休職日記54
週に1回の通院日。
昨夜の重たい気持ちを引きずったまま、目が覚める。
重たい気持ち引きずったままでも、朝のルーティンである食器洗いをしていると、すこしこころがおだやかになる。
水をジャバジャバしていると、すっとする気がする。
おはよう、おはよう、と声をかけ合って、同居人氏2の朝ごはんを見るともなくぼんやりとする。
シャウエッセンが食べたい!
と言うので、お湯で3分、ゆがいて出す。
昨日の残りのごはんと、昨日の残りのお味噌汁と、シャウエッセンと、たまごと、キムチと、塩昆布と、と、なかなかに塩分高めな朝食をもりもり食べて、同居人氏2は元気よく出て行った。
同居人氏1は、どうやら朝方まで仕事をしていたらしい。
朝方までこうこうと光るパソコンに向かっている姿を、同居人氏2が目撃していたようで、教えてくれた。
それを知っていたので、なるべく起こさないように、と思いながらダイニングでジャージャー水仕事をしていたのだけれど、なんやかんやで起き出してきた。
まだ寝てなよ、と言うものの、仕事がある、と言われて、年度末の繁忙期たるや、恐ろしいものだなあと思う。
起き抜けに、
お菓子が食べたい…
と呟く同居人氏1。
わが家のお菓子袋をがさごそして、チータラをチョイスしていた。渋い。
疲れてる時はお菓子が食べたくなる気持ち、わかるなあと思いながら、同居人氏1にコーヒーを入れる。
カフェイン最高!
と叫んで、早々にまた自室に戻ってゆく同居人氏1。いくら在宅勤務とはいえ、最近本当に働いてばっかりいて、とても心配している。
同居人氏たちがそれぞれに散らばると、わたしはなんだかぽっかりした気持ちになって、また、ぼんやりしてしまう。
どうしても自分を責める言葉が止まなくて、それを振り払うように、なんとかお風呂に入った。
そうして外出の準備をしたのに、ぱたりと動けなくなって、結局今日も、一駅先のクリニックまで、タクシーを使って行った。
どう考えてもお金がもったいないのだけれど、どうしても駅まで歩く・電車に乗るの2つが、できる気がしなかった。
いつものクリニックに到着すると、少しほっとした。
ぼんやりしながら1時間ほど待って、先生とお話する。
なにがあったわけでもないのに、昨日の夜から唐突に気分が落ち込んでおり、生きていたくないと思っていることを話す。
すると先生は、
それは、考え方とか性質とか生き方とかそういう問題じゃなくて、病気だからそうなるんですよ。
と言ってくれた。
昨日から自責の念が止まらなかったわたしは、
ああ、病気だからなのか。
と、とてもほっとした。
こんなに良い環境にいて、それでも生きていたくないと思ってしまうなんて、自分はなんて怠惰な人間なのだろうと思ってしまっていたから、先生の言葉は、それをまるごと受け止めてくれるようなものに、感じた。
ほんとうなら、いま◯◯さんがいる環境がこんなに良くなければ、入院してもおかしくないんですよ、と言われて、ああ、そうなんだ、まだわたし、全然元気じゃないんだなあと、思った。
そう思ったら、どこかでほっとしている自分がいて、散歩に毎日行きたいのに行けないとか、もっと活動的になりたいのにできないとか、そういうことを許してもらえたような気がして、肩の荷が降りた。
それにまだ、2ヶ月しか休んでいないでしょう。
もっと長い目でみて、もっとたくさん休んでみて、そのあとのことは、それから考えてみるのはどうでしょう。
と、先生に言われて、あれ、まだ2ヶ月しか休んでいないんだ、と、思った。そして、ああ、自分はなんだか焦っていたのかも、と思った。
はやく元気になりたいなあ、が、いつのまにか、はやく元気にならなくちゃ、に、なっていたのかもしれない。
そうですね。そうします。
と答えて、診察室をあとにした。
昨夜からの胸のつっかえを話せたからなのか、帰りは、電車で帰ってくることができた。
久しくできていなかった、「スーパーでの買い物」も、することができた。
家に帰ると、仕事中の同居人氏1が、おかえり、と言ってくれた。
そうだ。わたしは、ゆっくり休もうって思ったんだ。散々あがいたけど、どうしてもうまくできないから、もう一旦、ちゃんと休もうって思ったんだ。
忘れてた。
ちゃんと思い出そう。
休んで、自分を少しずつ、取り戻すんだった。
いま散歩できなくても、1年後には、ふつうにできているかもしれない。
スーパーへの買い物だって、へっちゃらかもしれない。
家のことをやっても尚、ちゃんと気力が残っているかもしれない。
そういう自分を、自分の手で取り戻すために、周りに甘えさせてもらって、ゆっくり休むんだ。
おかえり、と行ってくれるこの場所で、自分を少しずつ取り戻すんだ。
そんなことを、思った。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい