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底辺の職業をやっていた

底辺の職業ランキングが話題になっていた。
話題の移り変わりは素早いもので、もうこの話はツイッターのトレンドにはない。

ここにリンクは貼らないけれど、調べればすぐに出てくると思う。


底辺の職業ランキングのうち、いくつかの仕事を経験したことがある。

このランキングが話題になったとき、大バッシングだったし、わたしもこういう考え方は品がないな、と思う。
でも、いまいち「当事者」からの声が見えてこない気がして、特にわたしが経験した職業のひとの声ってあんまり聞こえない気がして、だからちょっと書いてみようかなあと思った。(わたしの探し方が悪いだけかもしれないけれど。)


わたしが経験したのは、倉庫作業員と清掃員。
どちらも3年くらいはやったと思う。


すごく正直なことを書くと、「底辺の職業ランキング」と言われて、「でしょうね」という気持ちになった。なったけれど、それはそれとして、「それは言わない約束じゃない?大人なんだから。」という気持ち。

この話題が出たとき、「どんな仕事だって社会に必要だ!」という声がたくさんあって、世間にはちゃんと「良識」というものがあるのだなあと思ったのと同時に、じゃあ、あなたは清掃員のお仕事選びますか?と、意地悪く問いかけたくなったのも事実だ。


倉庫作業員も、清掃員も、いわゆるブルーカラーのお仕事で、どちらも肉体勝負だった。
腰を痛めたり、膝を痛めたり、手首を痛めたり、からだを酷使する仕事だから、そういうリスクがとても高い。
わたしも、清掃員をやっているときに、ぎっくり腰をやってしまった。

肉体を酷使するリスクはあれど、仕事の内容はきちんと覚えればあとは反復で、反復するうちに自分なりに工夫する余地もでてきて、わたしはそれが楽しかったし、自分に向いていたな、と思う。
どんな仕事にも「プロ」はいるもので、倉庫作業員でも、清掃員でも、「このひとはすごいなあ」という人はいた。その人なりの工夫で、的確に仕事を終えていく人。そういう人をわたしはいつも尊敬していたし、なんだかそういう人に可愛がってもらえることも多くて、いろんな工夫を教えてくださったりした。


倉庫作業員も清掃員も、それなりに人間関係の良いところも悪いところもあった。それはコールセンターで働いていたときもそうだったし、どこの職場でも、どんな仕事でも、結局、人と人が働いているうちは、変わらないのだろうと思う。

ただ、「世間からの目」というのは確実にあって、働いているときは意識しないけれど、その「悪意の目」というのをふいに感じてしまうことがあって、そういうときは、「いや、こっちだってわかってますよ、わかっててやってんですよ、それの何が悪いんですか」と、誰にともなく言ってやりたい気持ちになることもあった。

底辺の職業、だなんて、言われなくても知っている。
そのような職業だとお前が思うとして、だから何、ここをキレイにしているのはわたしたちだし、あなたがネットで指一本で購入したものを箱詰めしているのもわたしたち、というのが、正直な気持ちだ。


見下げる気持ちは、わかる。わかるけれども、あなたの生活を成り立たせているのは、そういう数多の、あなたが無駄だと切り捨てているものなのですよ、と思う。


清掃員のときは特に、年配の方と働くことが多かった。
40も歳が上の人から、教えてもらう掃除のコツ。みんな良い人だった。よくお菓子をもらったりして、わたしもお返ししようとすると、そんなものはいらないよ、あんたが食べな、と、ひらりとかわして受け取ってくれなかった。

あの人たちの、無骨な手。
働いてきた人たちの手。
たくさんの場所をきれいにしてきた手。
わたしは、その人の手を見て、きれいな手ですね、ほんとうにきれい、と言ったことがある。

その時の、彼女の嬉しそうな顔が忘れられない。

世間から、底辺だの、無駄だのと切り捨てられたその先には、そこで粛々と働いている人がいて、そこには、働き者のうつくしい手があるのだ。
わたしはそれを知っている。
わたしはそれを、絶対に忘れない。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい