「明るい」「おだやか」な人ほど混乱する?!仲のいい人とぶつかったときの思考法
「明日の夜とか 私と話したいとか、ない?」
友人から、久しぶりにLINEがきた。
コロナなんて関係なく、基本的にお一人様が好きで、引きこもり生活大歓迎なわたしは、突然「誰かと話したい」とか基本的にないんだけど…
「わたし不足になってないかと思って。少しお話ししましょうよ♡ww」
友人のこのノリには、思わず吹いてしまった(笑)
普通の人でいう "ニュートラル" が、「ちょっと元気、ちょっとポジティブ」に傾いているのが強みの、彼女らしい誘い方だと思った。
(ハイハイ、何か話したいことがあるのね。。w)
そんなわけで、少し前から実家に帰ってきていたわたしは、翌日の夜にその彼女とzoomで通話をすることにした。
前回会ったのは2〜3週間前。近況報告をして、お互いの生活に対するコロナの影響や周りの反応などをバラバラと話す。
「でね、この間実家に帰ったんだけどー」
(お、本題きたかな…?)
ノリも性格も合う”あの人”と関係崩壊の危機?
どうやら、話したかったことは家族ネタらしい。
「家族と言い争いになってさ。もしかしてこんな感じになったの、初めてかもしれない」
と彼女。
「いつになく感情がたかぶってしまった」というそのケンカの背景を聞いてみると、相手はお母さんということだった。
これまで話してきた感じから、家族の中で彼女と一番ぶつかりそうなのは「真面目で、ちょっと冷めてるしっかり者」の妹さんだと思っていたから、少し驚いた。(楽天的でフワッとしてるお姉さんとは真逆っぽい)
「え、お母さん?妹さんではなく?」
「そう、今回はなんかお母さんと衝突しちゃって。妹はあんな感じのタイプだけど、お母さんとはノリも考え方も近かったから自分でもちょっとびっくりしてー」
これまで話を聞いた限り、彼女のお母さんも彼女と同じく「ちょっと元気、ちょっとポジティブ」がデフォルトの人だ。
周りに少しゴキゲンナナメの人がいても影響されにくく
(あら、なんかキゲン悪そうね。せっかくなら、楽しくしてた方が…楽しいじゃない?)
と説明になってるようでなってない感じのノリで、ふんわり笑いを自家発電してしまうタイプだ。(おそらく、だけど。笑)
「なんか、ケンカって…あんな感じになっちゃうんだね。わざわざ目線を下げて、相手の土俵に入ってっちゃった感じ…」
あーなるほど。わかった気がする。
その言葉にピンときたわたしは、こんな質問を投げてみた。
4割もいる!「思春期に反抗期がない」その理由とは?
「(友人)さん、もしかして反抗期なかったんじゃないですか?」
わたしは、親に「あんたは、生まれてからずっと反抗期」と言われてきたお墨付きの反逆児だけど(笑)中には、思春期でも友だち同士のような仲良し親子だった人が一定数いることは知っている。
調べてみると、2016年のある調査では「子どもに反抗期はなかった」と感じている親は3割弱、「自分に反抗期はなかった」と感じる子どもは4割ほどいるらしい。
Wikiセンセイは、反抗期をこう説明する。
反抗期(はんこうき)は、精神発達の過程で、他人の指示に対して拒否、抵抗、反抗的な行動をとることの多い期間のことである。
逆にいうと、他人の指示に対する不満がなければ、反抗的な態度を取る理由はない。
なかには、不満はあっても反抗できなかったというパターンもあるが…友人の親子関係は、明らかに「そもそも反抗する理由がなかった」パターンだと思った。
ここで、わたしが見出した解は2つ。
1. ようこそこちら側へ
自分の主義主張と、他人のそれが必ずしも同じでないことはよくある。
それが、自分にとって大事なことであったり、距離感の近い人が相手だったりした(あるいはその両方が重なってしまった)ときは、感情が自分のコントロールを超えてしまうことは、まぁ、あるのだ。
定性的な調査では、反抗期のない人は「おだやか」「明るい」「天真爛漫」だという意見もあるようで、わたしの友人はまさにそのタイプ。
こういう人は、インプット(見聞きし体感すること)がおおらかで、認知する世界がやわらかい。
「細かいことがあまり気にならない」「(良くも悪くも)自分にとって都合の良い解釈を採用できる」など、そもそも普段からイライラしたり腹を立てたりすることが少ないのだ。(羨ましい限りである。笑)
彼女にとって、「感情が爆発する」とか「相手がヒートアップするに合わせてヒートアップしてしまう自分」なんてものは、非常に縁遠いものだったに違いない。
でも今回、彼女は自分にとって新しい情動を味わうことができた。もう1つ、自分の枠が広がったのだ。
それが例えネガティブな感情だとしても、引き出しが増えるのはいいことだ。
これまで「なんでそんなにプリプリしてるんだろ?」と思ってきた彼女も、これからは感情センサーが敏感なタイプの人にも、ある程度寄り添うことができる…はず。
2. わたしたちは成長し続ける
誰もがはじめは、無垢な赤ん坊で生まれ、好むと好まざるとに関わらず、育てた人や環境から影響を受けながら自分の世界の基準を設けていく。
好きも嫌いも、目にし耳にし体験するから決められるのだ。
そうやって多くの人が意識的に、また無意識的に、周りの人をお手本にしたり、反面教師にしたりしながら自分のアイデンティティを確立していく。
そんな中、一人暮らしや留学、身内にいない職業や新しい風土の職場で働いたり、独自の交友関係を築いたり…思春期を過ぎてから、育ったのとは違う環境に身を置く人も多いと思う。
日常の経験を通して得た知見や考え方は、多くの場合は日々少しずつ更新されていくもので、本人は無自覚であることも多い。
そういった「アップデートされた自分」を久しぶりに家に持ち帰り、あるとき不意に「我が家の当たり前」から自分が "外れた" ことに気づくこともあるんじゃなかろーか。
その違和感は必ずしも家族との溝を示すものではなく、「いつのまにか "自分の道" を歩いていた私」と自身の成長を感じ、感慨深くなったりするタイミングであることを教えてくれてるだけかもしれない。
(こんなすれ違いは、古い友人との間にもよく起こる)
これからまたゼロイチベースで、今の視点から新たな関係を構築したり、距離感を保っていけばいいだけだ。
人生で初めて!を経験した友人へのメッセージ
そんなわけで。
つい数日前に、自分自身をコントロールしきれない感覚と、モヤモヤともどかしい感情を初めて抱いたという友人には、そんなわたしの意見をお伝えしておいた。
それも、これも、全部自分の経験。
自分の大切な感覚。
日頃おだやかで明るい、「ちょっと元気。ちょっとポジティブ」な人が、たまには自分でもびっくりするようなイライラ感を味わってもいいじゃない。と、純粋にそう思う。
(無論、感じることと、それを人にぶつけることは別問題だ)
居心地は良くないと思うけど…慣れてないだけで(慣れなくてもいいけど。笑)ままあることよ。
人生ほとんど反抗期で、激しめの設定から世界をスタートしたわたしには、むしろ羨ましい限り。(笑)
ここ数年で、やっと「おだやかさ」のなんたるかを心得てきたわたしは、元々 "そっち側" にいた友人の、こんな小さな変化を、大いに歓迎したい所存である。
アーティストがその感性を磨くがごとく、自分の輪郭を顕に生きることに情熱かけてます。共に自分を生きようぞ