二〇一五年八月 弐

scene 53

高校生たちと別れた俺達は石川宗家へ帰宅した。
「広いにもほどがあんだろこの家。自然公園かよ」
門をくぐって歩きながら、リョータローがあらためて皆の気持ちを代弁した。
「俺んち住所の何丁目、くらいのエリア全部って感じだなこりゃ」
ミギの自宅は数えきれないほど訪れたが、たしかにそうかも。
「建売住宅が何軒建つかなここ」
コトブキは建築関係のバイトをしていたと言う。
「俺の田舎にも旧家みたいなのあるけど、ここまでじゃないな」
長野県出身のキタが周囲を見回す。
「お母さんのこと、理事長って呼んでたなお前」
「お母さんは学校と家でまったく変わるから」
「そういうお前もな」
「切り替えが大事なんだよ」
「お父さんって政治家っていってたけど、案外とっつきやすい人だな」
「逢った最初の頃はめちゃくちゃ機嫌悪かったけどな」
「一人娘を金髪のバンドマンにさんざんヤられた日にゃ、父親ならそら怒るわな」
「さんざんって、何百回とかしてねぇよ」
こんなバカ話をしながら歩いていると、練習の後みんなで街を歩いていたのを思い出す。
「ちょっと、私いるの忘れてない?」
雪江が真っ赤になってミギに食って掛かる。
「あーごめんごめん。でも雪江ちゃん、ここで育ったんだな」
ミギが雪江を見る。
「そ。私が守りたいものは、このおうちと、あーくん」
雪江は照れもせず言う。
「これだけあからさまにのろけられると、むしろすがすがしい」
コトブキが笑う。
「俺はJETだな。守るってか育てるってか」
ミギが言った。
「ついてきますよ、リーダー」
リョータローがミギに向かって敬礼し、メンバーがそれにならった。
「ただいま帰りました」
居間へ行くと、塚本社長と五兵衛さん、軍兵衛さんが父と酒を酌み交わし始めており、祖母は傍らでニコニコしている。
「おう帰ったが、座れ座れ」
ごきげんの父が皆を招く。ミギが一礼して席につくとメンバーが座る。俺と雪江も席ついた。大人数であるので、普段見かけない座卓が追加されている。これも年代物の重厚なものだ。孫兵衛さんが出してきたものか。部屋がでかいので、座卓を追加したくらいでは狭く感じない。
「先生、あらためましてうちの者を紹介します」
塚本社長がビールのグラスを置いて父に語りかけた。
「あー塚本さん、うづはよ、先生がほかに二人いっから、俺ば先生て呼ばねでけろ」
「たしかにそうだ、ではお父さんでいいですか。石川さんもたくさんいるわけだし」
「んだんだ、ほんでいい。塚本さんば社長てよばっとすっと、おらえの軍兵衛も五兵衛も社長だすよ、ややこすいがら塚本さんて呼んだんだす」
父は方言全開だが、塚本社長は大体の意味を理解しているようだ。
「では、お父さんに近い方から、右田義春、遠藤寿、山崎良太郎、大北一樹、です。ウチ一押しの新人バンド、JET BLACKです」
「よろしくおねがいしまーす」
メンバーが一斉に頭を下げ、雪江が拍手した。おそらくほうぼうでこうして挨拶をして回っているのだろう。
「おかえんなさい、たくさん飲んでね~」
母がグラスを持って居間へやって来た。ビールのケースを孫兵衛さんとマサシさんが持ってきて、祖母の脇に座ってお相伴に預かる。
「右田さんはお酒ダメなんですってね、烏龍茶とか持ってこようか?」
「え、なんで知ってるんスカ」
「雪江に聞いたわ」
「いや、でもまったくダメってわけじゃないし、なんか飲みたいっす、アイと久しぶりに会えたし」
「あら、頼もしいわねぇ」
「…ってか、学校と違いすぎません?」
「家ではお母さん。公私の区別をきっちりつけるのが石川家の流儀なのよ」
「では、JET BLACKの人気爆発と株式会社BBミュージックのますますのご繁栄を祈念いたしまして、乾杯!」
父が政治家らしく手慣れた音頭の取り方で、乾杯を宣言した。
皆がビールを一気に飲み干し、拍手が沸き起こる。
「いっぱいあっさげ、いっぱい食ってけろな、田舎料理ばんだげっと」
野菜の煮付けを盛った器を抱えて、翔子さんも加わる。
「ほんて、しぇーおどごばんだー」
ミギが雪江に通訳を目で頼む。
「本当にカッコイイ男の子ばっかりだわー」
リョータローがイェーイと叫ぶ。
「やんだー、ちゃんと標準語で話しないとねぇ」
翔子さんは言語モードを切り替えた。
「皆さん、あーくんのお友達なわけね」
「そうね、あーくんと出会ったきっかけの人たちよ」
翔子さんと雪江がごくごくビールを飲みながら話す。
「俺だけがお友達じゃなかったの。アイがやめてから友達になったけど」
コトブキが笑う。凶悪な人相は酒でほぐれつつある。
「髪が金だの銀だのは仕事柄ですもんね。うちは土建屋だけど、時々真っ茶色とか金髪とかの子が面接に来るけど、体力ない子のことが多くてさ、最近は最初からお断り」
「俺、体力は自信あるッス」
ミギが長い金髪を後ろで束ねて、笑いながら言った。
「右田さん、昔のあーくんみたいな髪型」
「髪型だけでもアイの痕跡を残したいんだ、JETに」
「フフ、あなたらしいね」
雪江とミギは、不思議な連帯感で結ばれているようだ。
「右田くんのご両親は、何しったのや」
父がミギに尋ねる。ミギはだいぶ山形弁に慣れたようである。
「普通の会社員ですよ。母は専業主婦。ウチも石川家ほどじゃないですけど、ずっと東京でして、代々桶屋だったそうです。父親が普通に会社勤めしたんで、絶えましたけど。仮に親父が継いでても、俺の代で終わってましたね」
「あー、ミギんちに行くとおじいちゃんがいっつも桶作ってたのは、趣味でやってんじゃなかったんだ」
「話したことなかったか。じいちゃんはまだやってるよ、一応。古い馴染みの人が注文してきたり、芝居の小道具とかで需要はあるんだって。納品は何年待ちになるかわからないってよ」
「んだなー、寒河江にも桶屋は昔何軒かいたけんど、今は全部やめたもな」
父が興味深げに頷いた。
「リョータローさん、私を打ち上げに誘った子は、今どうしてるの?」
雪江がリョータローに話しかける。
「え?何の話?」
「私がはじめて打ち上げ行って、みんなとあったとき。あの娘、リョータローさんの彼女だって言ってた」
「え。マジ誰だかわかんね。誰だ」
「相変わらず最低だなおまえの女癖」
キタが牛乳のようにビールを飲みながら、リョータローを小突いた。
「うづはほだなごどしたら、家さ入れでもらわんねぐなる」
軍兵衛さんがゲラゲラ笑った。
「社長、墓穴掘ってる」
マサシさんが茶化した。
「うちの人ね、前にちょっとオイタしてくれてねぇ。三週間ほど家から追い出しましたの。会社でも一切口を利かず」
翔子さんは軍兵衛さんに一瞥をくれて言った。
「社長、うちに泊まりに来たし」
「うちにも来たわねぇ、軍兵衛さん」
「あーくんには、ウワキシタラコロス、って言ってあるから大丈夫」
俺は以前着信したウワキシタラコロスのメールを開いて、みんなに見せてやった。また爆笑がおこる。
「塚本さん、音楽事務所って結局どういうごどすんなや」
軍兵衛さんが慌てて話題を変える。
「そうですね、音楽事務所って、けっこう経営者によって違いますけど、基本は抱えてるアーティストが売れて、コンサートで収益上がって、曲が売れて、あとは物販とか権利関係で、利益出すわけですよ」
「ほうほう」
軍兵衛さんも企業の経営者である。
「事務所によっては、アーティストから金を取るとこもありますね、所属料として」
五兵衛さんが補足する。
「私は、企画型だと思ってます。いろんな企画を出してアーティストごと売り込む。野外フェスとか。こいつらから利益上げるのは、売れてからだと。それまでは投資」
「昔は売れっ子がひとりいれば自社ビルが建つって言われましたけどね、今はCDも売れないし」
「社長は配信を早くからやってたもんね」
ミギも大人の会話に加わった。
「一枚のCDを高い値段で売るんじゃなくて、薄く広く集金できないかなってね」
「なるほどなぁ、薄く広くか」
父が感心した。
「儲けさせてよ、塚本さん」
五兵衛さんが塚本社長に乾杯の仕草をして、また笑いが起こる。
「キタさん、日本酒と焼酎とウィスキーとあるけど、何がいい?」
「ウィスキー…かな。しばらく飲んでない」
「給料は出してるだろ」
塚本社長がツッコミを入れる。
「キタは飯食いすぎなんだよ」
コトブキが笑った。彼も酒は結構イケる口らしい。
「ご飯も食べたかったら言って」
雪江がそう言ってキタに笑いかけた。
「婆ちゃんと姉さんの料理は美味いよな」
五兵衛さんがニコニコして言う。姉さんとは言うが、五兵衛さんのほうが年上だ。
「五兵衛さん、私も作ったんだけど」
翔子さんも酒豪らしく、ビールを水のように飲む。
「帰ってくっとき、途中飲み屋あったじゃん、二次会行こう二次会」
珍しく酒を飲んだミギが顔を赤らめてそう言った。もっともミギは酒を一切飲まずに最後まで付き合って騒ぐのだが。
「さんせー」
コトブキがさっそく立ち上がる。
「あんまり遅くなんないでね」
母が声をかける。
「ほどほどにな」
塚本社長も一言添える。大人チームはなにやらまじめに話をしていた。
「了解っすー」
馬鹿キャラが定着しているリョータローが塚本社長と母に敬礼する。
「雪江ちゃんも早く」
キタが雪江に声をかける。雪江は後片付けをしようとしていた。
「雪江ちゃん、かまねさげ一緒に行って来いっちゃ、いいべ、お姉さん」
翔子さんが微笑んで言い、母に了承を求める。
「行ってらっしゃい雪江、久しぶりに会ったんだしね」
「ありがと、お母さん、おばちゃん」
雪江はにっこり笑って立ち上がる。


scene 54

「カラオケやろーぜー」
リョータローがはしゃいでいる。ミギが言っていた途中あった飲み屋というのは、やはり五十嵐の親がやっている店だった。
「こんばんわー」
リョータローが店のドアを開け、大声で挨拶する。
「いらっしゃいませー、キャー雪江様」
予想通り、五十嵐が雪江に気づいて飛んでくる。
「うれすいー、雪江様はじめてウチさ来てけだー」
五十嵐は雪江に抱きつこうとしたが、雪江が軽くいなした。
「優菜、私らお客さんと一緒だから、騒がないで」
「あーん失礼いたしましたーこちらどーぞー」
ある程度まともな接客をしている五十嵐にちょっと驚く。
雪江は席に着く前に五十嵐に、焼酎をボトルで、水割りとウーロン、と手早く注文する。五十嵐はフロアを歩きながらカウンターの中へそれを伝えた。席についておしぼりが出てくるのと一緒に、ご注文の品が届けられる。
「あれそういえば石川センセもいる。このハデな人たちとお友達なん」
五十嵐はフロアにひざまづいて、焼酎の水割りを作る。
「そうだよ俺ら石川センセのオトモダチ。あ、俺ウーロン茶だけにして」
ミギが俺の肩に手を回して笑う。
「お姉ちゃん若いねー」
リョータローが五十嵐の顔を覗き込む。
「うちの学校の三年生だ」
俺は苦り切って言う。
「うっは、正真正銘のJKかよ」
コトブキが目を丸くする。
「稼業だってことと一八歳には達してるってことでな、理事長も黙認してる」
「フリーダムな町だなおい」
キタは酔いが回ってくるとよくしゃべる。
「あーくんが所属してたバンドのみなさんよ。西川君の就職面接に来てくれたんじゃない」
雪江が五十嵐を諭すように話す。
「え。富士男の就職?あ、そうか、音楽事務所の、社長さん来るって、今日だったんだ」
五十嵐がグラスをそれぞれに渡して言う。
「おうよ、富士男とハルヒは、うちの事務所で面倒見ることになったからな、カンパーイ!」
ミギが大声で言い、皆グラスを高く挙げて乾杯と叫んだ。
「西川君の就職内定よ。ハルヒちゃんもセットで内定したってさ、良かったね優菜」
五十嵐は雪江の言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
「富士男、内定?マ、ママ、ママ!」
五十嵐はママママ言いながら店の一角へ駆けていく。こちらからは死角になって見えないほうだ。
「なんか天然っぽいな」
バカキャラのリョータローが五十嵐をみやって笑った。
「JKなのにすげえ化粧濃かったな」
コトブキはJKにこだわりがあるようだ。
「化粧なんかしなくてもすごく可愛い顔してるのよあの子。厚化粧やめろって注意してるんだけど」
雪江が苦笑しながらフォローした。
「雪江様に若旦那、どうもいらっしゃいませ」
落ち着いた雰囲気の女性が俺たちの席にやってきた。五十嵐も一緒に来て、末席に座る。
「いらっしゃいませ皆さん。当店のママで、優菜の母です」
普段テンションが高めな五十嵐だが、母親はゆったりと落ち着いた雰囲気だ。お世辞にも若いとはいえないが、美人である。五十嵐は美少女だと雪江も認めているわけだが、そのDNAはここ由来か。
「富士男の就職のこと、いろいろお骨折りいただいたのよね、若旦那。本当にありがとうございます」
「いやべつに、俺は何も。決めたのはコイツらの事務所の社長だし」
俺はミギたちを振り返って言った。
「富士男の母親って、私の後輩なんです。高校出て、家の農業手伝いしながら夜はこの店でバイトしてたの。私は親からこの店を引き継いで必死でやってた頃」
ママはそう語りながら、キタのグラスが空になりそうだと五十嵐に目で指示をする。五十嵐は真剣な表情で飲み物を作る。そしてにっこりと笑ってグラスをキタの前においた。
「あの子のおかげで、たしかにお客が増えました。とにかく若いし、美人だし、明るいし。大助かりだった。やらしい話だけど、お給料は歩合制にしてたから、あの子にお客さんが付けばどんどん実入りが増える。ちょっと、浮くぐらい派手になっちゃって。鉄次郎じいちゃんが嘆いたわ、あのときこの店をやめさしぇどげばいがった、って」
俺たちはいつの間にか黙ってママの話を聞きいっていた。
「西部工業団地ができていろんな会社が入って、お客さんますます増えたの。大きな会社の工場といくつかあって、そういうトコって、本社から単身赴任とかで引っ越してくる人もいる」
「俺が高校入った年から二年、オヤジ富山に単身赴任してたわ。オヤジ帰ってくるのと俺が高校中退したの同じタイミングー」
リョータローが合いの手を入れる。ママがにっこり笑ってリョータローのグラスを五十嵐に渡した。
「この先はだいたい分かるわよね。単身赴任してたお客さんとデキちゃって。異動で寒河江を離れるときに、ついて行っちゃった。その後、完全に音信不通になったの。それが、二〇年前」
「なんかのドラマみてぇだな」
ミギがウーロン茶を飲みながら言う。
「それで、一五年前、ふらっと帰ってきたのあの子。やっと歩き始めたくらいの富士男を連れて。だいぶ疲れた感じだった。いろいろ話を聞いたけど、けっきょく追っかけていった人には逃げられて、東京の横田基地の近くで暮らしてたんだって。ご想像どおりホステスやってた。そのときにアメリカの軍人だって富士男の父親と知り合って、富士男が生まれた。富士男が生まれてすぐくらいに、父親は急に帰国しちゃった。必ず迎えにくると言ってたらしいけどね。なんとか頑張ったけど、貯えも底をついて、寒河江に帰ってきたってわけ」
「でも、結局西川を置いてったんでしょう。母親としてどうよそれ」
俺は柄にもなく母親としてとか言ってしまった。
「若旦那の言うことももっともよね。でもあの頃のあの子、ほんとにボロボロだったの。またここで一年位バイトしてたけど、富士男の父親と連絡が取れたのね、富士男が幼稚園に通いだす直前に消えちゃった」
「可愛い盛りだよね、それなのに」
雪江が憂いの表情でつぶやいた。
「精神的に参ってたのよ。ここでバイトしてるときも、急に大笑いしたり泣き出したり、不安定だった。お客さんもちょっと気が付き始めて、やばい女かもしれないって。若旦那、一杯ごちそうになってもいい?喋りっぱなしで喉乾いちゃった」
どうぞどうと俺は言い、ママは五十嵐に飲み物を言いつける。働いている五十嵐は、俺が見たことのない真面目な顔だ。
「富士男が中学生の時、あの子、富士男の父親と突然やって来たのよ。いま富士男と会ってきた、両親は会ってくれなかったって言ってた。あ、とりあえず、その時は最初に一発ビンタしたけどね」
「グーで殴るべきだなそこは」
キタはうまそうに酒をあおる。
「富士男と会ってきたときも泣きっぱなしでしょ、もう目が真っ赤よ。泣いて泣いて、ずっと詫びてたわ。すぐ迎えに来るつもりだった、って言い訳してた。その気持は嘘じゃなかったんだろうけどね。富士男に許してもらおうなんて思ってないけど、せめて富士男の顔が見たかったって。もう一発殴って、あの子と抱き合って泣いたわよ私も」
「両親離婚して母親出てったあと、実は俺も泣いた」
凶悪犯顔のコトブキが、ぼそっと言った。ミギが優しくコトブキを見やる。
「私があのときもう少しあの子を気にかけてれば」
「いやいやいや、ママ、それじゃ富士男が生まれてこないじゃんよ。結果オーライでしょ。今日はじめて会ったけど、富士男いい人間だよ。ママみたいな大人に言うと怒られっかもだけど、俺、けっこう人を見る目あるんだ。富士男はすぐわかったよ、こいつはまともな人間だって。だから大丈夫。富士男は俺たちと一緒にやってくよ」
「ふふふ。キミとか私の子供みたいなトシなのにね。なんかフシギ、安心したわ。キミたちと一緒なら富士男はもうぜったい不幸にならないって思う」
「別に今までも、ひどく不幸だった感じはしないけどな、西川。じいちゃんばあちゃん、大泉、みんないたし」
俺は酔いが回り、声が大きくなる。そして俺たちの席の前に、男が一人ふらっとやって来た。


scene 55

「ママが帰ってこねえと思ったら、石川センセか」
國井だった。こいつも酔っている。
「アイ、お知り合いか」
ミギが俺に尋ねる。國井が俺に敵意を抱いているのを、敏感に感じ取っているのだ。片方の眉を吊り上げて國井を見ているが、ミギは怒るとこれをやる。
「あぁ、彼も学院の三年生だ」
「まったくフリーダムな町だな、高校生が普通に店で酒飲むのか」
キタがゲラゲラ笑う。
「彼はね、もうハタチすぎてるのよ。事情があって高校に入り直したの」
ママがフォローを入れた。
「あぁ石川センセ、富士男のこと、どうもアリガト」
國井は末席にいた五十嵐の横に座ってタバコをくわえる。五十嵐がすかさず火を差し出した。
「おいおい、まったく感謝してねえなこいつ」
コトブキが持ち前の凶悪な顔で國井を睨みつけた。
「アイにケンカ売ってんだろ、わかってやれよ」
キタは、シラフのときにはめったに見せない笑顔になった。
「アイ、こいつ富士男のツレなん?」
リョータローは國井からいちばん遠いところに座っているが、飛びかかる気満々だ。
「んーとな、西川と、昼間の元野球部、この國井の三人がツレだな。國井も、そこの五十嵐も、軽音部だ」
「そっか、富士男の友達なら仕方ねぇな、みんなケンカやめよ」
ミギが明るく言うと、JETのメンバーにみなぎった危ない空気がふっと消えた。JET BLACKはリーダーのミギに従うのがルールなのだ。
「あぁ?なんかカンにさわんなぁ、人の友達勝手に呼び捨てにすんなや」
國井はいらついている。
「みーさん、ダメだぁ、この人だ、センセイも、富士男のために」
五十嵐が半泣きで國井を押し止める。
「なんか知らんがカリカリするな、一杯やれよ」
國井に再び飛びかかろうとするリョータローを片手で押さえつけながら、キタが悠然と酒を飲んでいる。キタは酒が入ると、普段の寡黙さが嘘のように饒舌になる。
「なんだ優菜お前まで。大体、気に入らねえんだよセンセイよぉ。富士男も柏倉も手なづけてられて、惚れた女かっさらわれてなぁ」
國井が激昂して立ち上がる。
「やがますい、ミノル!私の最初の男だべ、キリッとすろ!みっだぐない!」
雪江も立ち上がって大声で言い返し、國井の頬を思い切り叩いた。店に乾いた音がこだまする。
「私、あなたが大好きだったよ」
方言で罵ったあと、雪江は標準語で静かに語る。
「でも私は、今はあーくんの妻なの。この人がいちばん好き。わかってよミノル」
五十嵐が國井にすがって大泣きする。
「みーさん、頼むがら、頼むがら落ち着いで、雪江様のゆうとおりだぁ、オラだって、ほおだなごど言うみーさんなの、好かねちゃあ」
五十嵐に引きずられるように、國井が腰を落とした。そしてがっくりと項垂れる。
「あーあ、雪江ちゃんかっこいい」
リョータローが笑ってキタの手を振りほどいた。
「ミノルくんだっけか、これだけ直球ど真ん中でフラれりゃ、もう言うことねぇな?」
コトブキが真面目な顔で國井を覗き込む。
「なんでだよ、なんであんたそんなにどっしり構えてんだ?雪江の最初の男が俺だとか、雪江の口から出て、なんで平気なんだ?」
國井が俺にむかって吼えた。まぁ、あまりにあまりなことで、あっけにとられていたというのもある。
「雪江が言ったろ。俺は雪江のダンナだ。それ以外に何が要る?俺は、死ぬほど悩んで、最高の仲間だったコイツらじゃなく雪江を選んだんだ。雪江を最初に抱いた男が誰かなんて、どうでもいいわそんなこと」
「まったく、俺らは雪江ちゃんより軽かったんだぜ、キタ一人で雪江ちゃん二人分あるのにな」
ミギが明るく笑うと、國井以外が笑った。
「なしてや、あんたらだって先生と同じ年だべ、俺どたいして変わらねべした。なしてほだい大人なや」
國井はボロボロと涙を流している。酔いもあるのだろう、普段の怜悧な表情はかき消えているし、普段あまり方言で話さない國井が方言全開だ。
「俺らが大人なんじゃない、お前がガキすぎるんだよ」
キタが分厚い胸板を反り返らせ、大仰に語った。
「富士男と柏倉がアイになついた、柏倉ってあの元野球部か、いい身体してたな、いやどうでもいいか。アイになついたってなんだよ。お前がアイに反発してるからツレもそうしろってか。どんだけエラいんだよお前」
キタが本当によくしゃべる。
「俺らはこのミギをリーダーだと思ってる。それはな、ミギが言うことやること考えてることがだいたい間違ってないって、みんな認めてるからだ。トシで決めたらこの俺がリーダーだけどな、俺間違うからゼッタイ」
コトブキが低い声で諭すように言った。そういえばコトブキは二歳年上だといってたな。
「おまえ高校入り直したんだってぇ?えれぇもんだ、俺なんか二年でやめたぞ高校。頭いいんだろ、俺みたいな中卒にケンカ売ってんなよ」
リョータローが腕のタトゥーをなでて言う。
「んだなーミノル、あんまりみだぐないごどすねでけろ」
さっきまで流暢に標準語で語っていたママが、方言で國井を戒めた。方言だが、語調がきついのは皆わかったようだ。
「おまえ、山形でいづばんの進学校三年の一学期でやめで、次の年学院入り直して、ずっと成績トップだべ。やめだ理由だてまっとうで、スジ通したんだ。そんで来年、東大はいるんだべ。そんでおらえの娘ばけでやんだじぇ。おらえの息子になんだがら、はずがすいごどすんなやめでけろ」
俺は小声でママの山形弁を皆に訳してやる。みながほほうと感心する。
「雪江様にあだなタンカ切らっで、男冥利っだなねぇ」
ママがにっこり笑う。
「えーこんばんわ若旦那」
今度は、けっこう出来上がった荒木がやって来た。
「この皆さんが若旦那のバンド仲間?どうもはじめまして荒木ですー」
荒木のことを皆にざっくり紹介する。荒木は一人ひとりと軽く乾杯をしてから、うなだれている國井に言った。
「ミノル、清志郎がおまえに話があるとよ。カウンター行け」
荒木は厳しい口調でそう言い、國井をにらみつけた。五十嵐が國井を立たせて席を去る。空いた席に荒木が座って、深々と頭を下げた。
「あのミノル、バカじゃないんで、あとよーっく言って聞かせますんで、どうか皆さん、お腹立ちをおさめてください」
荒木は真面目な顔でミギに向かって頭を下げた。
「陸ニイとオニシロウちゃんにまで手間かけさせて、ミノルったら」
雪江がグラスに口をつけ、一気にあおった。ミギが拍手をする。
「荒木さん、俺らべつに腹立てたりしてませんから、どうかお気遣いなく。あのカッコいいお店のオーナーなんですってね」
ミギは大人と上手に会話ができる。
「荒木さんは俺らの先輩だぞ、同じ大学だ」
俺は少しでも場を和ませようと考え、大学ネタを振る。皆が驚いた。
「ってことは、町田に?」
「北区に住んでたもんで、通学タイヘンだったー。でも、年間半分くらいは、バイトしてたスナックのママんトコで世話になってたけど」
荒木は謝罪モードから切り替え、ニコニコして語る。
「えーセンパイ、なんてスナックっすか」
リョータローは荒木をセンパイと呼んでしまった。
「あんたらの本拠のキモノから、道路二本へだてたあたりに飲み屋いっぱいあるでしょ?あのあたりの、ミーナって店」
荒木はセンパイ呼ばわりを気にするでもなく続ける。
「あのあたりやばくね?ヤー公多いぞ」
顔の怖さではヤクザ並のコトブキが怯えている。
「ミーナって…記憶あるなぁ…イベントやってませんでした?ゲイナイト」
「ミギ、だっけ、よく知ってるじゃん、それ仕掛けてたの俺。ほかにもいろいろイベントやった」
「マジっすか、俺それ行きましたもん!年ごまかして」
「うわ~シャレきつー」
荒木が愉快そうに笑った。俺と雪江は、顔を見合わせて失笑をもらす。
「あーそうそう、陸ニイ、東京から五兵衛おじさんも来てるよ、この人らの事務所の社長と一緒に来た」
「なに?五兵衛様が?どこにいる?」
荒木が五兵衛さんの名前に鋭く反応する。荒木家は東京石川の紹介で寒河江で事業を始めたと昔聞いたことがある。荒木家にとって本当の旦那様とは東京石川の五兵衛さんなのだろう。
「ウチでお父さんと事務所の社長さんと飲んでるよう」
「ユキ、早く言えそれを。ご挨拶しとかないと。ママ、清志郎に払わせといて」
荒木がぱっとビジネスマンの顔に変わり、席を立った。ママが新しいおしぼりを渡す。荒木は手早く顔を拭くと、足早に店を出た。
「あのくらいになって、ようやく大人の入り口だよな」
ミギがポツリと言う。
「まったくだ、俺らなんてガキもいいとこだ」
キタも小さく言う。
「俺はずっとガキでいいしむしろ大人になりたくねえ」
リョータローはゲラゲラ笑う。
「おまえはそれでいいわ、でも俺はなりたいよ大人のギタリストに」
コトブキがリョータローをいじって笑う。
「大丈夫よ、あなた達確実に大人になって来てる。いい感じにね」
ママが優しく微笑んだ。

scene 56

次の朝、いつもと同じ時間に起床する。けっこう酒が残っているが、もう身体は石川家のタイムスケジュールが身についていて普段通りの時間に起床する。
「愛郎、湯さ行くさげみんな起こしてこい」
父が言う。湯というのは市営の公衆温泉浴場だ。早朝から営業しており、たくさんの人で賑わう。政治家である父は、足繁くここに通って顔を売り、市民の意見を聞くことにしているのだ。俺は五兵衛さんや塚本社長、メンバーらを起こしてまわる。ミギは朝に弱くなかなか起きようとしなかったが、「風呂に行くぞ」の一言で飛び起きた。
例のワンボックスで、父が運転する。
「愛郎も早く免許取らねど」
「すいません、式までには取れると思います」
「結婚式上げてないのか」
ミギが驚いたように言う。
「籍入れただけ。秋口に式と披露宴」
「塚本さんも来てよ」
五兵衛さんが真面目な顔で言う。
「ご招待いただけるんならもちろん」
「お父さーん、俺タトゥー入れてるけどいいんスカ、風呂」
リョータローが神妙な顔で父に尋ねる。
「入墨なのさすかえない、背中一面に入れてる奴もいっさげ」
父が豪快に笑った。
公衆温泉浴場に着くと、父は会う人会う人に挨拶し、談笑する。俺達は先に脱衣場に入り、入浴する。学院の生徒も何人かおり、俺に挨拶してくる。
「俺んちのあたりは下町だから、みんな知り合いだし、似たようなもんだなここと」
ミギが湯船につかってのんびりと言った。
「飲んだ次の朝は熱い風呂に限るな」
キタが普段の様子に戻って静かに言う。
「ホントだ、彫り物の人が普通に風呂入ってら」
リョータローが感心している。
「温泉は効くなぁ」
コトブキがしみじみと言う。銭湯以下の料金で天然温泉につかれるのはたしかに安い。
「ミギ、西川を夏休みの間使うって言ってたけど、宿はどうすんだ」
「俺の部屋に居候でいいだろ。アイもけっこうな回数泊まったな、俺んち」
「息子が増えたみたいだって言われたな、ミギのおふくろさんに」
「本当にもっと子供が欲しかったんだとよ。俺を産んだあと病気して産めなくなったそうだ」
「そうだったのか」
俺とミギはそんな会話をしながら湯船につかる。そろそろのぼせてきたので俺は一足先に上がる。
「ミギ、熱くないか」
「熱いよすごく」
「あがらねぇのか」
「立っちゃった。アイのハダカ見たら」
「バカ、タオルで隠して上がれ」
公衆浴場から帰って朝食を取ったあと、俺は部屋にミギとコトブキを招いた。披露宴で雪江が歌う曲の原案を聞いてもらおうと思ったのだ。
「古いけど立派な建物だな、こっちも」
「先代、雪江のおじいさんが使ってたんだと」
「ほーお、いい木使ってるわ」
もっぱら建設業でバイトをしていたというコトブキが感心する。
「ちゃんとスーツも飾ってあんな」
「忘れたくないし忘れられない」
「俺もだよアイ」
「ありがとう」
俺はゲイの素養があるのだろうか、意味深なミギの言葉に素直に返答している。
「こんな感じなんだけどさ」
これ以上ミギと会話していると、本当に恋人同士の会話みたいになりそうな気がしてきたので、俺はギターを取り出してアンプに繋ぐ。適度に音をしぼって弾いて聞かせる。
「めずらしい展開だな」
コトブキが揶揄とも賞賛ともつかない言い方をした。
「サビをアタマに持ってくるって、うちじゃあんましやらないもんな」
「アニソンっぽくしてみた」
「どこのバンドだそれ」
コトブキが目を丸くする。
「アニメソングだよ、耳に残るフレーズをリフレインしまくってるし、言われてみりゃそうだな」
JET BLACKのメインコンポーザーであるミギは、さすがに多方面に詳しい。
「あぁそれか、たしかに最近多いな」
「アニソンっぽいのはいいけど、テンポ早すぎて歌えないんじゃね?雪江ちゃんの歌聴いたことないけど」
「だな。あと二十か三十落としたほうが無難だ。ほんでsus4入れると引き締まるかもよ」
「ふむふむ」
「俺にもギター貸して」
コトブキが本格的に曲作りに協力してくれて、一応コードが完成した。
「サンキュー助かった」
「結構いい感じじゃん」
ミギもその才能を賞賛するコトブキが褒めてくれた。コトブキのアドバイスでだいぶ直しているが。
「雪江ちゃんが歌うってことは、女歌詞だな」
「ミギ、なんか考えてるな」
「いや、セカンドアルバムの予約特典とかツアー物販限定とかでさ、この曲使えないかなって」
「雪江に歌わすのか」
「悪いけどそれは怖くてできん。ボーカルはハルヒで富士男がギター。クレジットは、HARUHI & FUJIO feat.JET BLACK, written by eye & yukkieだかんな」
「ははは。好きに使ってくれて構わんし」
「後でいいからさ、事務所にファックスしといてそのコード」
ミギはどうやら本気らしい。
「まぁ作曲はコトブキにしといて」
「考えとくよ、それにしても変わったギターだな」
コトブキがニヤッと笑って俺にギターを差し出す。
「好き勝手にいじった一本目のレスポールだ」
そろそろみんなが帰る時間になった。帰りも車で送ると父と軍兵衛さんが粘ったが、帰途、立ち寄りたいところがあるからと塚本さんが固辞し、電車で帰ることになった。五兵衛さんはついでだからあと二日ばかり泊まっていきたいと言い、居残りを決めた。多分荒木との商談でもあるのだろう。
俺と雪江が見送りに行く。石川家の正門は寒河江駅前ロータリーに接している。
「門から駅は徒歩ゼロ分だけど、家から門までこんなくらい歩くって、やっぱおかしいわ雪江ちゃん」
ミギがそう言い、駅へやって来る。駅舎はまだ新しくて立派なものだ。待合室へ行くと、小川が居た。今日は東海林さんといっしょではないのか。最初に会った頃に比べてだいぶ女性的なファッションになっているが、デニムとチェックのシャツという基本はあまり変わっておらず、それぞれがより女性的デザインになって靴が運動靴でなくなった程度なのだが。
「あら、サーヤ。今日はひとりなの」
雪江はすっかり小川と仲良しになったようで、五歳年上の小川をサーヤと呼ぶ。小川の方も雪江のことを櫻乃と同じようにユキと呼ぶ。
「おやユキか。山形の十文字屋に本を買いにいくのだよ。東海林さんは今日バスケなので現地待ち合わせなのだ」
「この方は?」
塚本社長が俺に尋ねた。
「あ、学院の小川沙綾さんです。私と同期、国語担当で、私と違って一流大の大学院卒ですよ。小川さん、こちら、東京の音楽事務所、BBミュージックの塚本社長さんです」
「それはそれは、どうも遠路はるばるご苦労様でございました。学院の小川と申します」
小川は口調を一変させて丁寧に塚本社長に礼をした。
「ほら、三年の西川の面接に来てくださったの。内定いただきましたから」
「それはそれは、本校の生徒に就職の内定を頂きまして誠にありがとうございます」
小川が重ねて礼をする。あまりの丁寧語に塚本社長がたじろいでしまう。
「ということは、こちらのとびきり愉快な方々が例のJET BLACKなのだね石川さん」
小川が口調を元に戻して言う。
「アイとゆかいな仲間たち、JET BLACKでーす。よろしくねー」
右がまた俺の肩に手を回して体を密着させ、笑った。小川がぴくっと反応する。
「やはり涙の脱退しただけに、仲がいいのだね石川さん」
「仲いいなんてもんじゃないって」
ミギが俺の頬に自分の頬を押し付けてくる。
「リアルBL…石川さんがリアル…うきゃきゃきゃきゃリアルリアル」
小川が壊れた。
「この子男同士に異常に反応するから、右田さんあーくんから離れて離れて」
雪江が過呼吸状態の小川の背中をさすりながら苦笑した。
「アイの学校、いろいろ大変な人がいるよな本当に」
コトブキがあっけにとられている。
「俺、ああいう人好みだな」
「キタがいきなりコクってんぞおい」
リョータローがまぜっかえし、キタが赤面した。
「残念ながら彼氏いるからあきらめろキタ」
入場券を買ってホームまで見送る。気動車がエンジンを低く唸らせて停車している。発車までの時間、みんなで記念写真を撮った。ミギが俺と雪江と三人のショットを欲しがったのでまた撮る。小川が俺とミギが手をつないでいる写真がほしいと言い出したので、ミギが調子に乗ってまた俺に抱きつく。小川は飛び跳ねて喜び、写真を撮りまくる。
最後にキタが小川と並んで写真を撮り、彼らは東京へ帰っていった。

(「二〇一五年八月 参」

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