日本一の中高一貫校出身者が考える中学受験をすべきかの話 ~デメリット編~
後編はじめに
前編では中学受験をすることで手に入る力やメリットについて書いた。
メリットだけを見れば中学受験は必ずしたほうがいい、となるのだがまぁ現実はそうではない。
この後編ではそのデメリットについて筆者が思っていることと、それを理解したうえで中学受験に挑むための条件について書いていこうと思う。
まず、デメリットのあるものになぜ挑戦するのかというところだが、これは失敗したときのデメリットを成功した時のメリットが上回っていると考えられるからだ。
このメリットとデメリットは挑戦する人にも挑戦をさせる人にも存在し、これを同一視してしまうと話がごちゃごちゃになってしまうので、気を付けたいところだ。
また、デメリットの一部はそのためのコストと表裏一体となっているため、コストの部分から見ていく必要もある。
中学受験にかかるコストとは?
さて、ではまず筆者が考えている中学受験に挑戦するコストを受験本人とその保護者に分けて書いてみる
(1)本人のコスト
本人が支払うコストとして一番大きいものは「時間」だ。
挑戦には何事でも時間がかかるものだから、それは受験も同様である。
勉強以外の習い事、スポーツの時間などを削って塾に行ったり、塾の宿題をする必要があるし、遊ぶ時間も当然ある程度削られる。
他には「自尊心」がある。
競争に飛び込むと否応なく順位がつき、自分の力が数値化されてしまう。
数値化された自身の実力にどうしたって直面してしまうのだ。
そして、それがほかの人に目に見える形で明かされてしまう。
それは当然本人の自己肯定感等に影響を与える。
(2)保護者のコスト
では保護者のコストは、というと「お金」と「時間」と「責任」だ。
中学受験や私立の学校というのは特待生でもない限り、公立の学校にだけ通うのに比べてかなりの費用が掛かる。
質の高い教育というサービスを受けるために費用が掛かる、これは避けようがない。
時間について子供とほとんど同じだ、子育てとはそういうものだ、と言われればそれまでなのだが。
そして責任とは子供の人生を決める責任である。
判断力の未熟な子供になにかをやらせようというのだから、そこには責任が伴う。これから目を背けてはいけない。
さて、これらのコストを踏まえた上で中学受験のデメリットを挙げると
親のデメリットとして
・お金がかかる
・送り迎え等で時間がかかる
本人のデメリットとして
・勉強以外への挑戦の時間が減る
・結果によっては、本人が勉強や挑戦が嫌になってしまう
あたりがあり、
さらに受験が思わしくない途中経過や結果になっている場合には
・家庭不和が発生する可能性がある
・親子ともに自尊心に傷がつく
あたりもあるでしょうか。
筆者の考える受験をするための5条件
さて、ではこれらのデメリットを踏まえて、どういう「条件」をクリアしたのなら中学受験をするべきなのかを述べていきたい。
なお、本編では方法論はあえて書かないつもりなので、悪しからず。
1 余力を持った受験ができること
まずは親が余力を持った受験ができることが必要である。
あえてお金の余裕、と書かなかったのは気持ちの余裕も必要だからだ。
親として必要だと考えて、自分の稼いだお金を投じて中学受験をさせると決めた。
その決断をしたのなら、責任を持つべきなのだ。
成績が悪いときや親として希望していた学校に落ちた時に、頭ごなしに子供を叱ったりするのだけはしてはいけない。
「あんなにお金をかけてやったのに」なんて言おうものなら、私は器が小さいですよという自己紹介にしかならない。
親として期待した成果、というものは色々あるだろうが子供はあなたとは違う人間だし、未成熟なものなのだ。
その子供にお金をかけて教育すると決めたのは親であって、子供がそうしてくれと懇願するようなケースは少ない(そもそもそういう向学心旺盛な一握りの子供は成果が出やすいというのもあって、親としても抵抗感なく教育に手間やお金を割けることが多い)のだから、かけたお金に対して期待した結果が出ないことは親の無力に他ならないし、親がその子供の才能を見誤っているだけである。
そういったことを考えたうえで、それでも教育にお金をかける、と決める経済力と、成功しなかったときにそれでも得ることができるものまで考えておく気持ちの余裕があるならば、挑戦の一つとして子供に受験をさせるべきだと思う。
2 勉強の習慣をある程度つけていること
中学受験の失敗パターンでとても多いのが、子供に勉強する習慣がついていないのに、いきなり学習塾に放り込んで子供が嫌になってしまうパターンである。
学習塾、特に受験塾は勉強の習慣をつけるところからはやってくれない。
早い子であれば小学校3年生くらいから学習塾に通わせはじめるのだが、そこまでに勉強する習慣をつけていない子供をいきなり受験塾に放り込んだらどうなるかなんて火を見るより明らかだ。
学校の勉強にある程度ついていけていて、宿題なんかも滞りなくできている、という状況でないのなら通わせるべきは受験塾でなく、まず補習塾だ。
3 知的好奇心を奪う子育てをしていないこと
上位校ほど「思考力」「応用力」が必要という話を前編でしたのだが、ここには一つ前提がある。
それは「応用」するためのもちろん「知識」は必要だということだ。
それは例えば都道府県庁所在地を全部覚えているだとか、アヤメ科の植物は花弁の枚数が3の倍数だとか、あれがデネブ・アルタイル・ベガで夏の大三角形であるとかそういうことだ。
これらは暗記科目と呼ばれる「理科」や「社会」それから国語の漢字問題などでは直接的に試験の得点に結びつく。
そして、それを効率よく覚えるために大事なものが「知的好奇心」簡単に言うと、「知らないことを知らずにはいたくないと思う力」だ。
これを子供から奪う方法は実に簡単で、親が子供からの質問に全部「知らん」「知らなくていいことだ」「うるせぇ」と答えることである。
こうすると子供にわからないことは知らないままでいい、わからないことがあっても誰も教えてくれない、という体験を植え付けることになり、見事にわからないものをわからないまま、行き当たりばったりの行動をとる子供が完成する。
そんな育て方をした親が、今更子供に向かって金を出すから受験をしろ、意欲的に勉強しろ、などというのはちゃんちゃらおかしい。
もしそれでも受験をさせたい、というのなら子供と一緒にわからないことを学ぶ姿勢を持ち、知的好奇心を人並みに戻すことが必要だ。
4 こどもの才能、能力を見極める基準を持つこと
受験に限らず子育てには親の体験が大きく関わっている。
自身の体験から感じた恩恵や不利益を子育てに反映する。
つまり中学受験をして恩恵を受けた親や、受験をした人がうける恩恵を目の当たりにした親(あるいはその人が恩恵を受けたことで自身が不利益を被った親)が子供に受験をさせようと試みる。
しかし、2でも書いた通り子供はあなたとは別の人間で別の才能を持っている。
筆者の子供だって、筆者と同じように開成に合格できる才能を持っては生まれないかもしれない。
勉強以外に挑戦する時間を割いてでも受験をさせる、というならそれが子供のためになる、と少なくとも親は信念を持っていなければならない。
そのためには、子供の可能性をある面では信じ、ある面では現実的に判断しなくてはならない。
筆者の友人にも親から上位校を受けろ、合格しろ、とプレッシャーを受け続けて嫌になってしまった子が何人かいる。
自分の子供の可能性を信じるのは結構だが、それを判断する根拠は持つべきだ。
その時の子供の能力からかけ離れた問題などをやらせても子供の力量は上がらない、塾の助けを借りながら子供の得手不得手、その時点での力量などの能力をしっかり見て、本人に合わせたレベルアップを親が手伝ってやることが必要だ。
5 受験をする理由の説明から逃げない
受験のきっかけというのは様々だ。
しかし、遊びたい盛りの子供にとっては貴重な放課後の時間に塾に行かなければならないのだ、たまったものではない。
もちろん塾でも新しい友達はできるだろうし、友達が行っているから塾に行きたいなんて言いだす子もいるだろうが、塾が遊びの場であるかというとそうではない。
成績が出なかったときや、何か躓きがあった時に子供から「なんでこんなことをしなきゃいけないの」という言葉が出てくるだろう。
その時に「あなたの将来のためよ」というだけの単純な答えで子供は果たして納得するのだろうか。
親ですらその答えを持っていないとしたら、子供に説明はできない。
答えに納得しないまま渋々続ける受験は成果を生んではくれないだろう。
中学受験という世界に飛び込ませるのなら、どうしてそれをするのか、というのは親として答えを決めておくべきだし、子供と腹をわって話す機会が必要なら作るべきだろう。
おわりに
筆者の考える条件は上の5つである。
子供にとっても、親にとっても2年から3年を跨ぐ人生の一大イベントである中学受験を有意義なものにしてもらいたいし、受験が原因で家庭不和が起きたなんて悲しいことにならないよう、よく考えて挑戦するかを決めてほしい。
最後になるが、中学受験にチャレンジしているご家庭にあっては、希望した結果にたどり着けるようささやかながらエールを送って本稿を終わりたいと思う。
※もし個別に意見が聞きたい場合などは筆者TwitterのDMにご連絡ください。また、今後も受験に関することやちょっと難しい言葉をわかりやすく解説する記事などを投稿予定です。フォローいただけると嬉しいです。
執筆予定記事:文章題が苦手な子はなぜ文章題が苦手なのか~進次郎構文から読み解く~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?