フィクションと陰謀論

 テレビでドラマを観ていると、最後に、「このドラマはフィクションです」の断り書きが必ず出てくる。すべてチェックしたわけではないが、映画や小説でも「登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません」といった趣旨の表記がなされることが時々あるような気がする。

 そんなわかりきったことをなぜわざわざ言う必要があるのかとずっと思っていた。

 実在の人物や団体をモデルにしていたのなら、訴えられる前に先手を打って "フィクション" ということにしておきたいという事情はわからないではない。しかし、鬼やエイリアンと人類が戦うアニメやSF映画でもこのような断り書きを付ける理由になるとどうもよくわからない。

作りものだということは誰だってわかっているはずだけど、後からいろいろ言われると面倒だから、念のためテロップをつけておく、という単なる "慣例" ということなのであれば、気にせず読み流しておくが。

しかし、世の中にはこういった明らかなフィクションでも真に受けてしまう人たちが一定数存在するということが何となく見えてきた。この「一定数」というのが多いのか、ごくわずかしかいないのかは正直言ってよくわからない。また、昔と比べて増えているのか減っているのかもわからない。しかし、このネット時代では少し意味が変わってきているような気がする。

フィクションと陰謀論。言うまでもなく別物だが、自分なりの解釈では、個人の頭の中で何かの拍子で浮かんだフィクションの周りが真偽不明な情報で取り囲まれてしまって、身動が取れなくなってしまった人を陰謀論者というのではないかと思う。

「身動きがとれない」だけならまだいい。米大統領選での議事堂襲撃やネットを使った個人攻撃など、現実の世界での実害があっていいわけはない。

自分は絶対に陰謀論者にならない、と断言できるほどの強い意志力や精神力を持ち合わせているわけではない。瞬時に無数の情報が手に入る環境下で、自分の頭の中にある "作りごと" を強化する情報だけを恣意的に選んで引き付けてしまわないかという恐怖感は常にある。

頭にフィクションが浮かんだ時に、「それはフィクションです」と注意してくれるような仕組みはないものかとふと思う。

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