![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/116240279/rectangle_large_type_2_e87f4eeb0aea22d7c8afa23784729d8f.png?width=800)
表現者が好き。
私の趣味は二つある。クラシック音楽とお笑い。
最近ハマっているものとして友達に言うと「両極端だね」と返ってきた。
まあそうか、そうだな。
「舞台の上でやるものだから似ているかもしれないけど別にいいんじゃない?」
ありがとう。笑
まず、クラシック音楽について。
小さい頃から舞台ものにはよく連れて行ってもらっていたと思う。
音楽を聴いたのはいつなのか。
もしかすると母親のおなかの中にいた時からか。
コンサートに連れていかれ、ホールで大人に囲まれて静かに座って訳も分からず聴いていた。
また地歌舞伎や文楽といったものにも触れてきた。
舞台以外でも芸術といったもの、表現するものには沢山感銘を受けてきた気がする。美術館、展覧会…
そのような環境で育ってきた私は他の家庭とは価値を置く所が違うのかもしれないとも思ったり。
某夢の国や観光地で友達とわいわいするよりも、良いもの(親に連れられて行ってであって感動した)に触れることができて心を動かされたというその時の感動、言葉にはできなくても自分の中で何かが動いて扉の少しすき間が見えたような世界の広がりのような体験が非常に大きかった。
美しいもの、わけのわからないものだが何か心惹かれるもの、ずっと見ていたい聴いていたい感じていたいもの。
そのように良いと思ったものにはそれだけの価値があるのだと思うようになった。自分の中での価値観の形成であった。
そう思いながら大学生になった。
二年生。
コロナの制限も最初の頃よりはだいぶゆるくなって劇場に通えるくらいになり、少なくとも一か月に一度はチケットを買う生活に。
CDやYouTubeだけでは収まらない情動からの興奮を満足させるために通い続け、好きな曲がどんどん増えていく。
ポップス曲では味わえない高揚感、恍惚感。繊細で緻密に構成され、時には壮大な世界を描く。人の言葉も必要とせずに感動を生める。長い歴史の中で紡がれた五線譜上の芸術だった。
長い歴史の産物をいま生きている私が享受できること、それに価値があるのだと考える。
再現と表現。
当時の作曲者の意図が再現できるように楽譜が存在し、楽団それぞれの個性と解釈も併せ表現していく。その行程を辿り、抜きにして劇場で堪能できることは幸せなのではないか。
今日もこうしてどのクラシックコンサートに行くか、心を躍らせ決めている。
次にお笑いについて。
大学三年生の春、急激にハマり出し、劇場へ行くことを夢見るようになった。
また私は舞台上の趣味が増えたということだ。
音楽は全体の調和を必要とする。しかしお笑いは個性を売り出し、買ってもらわなければいけない。
芸能関係のお仕事は厳しい世界だなと思う。
そんな現実もうっすら見えつつ楽しんでいる。
コンビのコミュニケーションを通した芸を見るのが好きだと気づいて以来、漫才を通して人間性を感じ、それを自分の中で噛み砕いて共感、理解することが楽しいと思うようになった。
もっと芸人さんの作るものがみたいなと思える時間を大切にしたい。
タイトルに戻る。
私は表現者が好きである。
それを語るためには私が今まで数人から聞いた言葉を思い返さなければいけないかもしれない。
今の推し、知り合いのサックス奏者の先生。皆この言葉を言っていた。
「好きなことをしながらお金をもらえて生活できるって幸せ」
わたしはこの言葉を放てる人間は輝いていると思う。
とてつもない努力をしてきて何事も無かったようにキラキラとした世界で笑っている。
その一部を切り取っているところに私たちはお金を払っているわけである。
俳優や女優として活躍する人たちは、一般の人々とは異なる世界に身を置いているはずなのに、彼らの評価を消費するのはその大多数の人々である。なぜ人々は自分自身の人生を他人に委ねるのだろうか?
その理由は、プライドなのか、それとも彼らがやりたいことだからなのか、私には理解できない。
自分がやりたいことを見つけて、
自分の能力に自信を持ち、
他人とは違うと確信する
この過程を踏まないと芸能には携われないのではと思う。
凡人ではないと信じて、ストイックに自己を突き詰め続ける。
その中でも突き詰めた自己が世に認められ、成功した者として世に出ることができる。その陰には大勢の失敗した人がいるに違いない。
成功したとしてもそこで終わりではない。世の中はシビアである。
創り続けることをしないと自分を見なくなってしまう。
自己を広げ続け、変わっていく世の中を俯瞰し更新していくことができる人がずっと愛される。
それはどの職に就いていても同じかもしれないが、評価してくる対象が全世界であること。それは大きい。
全世界の目を背負いながら表現し続ける人達はなんてすごいんだろう。私にはできないことをしようとして可能にする人たちが大好きである。
私には何かできないだろうか、と今日も虚空の中を探すが、他人の目にさらされない凡人であることに安心して眠る。
多分、それでいいのだ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?