オートバイと政治(ロビー活動)

みんな忘れてるだろうけど、昔は申請するだけで運転免許証が貰えた。なんなら、14歳から免許を取得できた時代もあった。

これ ↑ についていろいろ説明を書いたが、政治の話に辿りつく前に(長すぎて)読んでもらえなくなると思ったので全カット。(うう、もったいねぇw)
それに、最初にこのタイトルで書き始めた去年の夏と今とでは、記事の目的がちょっと変わったでな。(嗚呼、あんなに書いたのに・・・・)


けど俺、いつも前置き長すぎだよな?(笑)すまんの。

まあ、これだけ戻しとくか。
「まだ記憶に新しいところでは、約30年前に大型免許が教習所で取れるようになったり。」(←これなら覚えてるやろ?)アメリカ(ハーレー)が非関税障壁だと騒いだアレな。


で。
何が言いたいかというと、

法律は変わるし、必要があれば変える要請もできる

てこと。
そして、ソレ(要請)を人はロビー活動と呼ぶ。


免許制度の話ばかりじゃないんよ。どんな法律も変えられる。

いい例が憲法だ。最高法規である憲法ですら、改変スル・シナイでずっと揉めてる。揉めてるってことは、「できる」んだ。ご存じの通り、手続きも法で定められている。(つまり、「変化」は最初から織り込み済み)


というか、法律なんて変わらないと、現実とどんどん乖離するからな。世の中の変化に対応して社会の安寧を図るのが、本来の法律ってもんやろ。違うか?


というわけで、

は可能だ。(=JECにもオープンレースはできらあ)

現法を「俺たちのやりたいレースにフィットした形」にしてもらえばいい。もしくは特例を設けてもらえばいい。
要は、「それが必要だ」とお上に伝わればいいんだ。


この「仮ナンバーで公道レース参加」は以前にも行われているし、

MONTRE 2018においてCar...

Posted by モントレー Montre on Monday, June 11, 2018


今年の記事でもこんなふうに紹介された。


狭い国土ながら、国内でも4輪のラリーは(細々と)続けられてきた。そうした中で、海外選手(とマシン)を走らせるための法整備もしてきたわけだ。彼らは彼らがすべき仕事を、粛々とやってきたってわけ。継続は力なり。

じゃ、なにをしてきたのか?
具体的にどう動いたかは公表されてないので俺は知らん。だが一般的なやり方でいうなら、おそらく運営は、関係省庁や自治体に掛け合って法を変えてきた。当然、地元政治家にも挨拶したはず。

地方大会に行くと開会式で自治体の長や県議の先生が来賓挨拶してるだろ?なんで政治家?と思うだろうが、あれもソウイウコトなんよ。つながりは大事。だから俺ら参加者も、センセイ方には丁重に接しなきゃならん。地元政治家は、大会開催の協力者なんだから。

おれ、若い時はそういうの胡散臭いとしか思わんかったけど、ナンダカンダ言っても社会で生きている以上、政治と無関係ではいられないんだよなあ。



だからJECも同じようにすればいいだけ。日本で登録できないマシンでも、「レース期間・指定ルートのみ走行できる許可証」があればいいんだ。

ただし、道交法と車両運送法の規定は別問題。保安部品はちゃんと付ける、音量規制は厳守などなど。つまり、現状のオープンレース前車検は、これまでと同様に行われなきゃならんだろう。

ついでに書いとくと、グンマー氏のコメント(ツリーを開いてくれ)にある車両車検の有無は関係ない。250や125ccだって、当該関係組織に掛け合えばいいだけだ。

それをやらずに「登録できないマシンがあるから選手のイコールコンディションのために全レースクローズドで行おう」という動きはおかしいんじゃないの?と俺は感じてるよ。
なので、うっかり陰謀論みたいな発言をしちまったな。すまんすまん。


まあ、ンマー氏の仰るように、特定の黒幕がいるわけじゃないやろね。むしろ大勢の不作為な人々が、「やりたくない」(もしくは、技術的 or 立場上できない)人を支えてるだけだと思うよ。イジメ問題じゃないが、声を上げないことで結果的に現状を支持してる感、とでも言えばいいかね。


メーカーは製品を作るのが仕事。
時には市場創生までしつつ、製品を世に送り出す。

90年代のヤマハは、そういう仕事をちゃんとやってきた。


市場創生ってのは「ニーズを作りだせ」ってやつだね。
開発も営業も、耳タコやろ、これ。



ヤマハのGJ案件をここに紹介しておくわ。関係者の方はよーく読んでくれ。あなたがたの先輩は、こうやって仕事をしてきたんだ。

ヤマハはすごい企業なんだぞ!


https://cycle-info.bpaj.or.jp/file_upload/100349/_main/100349_01.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/52/3/52_33/_pdf


若い人には「生まれた時から既にあった」アシスト自転車だ。どこが「市場創生」なのか、ピンと来ないかもしらんね。
というわけで、軽く「庶民のアシの変遷」を書いとくと・・・・

子供の手を引いて(あるいはおんぶ紐で背中に括りつけて)買い物かごを持って歩いていた1950年代のお母さん(専業主婦はまだいない。皆当たり前に働いていた。家族総出で。)は、60年代に入って自転車を愛用するようになった。当時は嫁入り道具に自転車が入っていたそうだ。
(自転車時代になって専業主婦登場。ざっくりだが、団塊世代が核家族を形成した副産物が専業主婦だ。子育ての手が、母親しかなかったから。)

生活形態が変わり、買い物に行くエリアが広がったことも関係した。
よろずやや行商人から買う「軒先で済む買い物」から「商店街に出かける買い物」に変わっていった。(それまでは自前の鍋を持って家の前で豆腐を買ったりしてた。エコやなw)

おお、今でもそういう形態の人おるわ。


すっかり見なくなった光景だな。
こういうの、俺が子供の頃はまだ普通にいたんだよ。


さて、自転車。

昔の昔は、自転車なんか「女の乗るもんじゃねえ」と言われていた。フレーム形状と当時の服装から言っても、女性には乗りにくいものだった。まあ、わかる。

そこらへん話してると長くなるんで、詳しく知りたい人はここらを読むといいよ。

https://cycle-info.bpaj.or.jp/file_upload/100161/_main/100161_01.pdf

その当時、女性でも乗りやすい形状にして売り出したから、のちに「ママチャリ」という言葉が生まれたわけだ。(余談だが、ママチャリは海外でも通じたりする。)


ほぼ男性しか乗っていなかった自転車に女性が進出したのは、男性がバイクに乗り始めて自転車の需要が落ちたから、らしい。売れなくなったので「これまで乗ってなかった層=女性」を開拓したわけだ。

そしてその後、男性がビジバイから車に移行した段階で、今度は女性の「自転車→原付」移行が始まる。それが、だいたい1970年代。(こういうのは地域差もあるんで、ざっくりと捉えてくれ。)

で、女性向けにスクーターが誕生した。ビジバイと違って跨がないタイプ。スカートでも乗れるのがウリだった。(自転車同様、女性の服装に合わせて製品デザインを変えた。)
ただ、けっこうパワーもあったんで、少し後に高校生向けスクーターが出回った頃には、ウィリーする主婦が爆誕した。今のプリウスミサイルみたいなもんやなw(その後、馬力規制される)

更にその後。
主婦がメインユーザーだった原付は軽自動車にとって代わり、高校生ユーザーは3ない運動で排除された。
バイクメーカーで(も)あるヤマハは、「免許もヘルメットも無しで乗れて、環境にも優しい、オートバイメーカーらしい乗り物」を模索してPASを作った。(ここでやっと電動アシスト自転車の登場だ。)


主婦層が原付に乗っていた時代が見える、HY戦争話(おもろ懐かしなのでおすすめ)

3ない運動をご存じない若者向けにリンクを置いとく。


つまり、「これまでに無い」ものを売るために、ヤマハは運輸省に相談し、警察庁が「ウン」と言えるように製品を開発した。

その顛末は先に紹介したサイトに詳しい。

このサイト、「先行者と後発者による市場理解の相違」がテーマなんだが、事例がヤマハの電動アシストなんよね。取り上げてくれててマジ感謝なんだわ。(下に再掲しとく)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/52/3/52_33/_pdf


(以下、上サイトより引用)

ロビイングにより電動アシスト自転車市場を創り出したことがヤマハ発動機の功績であることは疑いようのないところである.電動アシスト自転車が提案される前は各社が散発的にモペッドを開発していたにすぎず,その状況を打破し,各社の研究開発労力を電動アシスト自転車という新製品カテゴリへ集中させたのはヤマハ発動機の創意であった.

(引用おわり)

というわけで、「今までにない乗り物」なので、法律が対応していない。
これを原付枠でなく、自転車枠で売りたい=ノー免許、ノーヘルの実現。

そのためには、警察庁に認めてもらい、電動アシスト自転車の概念を法律で規定されなくてはならん。相談先は「運輸省自動車交通局 自動車公害対策室長および環境対策室長」。
そしておそらく、政治家にも口利きを依頼しただろう。論文にそれは残ってないので、俺の想像になるけども。


そして、(これは余計な話かもしれんが)そういう相談がしやすいように、企業は省庁の退職者の再就職先になっていた。


こういう話になると、すーぐ天下りだの癒着だのと叩かれがちだが、こういう「相談」を経て、現場は実情を訴えていくんだ。口利きできるホットラインは必要不可欠だったんだよ。
国にしたって、社会とかけ離れた法規制をしても世の中を不便にするだけだからな。いかに良い落としどころを見つけるかは大事だろ?

つまり、官僚の企業再雇用は、ストレスなく社会を回すための工夫だったんだよ。既得権益という錦の御旗でズタボロにされたけどな。むろん、良いことばかりじゃなかったんでそうなったんだけども。

まあ、悪例が良例を駆逐したってことや。
一つの悪が許せないからすべてを排除したい、ってのはよく見る話。俺たちは、わりと簡単に潔癖になれるからな。気を付けたい。


(あと、先の話に戻すと、そうやって整備した後に中華の電動バイクもどき自転車が入ってきたりしてるんで、取り締まるほうも大変だろうね、とは思う。)




そういうわけで、(途中説明が長くなったが最初の話に戻ると)制度を整えれば、俺たちはオープンレースを走れるよ。そこに何の問題もない。

合法だ。ぜんっぜんグレーじゃないよ。



では、メーカーやMFJがロビー活動をやればいい。業界団体としてまとまり、関係省庁や政治家にアプローチすればいい。

ウン、そうだな。
だが、需要が無ければ彼らもわざわざ動かんよ。

まずは俺たちが、オープンレースを走りたい!と彼らを動かさんとね。


なのに今は、選手主導で「クローズドオンリーの日本方式」とか言い出しとる。ドウナッテンダ、コレ?

一方、北海道は例年通り、ルスツ(コロナ以降。それ以前はヒダカ。来シーズンはヒダカ再開と聞いてる)でオープンレースを継続している。
エリア戦では東日本が(コロナ以前だが)オープンレースを一度実現している。


そして中日本もオープンレースを模索していると、エリア戦主催のオーランドの太田さんから聞いた。

実際、太田さんはロビー活動もしてらっしゃるよ。あの人は有言実行の人だからな。それに経験豊富なので、「やりたいことを実現する方法」もちゃんとわかってらっしゃる。


さあ、どうする、メーカーさんよ?MFJよ?


一主催者が、つまり個人が、あれだけ頑張ってんだぜ?


この先のレースをもっと面白くできるかどうか、それはメーカーとMFJにかかってる・・・・が、

それ以上に、実は、俺たち一人ひとりにかかってる。


俺たちはこの先どういうレースを求めるのか?


それで諦めていいのか?
嘆願書がライダーの総意なら、MFJもメーカーもロビー活動をやる理由はないね。じゃ、もうこのままでいいんだね?


でも古参ライダーは口を揃えて北海道最高!オープンエンデューロ楽しい!と仰る。
それを見るたび、最高のものを後輩に伝えないなんておかしいんじゃないか?と俺は思う。













MFJである必要は確かになくて、でもああいう組織だから利用価値もあって・・・・てな話題になると別テーマになるんで、ここでは省略。
あと、エンデューロの本質がオンタイムにあること、オンタイムは公道を使って初めて伝わるものがあること、なんて話もあるが、長くなるんでまたの機会に。

ああ、木古内がオンタイムじゃないどころか、公道レースでもない(のにナンバー付き指定)だったあたりの話も、そのうち書かなけりゃな。


とにもかくにも。

「最高に楽しい」と分かってんなら、後続にちゃんと伝えろ!



何度でも言うぞ。

楽しいから乗ってるバイクなんだ、一番楽しいと知ってるものを「昔はよかった」で独り占めするな。旨いものは後輩に分けてやれ!彼らはその味を知らないんだから。

今開催するのが大変なのは知ってる。だが、まだ不可能ではない。食える間は食わせてやれ、それが親心ってもんやろ!






俺が言いたいのはそれだけだ。
あとは「今のライダー」たちがどうしたいのか決めればいいよ。
ガンバレ!若者!

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