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「定型発達」第6回-定型発達は「気遣い」ができる

#発達障害#アスペルガー )当事者から見た普通の人達( #定型発達 )の不思議な特徴とその理由について書いていきます。連載。

・定型発達は「気遣い」ができる
・自他の境界の曖昧さ
・「気遣い」の限界

・定型発達は「気遣い」ができる

 非言語性コミュニケーションに秀で、グループの中にいたい気持ちの強い定型発達は、グループの他の人達の気持ちに敏感です。
 人の気持ちを「感じ取り」、相手がなにも言わなくても相手の意にかなう(と思われる)行為「 #気遣い 」を行うことが出来ます。
 「 #思いやり 」も似たような言葉ですが、こちらは具体的な行動を伴わないときにも使われます。

 これは成長の過程で身につけていく能力のようで、たいていの定型発達は特に意識することなくこれを行っています。
 例えば相手の体調の悪さや疲れを感じ取り、先に休息を提案するなど、「気遣い」は大変優れた能力であるといえるでしょう。

・自他の境界の曖昧さ

 「気遣い」は、「相手はこう思っているだろう」という自分の推測を「相手はこう思っている」という仮定に置き換える事によって行われます。

 夏に自宅に来た友人に「暑かったでしょう。冷たいお茶をどうぞ」と言ってお茶を出すのはよくある「気遣い」だと思いますが、ここには「相手は暑くて喉が渇いているだろう」という推測から「相手は暑くて喉が渇いている」という仮定への置き換えが行われています。

 しかし、殆どの定型発達はこの置き換えに無自覚です。自分の感じている「相手はこう思っている」という判断に自信があるのです。
 これは、自分と他人(たいていは同じグループの仲間)との境界があいまいなためのように思われます。非言語的コミュニケーション能力の力なのか、彼らは「自分は相手の気持ちをわかっている」とか「相手も自分と同じように感じている」と信じて行動しているように見えます。

・「気遣い」の限界

 しかしながら「気遣い」は万能ではありません。相手の気持ちが必ずしも推測通りであるとは限らないからです。
 夏に自宅に来た友人は、冷房の効いた車に乗り、もしくは来る直前に冷たいものを飲んできたかも知れません。

 私がこの友人の立場なら「今は冷たいものは要りません」と言うか、出されても手をつけないでおくでしょう。しかし、定型発達の場合、出してくれた人の気持ちを気遣い、おいしそうに飲んでしまうかも知れません。

 このように「気遣い」は的外れであったり、お互いが気遣い合って無限に続いてしまったりする可能性があります。
 さらに、グループの外側の人に対しては食い違いが生じやすく、上手く働かないためにストレスを引き起こすことがあります。相手を「気遣いがない」と感じ、不愉快になるのです。
 これは定型発達がいかに「気遣い」を当たり前とみなしているかの証拠ともいえるでしょう。

まとめ

 定型発達がほぼ無意識に使っている「気遣い」の能力について、そのしくみと限界を考えました。
 私は「気遣い」がオートでできないので、一つずつ推測して補うようにしていますが、全く十分ではありません。「気遣い」を当たり前のこととしている定型発達の人には面倒に感じられるでしょうが、言葉で言ってもらえれば、と思うことがしばしばです。

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注意:この文章は著者の個人的な考えによって書かれています。
「すべての」定型発達の人に当てはまるわけではありません。
発達障害には「 #自閉症スペクトラム (アスペルガー症候群を含む)」のほか「ADHD」および「LD」があります。ここではアスペルガーである私の視点からの記述のみを行っています。


 

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