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ハンドルの前で人格が変わる。ネットの上でも人格が変わる?

 最近はドライブレコーダーを備えた車が増えたせいか、運転中の様々な動画をネットやテレビで見る機会が多くなった。特に、このところ問題になっている "あおり運転" の映像をよく見かける。

 特にひどいものが取り上げられているためかもしれないが、あおり運転をする人物の、時に狂気が宿っているように見える異常な行動やその態度にはショックを受けてしまう。普段の生活で、人があれほど猛り狂っているところを見かけることはほとんどないからだ。

 ただ、そのような事態を引き起こす人物でも、その態度を除けば、いたって普通の人物のように見えることが多い気がする。刑事事件になったようなものについて、容疑者の知人とかいう人がインタビューに応じていることがある。「あの人があのような事件を起こすとは考えられない」という答えが多いようだ。普段から行動が粗暴な人が路上であおり運転をすることは意外と少ないのか、あるいはそのような人は別の形ですでに検挙されてしまっているからなのか。そのあたりは正直よくわからない。

 昔から、「ハンドルを握ると人格が変わる」ということばがある。普段おとなしい人が、車を運転するときは人が変わったように乱暴な運転をする、そのギャップを揶揄するときに使う。

 人は多面的な存在だ。だから、普段のおとなしい人物像も、乱暴に車を走らせるのも、いずれもその人の特性を構成する要素ととらえるべきだろう。車の運転は、人のもつある特性を強化することがあるのだろう。「人格が変わる」というよりは、普段あまり見せていないその人のある特性がことさら強調されると捉えるのが正しいように思う。

 最近、個人的に知ったある人物が、ネット上で、常軌を逸しているとしか思えないようなひどい言説を広げていることを知った。いわゆる "ネトウヨ" というやつなのだが、面と向かって話している際には、ごく普通の常識人に見えただけに、そのギャップに驚いた。その人が、あのようにあたかも "タガが外れた" あるいは "底が抜けた" ような行動をネット上で執拗に行っていることに少なからずショックを受けたものだ。

 車の運転と同じく、ネット、特にSNSには人の特定の要素を強化してしまう機能があるのだろうか。

 ごく普通の常識人が、車のハンドルを握ったことをきっかけに、あおり運転を起こし、被疑者になり、容疑者になり、やがては犯罪者になってしまうことがある。

 ネット上で人の特性のごく一部が歪んだ形で強化され続けることで、自分の行動を客観視できなくなり、まともな人が "つぶれてしまう" ことがあってはならない。

 ハンドルの前で「人格が変わる」、ネット上で「別の顔を見せる」といった程度であれば話のネタになるだけで許容できるだろう。しかし、最終的にその行為によって社会の安寧が脅かされる、ましてや人命が脅かされるようなことがあってはならないと思う。

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