「定型発達」第19回-「定型発達」は自分をそれと認識しづらい
#発達障害 ( #アスペルガー #ASD )当事者から見た普通の人達( #定型発達 )の不思議な特徴とその理由について書いていきます。連載。
・ワクチン接種で気づいたこと
コロナワクチンの接種を受けて、一つ気づいたことがあります。
私は左利き(厳密にはクロスドミナントで箸や鉛筆は右)なので接種は右腕にしてもらったのですが、予診で
「左でいいですか?」
と聞かれました。
「どちらにしますか?」ではなく「(数が多いだろうと思われる)左でいいですか?」と質問されれば、大半の人は「はい」と返事すればすみます。
多い方をデフォルトにしておけば効率がいいのです。
・マイノリティはそれに気づかざるを得ない
けれど私は「いえ、右にお願いします。左利きなので」と答えました。理由は不要だったかもしれませんが、つけた方がいいように思いました。
これに限らず、自分がマイノリティ側であるもの(私の場合、左利きの他にASD、女性、趣味など)は、しばしばそのことを意識する場面に出くわします。
いい悪いではなく「そのような属性を持っていること」を認識しやすい、あるいはせざるを得ないわけです。
・定型発達は「見えざるマジョリティ」
発達障害の存在が社会に知られたのは近年のことで、まだ十分理解されているとは言えない状況です。
ワクチンのように「左でいいですか?」と確認されることもなく、殆どのことは定型発達であることが前提で行われます。
なので、定型発達の多くは「自分が定型発達である」という認識を持つ機会が殆どありません。自分がマジョリティであること(=「発達障害者」というマイノリティがいること)に気づきにくいのです。
いわば「見えざるマジョリティ」である定型発達が、そのことに気づくことが、発達障害者への理解につながるのではないかと思います。
まとめ
ワクチン接種の経験から、マジョリティはそうであることに気づく機会が少ないと感じました。
定型発達にとって、自分が「定型発達(というマジョリティ)である」と気づく機会はなかなか得られません。
気づく機会をふやすことが、発達障害への理解につながると思われます。
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