、没入してものづくりをする人を目の前にして、「わたしは表現することやものを作ることは苦手だな」と感じ始め、表現から距離を置くようになる。

22歳。遅かった。

人と話すこと

大学〜社会人は人前で話すポジションに就くことが多かった。
とくに希望を出していなかった総合職では営業に配属され、家を売る仕事をした。

ものづくりじゃなくて、ここで一度営業を経験できたのはかなり大きい資産だと今になって感じる。
人と話すこと、引き出すこと、コミュニケーションの取り方。ビジネスマンとしての基礎を教えてもらった。未だに一番難しく、最も大切に感じる部分。

この仕事はずっと続けたいと思いながらも、気づいたら転職していた。
怖いもので、何故か導かれるように家をつくる方にまわって、ひたすら作ったり書いたり現場にいったりした。

なんか知らないけどWebを仕事にしていた

その後結婚・子育てを経て、住宅の仕事を再開しようとするも仕事内容、時間、スキルアップの観点から断念。
何かないかと探した時にWebが目に入った。そのまま気がついたら今に至る。

もともと親もそれ関係の仕事をずっとしてきて、身近で見ていたせいもあるかもしれない。
信じられないくらい箱!みたいなWindowsを立ち上げてはイラストを描き、Wordで架空のチラシを作っていたし、高校時代は「ホムペ!」でホームページを作っていた(なつい〜〜!エモい〜〜!)。

でもやっぱりきっかけは音楽と絵で育てた「表現したい!」の気持ち、0から1をつくる面白みと今の仕事が共鳴したんじゃなかろうか。書いてて思った。

それからこの仕事、Webはあくまでも手段であって、最も重視されるべきは「言葉」と、それをどう伝えるかの「営業」の要素だと思う。

Web(というかデザイン)はそれらを掛け合わせたようなツールで、わたしの経験してきたこととぴったりと沿っている。だからハマって、楽しくできているんじゃないかなと。物は言いようだとも思いますが。自分としてはものすごく腑に落ちた。

(あとたぶん言葉が好きじゃないととコーディングは好きになれないとわたしは思うので、そういうところもね)

noteやTwitter、その他色々な場所で週2くらいでは気づいたら文章を書いてしまっているし、絵・言葉とは今も深く関われているのが今さらながらなんだか嬉しい。

心折れてからの方が、表現が楽しい

先述の通り、20代前半で表現・ものづくりへの自信はボッキボキに折れている。

周りがすごいから。わたしは好きだけど下手だから。喋る方が向いてる気もするし、もう手放そう。

そう思っていたけど、また自然と戻ってきて、その上で感じること。

もう挫折してるから、なんも辛くない。

正直、辛いと感じるのは体力的な問題と、コミュニケーション的な部分しかない。

たとえば出したデザインにダメ出しされても、わたしは全く平気なタイプ。
AとB二つのパターンを出してどちらが選ばれても、「こっちの方がよかったのに!」とはならないデザイナー。

こだわりがないのかも?と不安視したこともあって周りにも話したけど、「そういうデザイナーも必要」と言われてまあこれでいいかとなりました。

大事なのは自分の表現したいように表現することじゃない。プライドも時には邪魔になる。

「同じ窓から見てた空」を、「同じ窓から見ていた空」と訂正すべき時もあるということ。

既に己の表現をダメ出しされ尽くし挫折してるから、誰に何を言われてもなんとも思わないというか、精神がすり減りがちな制作業も楽しめているのだと思う。

何より、クライアントやディレクターの意見を取り入れて、自分一人ではできないもっといい物ができる過程が楽しい。
「すごいなあ、自分が作ったみたいには思えないや」ってなることも。他人事っぽいけどそうは思ってないです。

散々没頭して、次に泣くほど挫折して、そうして今の仕事にたどり着いた道筋は、遠回りでもなんでもなく自分にとっては必要だったことなんだろうな、と肯定できます。

まして、表現が自慰に終わらず、一人でもこの世の誰かのためになること、たまに「すごくいいデザインです!」なんて褒められ、感謝されてしまうこと。お金までいただいていいんですか!なんたる幸せ。

幸せな仕事を持ったなあと、30を目前に昔の自分には感謝を伝えたい。

好きを仕事にする必要はないしそれだけが幸せとは思わないけど、仕事を通して幸せを感じられるのはわたしにとっては有難い。
この感謝は仕事で返していく。

と同時に、自分の良い・好きと思うものを突き詰めて表現していかないと腐る側面もあるので、バランスよくやっていきたいものです。


帯を締め直して、明日からもやっていきます。

この記事が参加している募集

つくってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?