ここ一ヶ月で自分の身近な人や自分の身近な人の身近な人が亡くなる機会が続いたこともあり、「生きる」って何だろうと改めて感じる時間が増えている。
天国に行ったらそれでおしまいなのか、輪廻転生するのか、そもそも天国なんてないのか。そんなことはわからないけれど、でも間違いない事実としては「生きる」という一つの区切りが終わり、私が私であると意識できている状態が終わる。
そう考えると、何か成功をするとか大きな実績をなすとか、そういうことではなく、それはあくまでも結果論であり、日々を喜怒哀楽豊かに感情を感じて過ごすことこそが生きるという事なんだろうなと思う。
2017年に癌宣告された時、その数年前から、思えば心が死んでいたように思う。感じることが減り、怒りは増え、恐れから何かにチャレンジするワクワク感は減っていた。
癌になったことで、目の前のがんじがらめから強制的に解放され、それによって、感じることを取り戻した闘病の2年間だったと思う。
恐怖、不安、目の前の喜び、ちょっとした瞬間の安堵感。そんなものをそれまでさぼった分を取り戻すかのように感じまくったのを覚えている。
日常に埋もれるとまたついうっかり忘れてロボットのようになりがちだけれど、私達はロボットになりたいわけではないと思う。
人間が持っているこの喜怒哀楽をたくさん感じる為には、目的が成果ではなくて、そのプロセスの中でたくさんの事を感じることであるという事を忘れてはいけないなぁと思う。
私は死ぬ前に「生き切った」と感じて死にたいといつも思っている。
その生き切ったとは、きっとロボットの様にこなした、ではなく、たくさんの失敗とたくさんの白い目とたくさんの批判を受け流しながらも、自分が心揺さぶられることにチャレンジしたり、悔しい思いを全力で感じたり、そんな多動感たっぷりの生き方感じ方をすることなんだろうなと思っている。
今月、私が生まれ変わった場所、リボーン洞戸にて、滞在者さん向けにワークをやらせてもらえることになった。
それは「許すワーク」
許すためには、まず許せていない事に気づく必要がある。
気づくためには、ロボットの様に動けるために、押し殺してきた自分の感情や体験を思い出す必要がある。押し殺したのは、それを感じるのが辛かったりいたたまれなかったりするからだ。
その感情すらもしっかり受け止めて感じると、心がふわっと軽くなるので、そのワークをするのだけれど、同時にそれらの押し殺した感情を受け止めるって、本当に「生きる」だなぁと思う。
楽しみだし、私自身も一緒に改めて感じ切り、そして受け止め、生きている感覚を味わいたいと思う。
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