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語彙がしんでいる(休職日記19)

8月1日の復職が決まった。
そこから語彙が死んでいる。

ことばが心の中にもあたまのなかにも、どこにもない感じ。
復職に対して少しワクワクするとか、前回の記事で書いてたけれども、あれ、気のせいだったんか。


ずーっと横になっている。
ずーっと横になってスマホのゲームをしている。
そしてずーっと眠い。
永遠に眠り続けていたい。


復職から逃げ出したい、と、明確に思っているわけじゃない。
だけれどなぜだか身体が非常に重い。
休職中に増えた体重の物理的増加という意味ではなくて、身体が非常に、億劫なのだ。


何をするのも億劫。
洗濯も洗い物も夕食の支度もするけれど、なぜだか「洗濯物を畳む」と、「外に買い物に行く」がどうしてもできなくて、いま、わたしの頭の下には、畳まれるのを待つ洗濯物の山でいっぱいだ。


冷蔵庫には、さいわい、今晩の夕食に足る材料くらいはあるはず。あるはずだ。それすら確認するのも億劫だ。どうしてしまったんでしょう。


心は凪。口では冗談で「絶望感でいっぱい」とか同居人氏に甘えているけれど、絶望感はそこまでない。ただ、凪。無風。詩を書くためのとびらみたいなものも、ぱたんと閉じてしまった。ほんのりとした不安と、圧倒的な眠気。


目を閉じなさい、体を横たえなさい、考えるのをやめなさい、見るのをやめなさい、読むのをやめなさい、と、こころの中で誰かに言われているみたい。


この心のなかのひと、言霊が強烈で、抗えたためしがない。
休職前なんて、「お前は本当は辛いのにどうして働きにいこうとするんだ!お前の辛さを思い知らせてやる!」とか、言ってた。こわ。


自分がたぶんもうひとり居て、様子を見ているんだと思う。休職前、ばらばらになってしまったわたしの欠片は、休職という時間を経て、また混ざり合ったのだろうけれど、復職を前に、欠片たちが、ざわざわ、とし始めているのだと思う。


おい、こいつまた働くのか?
正気か?あんなに辛かったのに?
また思い知らせてやろうか?
いや、でも今回はなんか違う感じが少しあるな。
期待しすぎていないというか、やるだけやってみようみたいな、無責任さがあるな。
無責任な気持ちがあるってことは、おれたちをがんじがらめにしていじめないってことかもしれない。
だからひとまずここは様子を見てみよう。


というのが、心のなかのひとのご意見だそうです。


イメージ的には、まっくろくろすけが、ざわ、ざわざわって、心の隅っちょで集まってこそこそ話してる感じ。


今度はいじめないよ。多分大丈夫。
とりあえず8月1日までは、君たちの言うことを大事にするから、眠れというなら、眠ります。
眠り続けてしまいます。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい