最高点と最低点をカットする知恵

何人かの審判員が採点するスポーツ競技で、そのなかの最高点と最低点をカットし、それ以外の点数だけを使って得点を競うというものがある。フィギュアスケートや体操などがそうだったか。

いい仕組みだと思う。

以前、あるオリンピック競技で、審判員の一人が贔屓の選手に異常に高い点を与え、そのライバル選手には過度に低い点を付けたという報道があった。オリンピックのような場ではナショナリズムをはじめ様々なバイアスが審判員にもかかるだろうから、極端な点数を外す採点方法は、そういったバイアスを少しでも減らそうという工夫だと思う。

この仕組みを他でも応用できないかとふと考えることがある。

ある問題について議論になった際に、その問題に関してひたすら擁護する立場をとる人は10点を付ける。とにかく全否定してしまう人は0点を付ける。厄介なことに、ネット上では10点や0点を付ける人たちがやたら元気で発言量も多く、時に攻撃的で執拗だ。他の点を付ける人に対して容赦しない。そしてネットは炎上する。

世の中のほとんどの人、いわゆる良識人や常識人といわれる人たちは、関心がそれほど高くない場合も含め、ある問題に関して両極端な立場をとることは少ない。賛成と反対にはそれぞれに何らかの利があると考え、強いて言えばこちら側かな?という場合が多いはずだ。点数で言えば3点から7点ぐらいを選ぶ。よほど関心が強い場合や、知識や経験が豊富で自分なりの考えをしっかり持っている人であれば1点や9点ぐらい付けるかもしれないが、レアケースだろう。

たいていの人は、たとえその問題について十分な「知識」がなくても、世の中はそれほど単純に白か黒かで分けられるものではないという経験から得た「知恵」をもっている。だから、10点や0点を付ける極論に賛同することは少なく、看過するか、もう少し情報を仕入れてから、もっと考えを深めてから、と考えて強い発言を控える。ネット上でひたすら火をつけて回っている少数の人に対しては眉をひそめるだけで、特に何も言わずに無視するか、黙ってその場から離れていく。かくしてネット上での議論ではバランスの取れた中庸な意見を持った人はほとんど見えない存在になってしまう。

ネット世論というのがもしあるとすれば、先のスポーツ競技での採点の知恵を拝借して、10点や0点をつける人の意見はとりあえずカットして(「無視して」と言ってしまうと、また攻撃材料にされ恐れがあるので)、それ以外の点数を付けた人の意見の方を重視する仕組みであればいいのにと思う。その方が現実の世の中の姿を反映できるような気がする。

ネットの世界がもう少し居心地の良いものになるにはどうすればいいかと考えていた時に、ふとそう思った。夢物語かもしれないけど。

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