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大人だってさみしい(復職日記23)

最近、同居人氏2がふと、「さみしい」と口にするようになった。


私たち3人は、どちらかというと全員インドア派で、何よりわたしは寝るのが大好きなタイプだ。


同居人氏1は、大好きなトカゲちゃんたちのお世話をしたり、添い寝をしたり(なぜかとかげちゃんと一緒に寝る時は寝返りをうたない、同居人氏1の謎の特技)、トカゲちゃんたちの動画を黙々と作っていたり、こちらもインドア派。



対して同居人氏2は、基本テレビ大好きっ子ではあるけれども、外に出るのもやぶさかではなく、まだわたしが元気だった頃(病気が本気で悪さしてくる前)は、よく同居人氏2の行きたいところに出かけたものだった。



3人で行く時もあれば、同居人氏2とわたしの2人で出かけることもよくあって、けれど考えてみれば、コロナが始まった頃にわたしも調子を崩したから、かれこれ2年、3年くらいは、まともにお出かけしていない気がする。


それでも休職中は、なんやかんやと少しは「外出」というものをしていたけれど、復職してからはそんな元気もまだなく、休みの日はとにかくお気に入りのソファのうえで、布団にくるまって、眠ったり、ゲームをしたり、本を読んだりしているのが精一杯なのだった。


同居人氏2は、仕事柄あちこちの街にに行くので、それで外出欲が満たされるかといえば、そうでもないらしい。
テレビを見てわはは、と笑っているので、それなりに休日を楽しんでいるのだなあと呑気に思っていたのだけれど、どうやら、少しずつ、さみしさが堆積しているようだった。



だったら良い大人なのだからひとりで出掛ければいいじゃない、と思う自分もいる一方で、元気だった頃はもっと色んなところに一緒に行って遊んでいたのになあ、かわいそうなことをしてしまっているなあ、と思う自分もいる。



3人が3人とも、何故だか気の置けない友人というのはお互いである、という有り様なので、誰か別の友人を誘って出掛けよう、という気にもならない様子だった。


ここがわたしの悪い癖なのだけれども、「さみしい」とか、「困ったな」とか、「かなしい」とか、「つらいなあ」とか言われると、なんとかわたしが解決できやしないものだろうか、と、もやもやしてしまうのだ。



だから、同居人氏2が最近「さみしい」と漏らすことについて、すごく気になってしまって、考えてしまう。
そこで同居人氏1に相談するも、同居人氏1はどっしりと構えているタイプなので、でもあの人も昼寝するの好きじゃん、テレビも好きだし、出掛けようかなとか言って結局家にいるし、だから多分、家に居るの好きなんだと思うよ、とのこと。



それを聞いて、それもそうか、と思う自分と、でも、さみしいはつらいよなあ、さみしいは、あるよりはないほうがきっと良くて、それなら何かやっぱり、わたしにできることはないのかなあ、と思ってしまう。


大人だって、さみしい時はあるのだ。
せめてもの救いは、同居人氏2が、「さみしい」を「さみしい」と、素直に口に出して言ってくれたことだ。
抑え込んだままでいる「さみしい」は、溶けてなくなればいいけれど、体に悪さをするような、モンスターになってしまうこともあるから。


今の体調のわたしにできることは、いってらっしゃいとか、おかえりなさいとかをちゃんと言ってあげることと、一緒にテレビを見てみることくらいかなあと、思った。


次にお休みが同じになった日は、一緒にテレビ見ない?と、聞いてみよう。
でも同居人氏2は気分屋でもあるので、え、別にいい、とも、言いそうだ。
それはそれで良い。さみしいは、あるよりないほうが、きっと良いことだから。

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