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Moon Flower

「どうすることもできない」ということと、「どうしようもない」は似ているようで異なる。
英語にすれば、「There is nothing to do」と「It cannot be helped」だ。

僕は、ベトナムの空の下で遠く日本のことを思い出していた。それほど遠い記憶ではないものの、距離の問題だろうか。だいぶ昔のことに思える。

季節は巡り、彼女と出会った季節がまたやってくる。

彼女とはもともと会社の同僚ということもあり、よく二人で飲みに行くような、そんな仲だった。

ただ、彼女に初めて出会った時に僕は不思議な感じになったことをよく覚えている。

僕と彼女は、よく二人で飲みにいく仲だったが、僕から誘うようなことは一度もなかった。

僕は元来、女性と話をするということ自体が苦手だ。いや、女性だけじゃない。とにかく話をすることが苦手だ。

仕事の話はできるが、それ以外は全くと言っていいほど、つまらない。話も思い浮かばない。

「つまらない男」それが、僕自身に下している評価だ。

僕が何度目かに彼女と飲んでいた時(小汚い居酒屋のカウンターだった)、不意に彼女はBGMに合わせて口ずさみ出した。

当時流行っていた日本人女性の唄だ。

その姿をみて、なぜか僕はとてつもなく彼女に惹かれた。

彼女は人目を惹く。そして、彼女と飲む酒は楽しい酒だった。

飲みに行くたびに彼女に惹かれている自分がいたが、いい同僚でいることしか、僕にはできない。

彼女は僕が想像していた以上に、大人な部分の隙間から子どもを垣間見せ、そして、天真爛漫のようで、その足元に影が見え隠れした。

僕はそんな彼女の幸せを祈るとともに、僕であれば、彼女を幸せにできるという根拠のない自信を持ちながら、生来のつまらない自分にひどくげんなりしていた。

ただ、

僕から誘うことは一度もなかった。

いつも、彼女が僕を誘ってくれた。

僕がゴールデンウィークに暇ができたとき、なんとなく予定がなくなった旨を彼女に連絡した。

「明日どうするの?」彼女にそう問われ僕は思いついたまま「ピクニックにでも行こうかな」言った。一人で芝生にシートを広げ、自分で作った料理と白ワイン。

ワインクーラーまで持って行って、優雅に料理をつまみつつ読書をしながら酒を飲もうと真剣に考えていた。

「いいね。それしようよ」彼女はそう言った。

彼女が言った意味が最初は分からなかった。

彼女と僕がピクニック?なんで?            なんで僕のピクニックに彼女はくるのだ?

考えてももう遅い。

彼女は、くるといえばくるのだから。

昼くらいという、ざっくりとした待ち合わせ時間に少し辟易した。

元来の性分で人を、待たせるのが苦手な僕は11時20分には待ち合わせ場所に到着していた。


「昼くらい」といえば12時前後30分くらいだろうと検討をつけたからだ。近くのパブでビールでも飲みながら読書をしてゆったりと待てばいい。

彼女が早くくればそれはそれでいいしこなければそれはそれでいい。

結局彼女が待ち合わせ場所に現れたのは12時30分だった。

待ち合わせ場所にきた彼女をみたときに胸が高鳴ったのを覚えている。


公園までの道すがらは彼女の案件の話に終始した。僕の得意分野の話ではあるが、休みの日まで仕事の話しかできない自分にやはりげんなりした。


公園で適当な場所を見つけると僕は鞄からシートを取り出し、作ってきた料理、バケット、さらにワインクーラーまで出して買ってきた白ワインを冷やした。

ワインクーラーは流石に大げさすぎると思うが、自分がしたいのだからしかたがない。

彼女は僕の料理にとても満足してくれたようで、数々の賛辞の言葉をいただき、すぐにビールも白ワインも空になった。

追加の白ワインも買いに行き、いい気分で5月の陽光に眼を細め煙草に火をつけた。

追加のワインも半分ほど無くなって、僕も彼女もそれなりに酔いが回っている。僕はシートに転がり空を見上げていた。


彼女の膝が僕の頭に触れた。

僕は無性に彼女に触れたくなった。思案した挙句出てきた言葉は「膝貸して」だった。

僕はしばらく彼女の膝の上で眼を瞑り、起き上がってまた煙草を吸った。

努めて平静に。

夕方近くになり、ワインも空になり、それでも僕は彼女と離れるのを拒んでいた。

彼女は「私のお客さんがやっているお店に行こうと思うの」と言った。僕は「問題ないなら一緒に行くけど」と言った。彼女は「来て」と言った。


大通りを二駅ほど歩いて店まで行った。会話はやはり仕事の話だ。僕は彼女に触れたい衝動を必死に抑えて歩いた。

店では僕は第一次キャットカバーモードでいい同僚、いいマネージャーの姿で振る舞う。やはり、彼女とのお酒は楽しい。

だいぶ酔いが回って、もう、ここら辺から記憶も曖昧。


店を出て、また大通りを歩いて駅まで向かっている時に、僕は不意に彼女の唇を奪った。


不意にというのは彼女にとって不意にというだけで、ぼくは不意にでもなく、ずっと奪いたかった。

それこそ、彼女と出会った頃から。

それがわかったのは唇を重ねてからだった。

記憶は曖昧でもそれだけは、はっきりと覚えている。


僕は「手貸して」というと彼女は「手貸してって」とケタケタと笑った。「きちんと返すよ」とぼくは唇を尖らせて言うと、彼女はさらにケタケタと笑った。

「いいよ」と言う言葉も待たずに僕は彼女の手も奪った。

そして、年甲斐もなく、大通りを手を繋いで、そして人目もはばからず何度も唇を重ねた。


本当に奪いたかったのは心と人生だったのかもしれない。


ベトナムの陽光。2月でも無闇矢鱈に暑い。

そして、空は無闇矢鱈に蒼い。

クラクションが鳴り響くなか、僕は何本目かの煙草に火をつけた。

つばの広い白い帽子。
白のカーディガン。
青いワンピース。

「きちゃった」

「いこうか」

僕は当たり前に彼女と唇を重ねそして手を引いた。





















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