見出し画像

本当に余計なお世話だった苦い思い出

毎年この日が来ると心が痛むちょっぴり苦い思い出がある
私の「余計なお世話」が本当に余計になってしまった反省の思い出

20代の若造だったころ、長崎には出張でよく行っていた
特急を長崎のひとつ手前の浦上で降りる
私が向かうのはそこからタクシーで20分ほどの、道の尾というちょっと不便な場所
なので若造のくせに、駅からタクシーで向かうことが許されていた

その日は何故か多くの人がゾロゾロと浦上駅で降りた
今日が何の日かも知らない私は、ちょっとマズイなと思っていた
だって、このマイナーな駅にはそうタクシーはたくさんいない
アポの時間に遅れるなんてことありませんように、、、と

ジリジリ太陽が照りつける駅前、案の定タクシー乗り場には長蛇の列
イライラしながらタクシーを待つ
やっとやっと私の番がやってきた!

何とか遅刻せずにすみそう、そう思った時、ふと後ろを見ると
腰の曲がったお婆さんが日傘をさして、疲れた顔で立っていた
うーん、譲ってあげたいが、次のタクシーがすぐに来る保証はない
一瞬迷ったけど譲れない、、、
でも、もし通り道だったら、乗せてあげたらいいんじゃないかとひらめいた

聞けば「長崎大学に行く」という、それなら通り道だ
いつも大学の前を通ることを知っていたし
念のため運転手さんにも聞いてみたら「通りますよ」と

お婆さんと一緒にタクシーに乗り込んだ
何をしに行くのかと聞いたら、原爆の式典に行くのだとのこと
お兄さんを原爆で亡くしたんだけど、遠くに住んでいてこれまで一度も参加できずにいた
自分も年なのでこの機会が最期だから、頑張ってやってきたと

タクシーのラジオからは、すでに始まっている式典の放送
そうか、特急が満席だったのはこのせいだったのかと、今更ながら気付く
11時2分、サイレンが鳴る
お婆さんと一緒にタクシーの中で手を合わせた

「長崎大学着きましたよ」運転手の声
門の中はシーンとして、イベントがあっている様子はない
「???」
ポカンとする私たちに運転手が言った
「大学病院の方じゃないですか?」と

今ならわかる
式典は平和公園だし浦上駅からすぐのところにある
その近くに長崎大学の坂本キャンパス、大学病院もある
私が知っていた長崎大学は、別の場所にある文教キャンパスだった

画像1

「ここで降ります」とお婆さんは、その全く関係のない場所でタクシーを降りた
私はそれを追いかけて、正しい場所までお連れするなどの機転も持ち合わせておらず、呆然とお婆さんの後ろ姿を見ながら、まだ「遅刻できない」気持ちが勝っていた
運転手に「何で早く言ってくれなかったの!」と怒ってみたけど
若造の言うことなんて聞く耳なく無視を決め込まれた

お婆さんがなぜ「長崎大学」と言ったのか、今となってはわからないけど
私が余計なお節介をしなければとっくに現地に行けていたはず
中途半端な親切がアダになった、若かりし日の苦い思い出です

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?