復職日記46

となりの部屋では、同居人氏1と2がゲームをやっている。ポケモンの、新しいやつ。
同居人氏2がやっていて、それを同居人氏1は見るともなく見ている。途中で邪魔をしている。
2人は明日からひらく株式市場の作戦会議?をしている。よくわからないけれど、がんばれ、と思う。


夕飯は、わたしが明日から仕事初めなので、豪華にしてくれた。
お寿司と、からあげ!
どちらも3人の大好きなもので、お寿司とからあげの豪華共演に3人ともおおお…と唸り、箸をすすめた。


箸をすすめたのだが、もう思ったより、3人とも食べられない。
加齢ってやつである。
目が欲しがっているのに、お腹はいっぱい。
明日のお楽しみだね、ということで、残ったものをお皿に取り分けて、きれいにしまう。
3人とも、昔だったら全部平らげてた。
月日の積み重ねを感じる瞬間だ。


なんだか2人が言い争いをしているが、すでにケタケタ笑っている。
同居人氏1は足が冷たいのに素足がデフォルトなのだけれど(靴下をはきなさい)、その冷たい足を同居人氏2にくっつけて遊んでいる。
冷たい足!と、同居人氏2がひゃあひゃあ言いながら、同居人氏1に言い放っている。
それでもしつこい同居人氏1はやめない。とにかくしつこいのが持ち味だ。


わたしは、実家に電話をした。
あけましておめでとうの挨拶をして、弟の近況なんかを聞いて、渡したプレゼントのお礼を言われて、おばあちゃんの今後の話をして、電話を切った。


電話を切って、ぐっさり、傷ついてる自分に気がついてしまった。


あれ、なんで傷ついてるんだろう。
どうして傷ついているんだろう。
どうして涙が出そうなんだろう。


それは、お父さんの口からも、お母さんの口からも、わたしの病気の話が出なかったからだ。


LINEでは、言ってくれてた。
前もそうだった。
前に病気だって伝えたときも、そうだった。


文章では言ってくれる。
でも、言葉で、その声で、わたしの病気について話題にしてくれることは、お父さんも、お母さんも、ない。


なんて言っていいかわからないんだと思う。
話してるわたしが元気なわけだから、わざわざ掘り起こして話すのもなあ、ってことなのだとも、思う。
それか、よくわからないけれど、大丈夫そうだなあって思っている、とか。


そうなんだ。
いつもそうなんだ。
文章では言ってくれる。
でも、わたしは、ほんとうは、その声で、言ってほしい。


体調はどうなの?



このたった一言だけを、心の底から、求めている。
お母さんの口から、お父さんの口から、このたった一言を聞きたいがために、わたしは、手紙なんか書いて、何度となく自分の状態を伝えてきた。


文章で受け止めてくれているのだから、いいじゃない。
そうだ。そのとおりだ。
でも、わたしの中の小さなわたしが、泣くんだ。



どうして、何事もなかったかのように接するの?
どうして、わたしの病気のこと、触れないの。
どうして、わたしのこと、何にも質問してくれないの。



もう何度目だろう。
いいかげん、いい加減、諦めなくちゃ。


お父さんもお母さんも、そういう人ってだけ。
冷たいんじゃなくて、どう接していいか、わからないだけ。
わたしが元気な態度で接すれば、それに普通に対応してくれるだけ。
でも、心の中では、多分、1ミリくらいは、わたしの病気のこと、受け止めてはくれている。
それを態度に出さない、言葉に出さない、そういう性格なだけ。



そしてわたしは、そんな2人の性格に、たまらなくさみしさを覚えてしまう、だけ。



今年は、少しずつ手放していこう。
拒絶されたわけじゃない。
欲しい欲しいと思っている、お父さんとお母さんの声、お父さんとお母さんの言葉、それは、わたしが高望みし続けている、幻だ。



手放して、自由になろう。
いまは、傷ついたとしても。傷はいつか塞がるし、そういうもんだって、受け止められる日が、きっとくる。


だから今日は、傷ついた気持ち、置いておこう。
明日から仕事、がんばろう。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい