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休職日記62

3月最後の日だ。
1月の終わりに休職しはじめたから、丸2ヶ月経ったことになる。

この2ヶ月のあいだに、わたしはどんなふうに変わって、何が変わらなかっただろう。


休職し始めのころは、とにかく動けなくて、眠くて眠くて、仕方なかった。
毎日のように泣いていた気がするし、それは大げさだと振り返る自分もいるけれど、たしかに苦しい時間があった。


苦しくて苦しくて、来る日も来る日も、生きていることをやめたい、生きていることを今この瞬間で終わりにしたい、と思っていた時間があった。


そう言う気持ちをひとりで抱えきれないで、涙と一緒に、同居人氏たちに聞いてもらっていた時間が、たしかにあった。


あれから2ヶ月経って、最近はやっと、動けるようになったし、生きていたくないは、ボリュームが小さくなった。


まだ完全になくなったわけじゃない、と思うのは、そう思いたいからなのかもしれない。


双極性障害、という病気が、どこか、自分のアイデンティティの一部になってしまっているのかもしれない。
元気になったらどうしよう、と思うことまで、ある。


元気になるのはいいことなのに、元気になろうとすることをどこかで怖れている自分がいる。


それは、元気になったら、社会と自分が対峙しなければいけないからで、対峙する勇気が、今の自分にはないのだと思う。


病気だから、障害があるから、と言って、社会から目を背けている。
正直に言うと、今の自分は、そういう状態なんだと思う。


社会と対峙するのが、とても怖い。
上手にできない、と、ずっと昔から思っていた。
上手にできないとダメだから、上手にできるように、なんとか必死に頑張っているのだけれど、それは人の目にはうつらない。
水面下で必死に足をもがいているけれど、水から上に出した顔は「ふつう」を取り繕っているから、誰の目にもわたしは「ふつう」に見えているはずなのに、わたし自身が、わたしのことを、「ふつうに足りていない」「いつか化けの皮が剥がれる」「ふつうの人はこんなことで傷つかない」「だからわたしはふつうに満たない」と、ずっとずっと思ってきた。


この、「ふつうに満たない」という感覚が、わたしを社会に対峙させることにブレーキをかける。
とても怖い。怖いのだ。わたしはふつうに満たないから、社会というものが、とてもおそろしい場所に思えてしまう。


だから、今、双極性障害という患いを理由に、社会から目を背けている。
足踏みしている。


キャリアアップとか、スキルアップとか、そんなことの以前に、ずっとずっと昔から、働くことが怖かった。
学校に行っていた学生の時は、学校が、怖かった。


わたしは、「社会」というものが怖いまま、大人になってしまったのだと思う。


たまごが先か、鶏が先か、じゃないけれど、病気が先か、社会が怖いと思う気持ちが先か、自分でもよくわからない。
だけれども、この根強い「恐怖感」が、わたしの選択肢を狭めているのは、間違いない。


今はまだ怖い。今はまだ怖いけれど、きっとずっと「ふつう」に届かないのだけれど、それでもなんとか生きていけるようになりたい。


生きていたくない、から、ここまで考えを変えることは、できた。
ここから先、この「怖い」とどうやって仲良くなればいいのかを、考えなきゃいけない。


払拭できないこの怖さ、いつか晴れるだろうか。
晴れたらいいなと思う。
3月の終わりに、そんなことを思ってみる。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい