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出世しなくても素晴らしい人生がある

数年前、高校時代の恩師が退職されるとのことで、同級生で盛大なパーティを開いた。そして、その時の先生の挨拶に胸が震えた。

「私は36年間、ただ授業に専念し、生徒と共に過ごしてまいりました。平凡に徹し、右顧左眄しなかったことが私のささやかな誇りです。そして教え子たちが、私をどんどん乗り越えて大きく成長した姿を見るのは何よりも嬉しく、教師としての喜びでありました」

図1

私たちを担任した頃の先生は、まだ若くて熱血教師だった。
その後の教師生活についてはほとんど知らないけれど、校長先生になったとか偉くなったとかいう話は聞いたことがない。

「平凡に徹し」というのは、教育界の上層部に上る戦いに挑まず、ひたすら現場の先生に徹したということなのかな。

「右顧左眄しなかったことが私のささやかな誇りです」
生徒そっちのけで偉くなりたがる人も多い中、ひたすら生徒と向き合い、生徒を育むことに情熱を捧げた先生らしいなと思う。時には生徒のために、降格になることすら恐れなかったんじゃないかと。出世の競争に挑まなかった代わりに、きっと理不尽な権力には断固として戦ったんじゃないかと思う。

私は高校2年の時にこの学校に転入した。
正直その頃は高校生活が楽しいとは思えず、転校したことをちょっぴり後悔してもいた。規則に縛られ監視される生活と、それに抗う気力を失くした生徒たち。自由奔放な以前の学校との落差に、愕然としたことを覚えている。

ところが、3年になってこの恩師と巡り合い、空気が一変した。

2年の時にどう過ごしたのか全く思い出せない学校行事も、3年の時はとにかく楽しく、一気に学校生活が充実していった。

その理由はよくわかっていなかったけど、その裏に、先生が命を掛けて取り組んだ生徒会活動があったこと、その革命のスタートが私たちの学年だったこと、この文面で初めて知った。

とにかく愛情を持って接してくれ、いつも矢面に立って生徒をかばってくれていたなぁと思い起こされる。

(クラス関係なく当時結構悪かった人たちもパーティにたくさん来ていた。そして意外とフツーの人になっていた・笑)

今になって初めて知る。この先生のクラスだったからこそ、あれだけ充実した生活が送れたのか。

偉くはなれなかったのかもしれないけど、結局、こうやって最後に100名近い教え子たちが集まってくる(うちの学年だけで!)先生の人望は、「偉くなった」人とは比べ物にならないくらい大きなものかと。

そして、定年後も人生は続く。信念を曲げて出世してみたら、その後何が残るんだろう。右顧左眄せず仕事人生をまっとうした後には、清々しい世界が広がっている。

先生お疲れさまでした!!!
そして、私たちが先生を乗り越えることが喜びなら、遠慮なくどんどん越えさせていただきます!
先生のような教師に出会えて、私たちは本当に幸せでした♪

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