肩書至上主義の人たち
こんにちわ、Kimmyです。一生懸命に努力をして評価され、その結果、昇進をすると自分が認められた気がして、承認欲求が満たされることはあります。そして、その後は新たな目標に向かって頑張ろうと思えることも事実です。しかし、昇進は他人による評価によって行われることで、自分から昇進したいとアピールするのは、どこか違う気がするのです。ところが、自分の昇進の為には手段を選ばず、どうかするとライバルの悪口を言いふらし、評価や昇進の担当上長に必要以上にゴマをするような人を時々見かけます。そのような姿が他人からどう見られているかは、あまり気にしないのでしょうが、はたで見ていると滑稽にしか見えません。そのような人は会社では肩書で呼ばれることに好み、政治家も先生と呼ばれることを好んだりします。ある程度の肩書になったら、当然、尊敬されるものだと信じ、その肩書に相応しい扱いをしてもらうことを求めたりします。
私は、これまで、上司を肩書で呼ぶことは、あまりしたことがなく、自分自身も肩書で呼ばれるのを好みませんでした。私は、肩書というのは、単なる役割だと思っています。社長には会社経営という役割があり、部長や課長、マネージャー、一般社員やもちろん非正規社員にも会社の戦略や方針に準じたそれぞれの役割があるだけで、どちらが偉いとか立派だとかではないと考えています。リーダーには、もちろん決定権や責任はありますが、部下に対して高圧的である必要は全くないのですし、どちらが敬われる人ということもないと思います。ところが、役職が上になるほど、偉い人で、無条件に尊敬に値すると考え、妙に威張ったり、不機嫌だったり、部下に不当な指示を出して平気な顔をしている人を見かけます。そして、とても残念で気の毒な人だと感じます。あまりにも威張ったり、自慢話ばかりする人は、劣等感の裏返しのような気がしてしまうのです。自信がないのかもしれませんが、新たに学ぶこともあまりないように見受けます。
このようなタイプの人は、比較的、部下の意見を聞いたりすることが少ない支配的なリーダーが多いように感じます。部下は上司のいう事さえ聞いていれば良くて、部下の多様な意見など求めていないという感じです。又は、形だけ聞いていても、最終的には自分の意見を通してしまうのです。もちろんリーダーシップは大事ですが、あまりにも独創的かつ時代の流れを気にしないようなトップダウンの組織は、変化することがとても難しくなるように思います。役職に関係なく、グローバルな視野を持ち、様々な立場の人が多様性のある意見を述べることができるようになることが大切ではないでしょうか。上司も必要以上に自分の価値観に囚われることなく、新たなことにチャレンジできるような組織でなくては、会社も政治も変わることができないのではないかと、衆議院選挙期間中の候補者の名前連呼の選挙カーの騒音に顔をしかめながら、改めて感じています。
2021年10月31日
Kimmy Ikuko Iwamoto
Office Kimmy代表
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