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二〇一五年四月 参

scene 42

次の日は、新入生を集めてのオリエンテーションだ。管理部と指導部が様々な連絡を行っている。指導部の山口さんという人が部活動についての説明をする。学院の教職員をざっと見てきて、俺と小川が来るまでは最若手だったろうと思われる。指導部所属だけにスラリとした筋肉質な人だ。
「みなさんはこれからいろいろな部活動を見学して、入部したい部を決めてください」
はきはきとしたしゃべり方で、なかなかの美男子である。さぞかし女子生徒に人気があるだろう。
「ハイ。部活動は必須ですか?」
ミニ三連星の菅野がさっそく質問をする。物おじしない子だ。
「部活動は必須ではありません。ただし、何らかの部に入っていない場合、評価にプラスになりません。マイナスにはなりませんが、そこんとこも考えて部活動を決めてください」
山口さんが明快に説明する。そういえばこの人も訛りがない。
「ハイ。部の一覧表で、軽音部が入部不可、ってなってるのはなんでですか?」
菅野がまた質問する。
「理由は私の口からは言いませんが、じきにわかるでしょう。ただ来年度から入部受付は再開します」
指導部の口から、不良生徒のたまり場だからとは言えないだろう、そりゃ。
「ハイ。部のかけもちはいいんですか?」
菅野はわからないことはすぐ聞くようだ。成績がいいというのもうなずける。
「特に規制はしていません。運動部の掛け持ちは体力的に無理ですが、文化部や同好会は掛け持ち入部している先輩は多数います。ただ、ありえない数のかけもちは指導部が実態調査します。多くの部を掛け持ちしている方が評価に有利ということではないということだけは言っておきます」
「じゃー来年軽音部に入ろうか」
菅野が日塔と鈴木とはしゃぐ。
「では、解散して部活見学へ行ってください」
山口さんがそう告げると、新入生たちはきゃっきゃ言いながら散っていく。
「石川さん、軽音部の顧問を理事長から直々に命ぜられたそうですね」
山口さんが少し心配そうに俺に語りかける。
「事情は聞きましたよ。なぁに國井たちにボコボコに殴られるわけでもなし。それに私、ギターがめちゃくちゃ上手いんです」
「ほう、そりゃすげえ」
「失礼ですけど山口さんは山形の人じゃないですよね?」
山口さんは心やすく答え、俺もくだけた感じで問う。
「うん、俺は町田。高校出て陸自に入って、東根の第六師団で二任期満了して除隊して、ここ勧められたの。通信制大学出てようやく去年教員免許取れたんだ。俺も石川さんとそう変わらないよ、教師としちゃ」
「えぇ町田っすか?私大学町田でした」
「あぁ、あすこだ」
「すいません三流で」
「いや、たしかに一流大学ではないけどせめて二流くらいにしとこうよ、俺の地元だし、パインのオーナーもじゃん」
俺達は高らかに笑い合う。
「いちおう顧問として、軽音部に行ってみますよ、これから」
「俺も同行しますわ、ニラミだけは効かせとかないと」
山口さんは少し険しい顔をして見せる。イケメンではあるが、たしかに怖い顔になった。
「山口さん、ひょっとして元ヤンっすか」
「うん。町田って多いのよ、ヤンキー。だからあいつらのことはよくわかるの」
元ヤンで元自の教師と、元バンドマンの教師がいるこの学院というところは、なかなかに楽しめそうだ。
「石川さんめちゃめちゃギター上手いって言ってたよね。バンドやってたんだ」
「バンドにのめり込み過ぎて、あやうく大学中退するとこでした」
「すごいじゃん」
「自慢していいっすか?俺がいたバンド、こないだメジャーデビューしたんす」
「マジ?町田じゃ有名だった?」
「関東の主だったハコはだいたい回りましたけど、本拠地はキモノ・マーケットっすよ」
「マジマジ?やべえキモノつったら地元いた頃あのあたり庭よマジ」
山口さんの地が出てきた。ポケットから携帯を出し、メールを打ち始める。
「石川さんのバンド、名前なんての?地元のツレに聞いてみるわ」
「JET BLACKっすよ」
「ジェットブラック、ね」
山口さんはカタカナでそう言ってメールを送信した。
文化部の部室棟は、校舎からさほど遠くないところにあるが、なにしろ広い敷地だけに結構な距離だ。到着前に山口さんの携帯に返信が届いた。
「マジ?マジマジ?町田で育ったバンドつって、地元じゃめっちゃ有名らしいじゃん、ジェットブラック。今メールした奴の妹が大ファンで、ギターの人が脱退したときマジ泣きしてたって」
「そのギターの人が俺っす」
「なにそれやべえ、マジやべえ」
山口さんはまた猛烈なスピードでメールを打つ。
「ウチの学校にギターの人いる、ってメールしちった」
山口さんがにんまり笑って俺を見る。
「あんまし広めないでくださいよ」
俺は苦笑して答えた。脱退したギターのアイは消息不明、というのが理想だったのだが、山口さんの友達が本気にするとも思えない。
部室棟の方から、ギターの音が聞こえてくる。おや、と思ったが、なんとJET BLACKのStraight Flashだ。荒削りだが、かなり正確にトレースしている。コードやタブ譜など公開しているわけもなく、耳コピでこれだけできるとはなかなか馬鹿にしたものでもない。
「西川はギター弾いてる時だけはおとなしいからな」
「これ、俺のいたバンドの代表曲っす」
「マジ?なんか偶然多すぎて笑っちゃうな」
山口さんがゲラゲラ笑う。
「けっこう上手いっすよ、西川」
「さすがミュージシャン」
軽音楽部の部室の戸は、スプレーで精巧な落書きがしてある。グラフィティとかいうやつだ。
「すぐにでも消せって言ってるんだが」
そういえば、俺達が根城にしていた例の部室も、ミギの描いた絵で埋め尽くされていた。俺達の中ではもっとも大人だったミギは、退学届を出す前にすべて壁を塗って修復した。
「西川、少し音小さくしろ」
山口さんはそう言ってドアを叩き、そしてドアを開ける。俺は山口さんに続いて中に入った。
「西川、タバコ吸ってないな?」
西川富士男、話の通り見事な金髪と欧米系の顔である。
「うっせ、タバコ吸うなはミノルさんだげだ」
西川は俺をじろりと見て睨みつける。
「なんだ、新入りだがした」
「西川、石川さんは今日からここの顧問だ。ギターがめちゃくちゃ上手いんだぞ」
山口さんがニヤニヤして西川をいじる。
「け、なんぼじょんだんだがしゃねげっと、いい気になんなよ新入り」
話のとおり、容姿にまったく似合わぬ訛りっぷりだ。櫻乃を彷彿とさせる。
「JET BLACKのStraight Flashだろ?俺のほうが数億倍上手いぞ」
西川の挑発を受け流し、俺は手を差し出す。
「ギター、貸してみ」
西川は俺を睨みつけたままだが、けっこう素直にギターを肩からおろし、俺に差し出した。腕を見てやろうというつもりだろう。
「ほぉー、本物だ」
サンバーストのギブソン・レスポールだ。さっきの音でチューニングが若干狂っているのがわかっていた俺は、鼻歌交じりでペグを回す。そしてアンプのボリュームを上げてディストーションを二、三回踏む。西川を見やると、少し感心したような表情に変わっている。
「お前ダウンピッキングだけだろ?この曲は、アップとダウンを徹底的に使い分けるんだ」
俺がリフを刻み始めるとアンプから轟音が鳴り響く。山口さんが耳を押さえた。音を小さく、と言っているようだ。俺はカッティングをやめる。
「あとな、ソロんとこ、全然チョーキングがなってないな」
数えきれないくらいの回数弾きこなした曲だ。目をつぶっていても指は勝手にフレットの上を動き回る。
「サービスだ」
脱退ライブでコトブキと絡んだときの変調ソロを披露してやったとき、部室のドアが開いてベースギターが入ってきた。
「富士男、なにすごく上手になった…あれちがう」
身長がベースギターとさほど変わらない女子生徒だった。
「大泉、石川さんが今年度から軽音部の顧問になるからな。この通りギターはプロだから、教えてもらえ」
「ベースはあんまし上手くないっす」
西川にギターを返しながら俺は笑った。大泉という女子生徒は、目を丸くして俺を見ている。
「石川先生って、宗家の婿さんの…ギター上手いんだ」
「西川、おまえなかなかスジいいよ。今度タブ譜コピーしてやるから、練習しな」
西川は俺をまじまじと見ている。睨んでいない。
「石川愛郎…アイ?あんた…まさか…アイ…なんで…」
「まったく今日は偶然が重なる日っすね山口さん。こんなトコで身バレですよ」
山口さんが笑った。
「まさかね、西川がジェットブラック知ってるとかね」
「え?なになに?富士男の好きなJET BLACKでしょ?DVD見せてくれたよね出たばっかの」
大泉は目をぱちくりさせる。事態がよくわかっていないのかもしれないし天然ボケなのかもしれない。
「富士男、上手くなたなんねが」
「ギターだけは真面目だもんねあんた」
今度は柏倉がやって来た。なるほど身体のでかさは超高校級だ。山口さんよりだいぶ背が高い。隣の女子生徒も柏倉の隣にいるから小さく見えるが、実際は俺と大差ない身長だ。
「あと國井が来れば揃うな、石川さんが今年度からここの顧問だ」
山口さんが俺を二人に紹介する。柏倉はキタのような悠然とした雰囲気を持っている。女子生徒の方も大人っぽい雰囲気で、制服を着ていなければ高校生には見えないだろう。
「あぁ、宗家の婿さんか…」
「沖津、石川さんはプロのミュージシャンだった人だからな、教えてもらえ」
「おきつ、珍しい名字だね」
「この辺りじゃそう珍しくはないです」
沖津はクールな感じで受け流す。
「パートはなによ?」
「ドラムです」
「それは専門外だな、頑張ってくれ」
「はいわかりました」
俺は柏倉に水を向ける。
「柏倉は楽器やらないのか」
「興味ないっす」
「あんたピアノ弾くじゃん」
柏倉はぶっきらぼうに答えたが、沖津がツッコミを入れた。
「あれは指がよく動くようにってやってたんだ、変化球のためだ」
「ほう、俺がいたバンドのベーシストが同じ事言ってたよ。そいつも高校時代ピッチャーやってて、指がよく動くようにベースの練習も欠かさなかったって」
「ほほーなるほど」
山口さんが感心する。そこへ、最後の大物が女連れで入ってきた。
「富士男にしちゃ上手すぎると思ったんだ、やっぱあんたか。聞いてるよ、元バンドマンらしいなぁ」
「國井、口のきき方に気をつけろ」
山口さんが少し声を荒げ、國井がハイハイと答える。
「みーさん、この人が雪江様の婿?」
國井が連れている女子生徒は、沖津と違った意味で女子高生らしくない。かなりの美人で櫻乃とどっこいだが、化粧がとにかく濃い。
「五十嵐、厚化粧して学校来んなって言ってるだろ」
山口さんは心底呆れ顔である。
「だって家の手伝いするんだもーん」
「優菜、俺をみーさんて呼ぶのやめろ」
國井が大泉の手を払いのけて言う。彼女じゃないのか。
「婿さん、ウチの家、ジョークってスナックと五十嵐酒場って居酒屋やってるから来てねー」
なるほど家の手伝いとはそういうことか。
「あまり外で酒を飲まないんでな。それといちおう、先生と呼ぶようにな」
俺は苦笑して五十嵐を見やった。五十嵐はすみませ~んと明るく謝る。きっとなにも考えていないのだろう。
「俺がここの顧問やることになったんで、まぁこれからよろしく頼む」
学院の札付き連中に向かって俺は頭を下げた。國井はそっぽを向き、柏倉は顎を引いて頭を下げ返したことにしている。
「お、お願いしまっス!」
驚いたことに最初敵意をむき出しにしていた西川が、腰を直角に折って俺に頭を下げた。
「お、俺の、神様だっけんだ、JETのアイ…ありがどさまっす、ありがどさまっす!」
西川のあまりの豹変に俺も山口さんも部員たちも引いたが、俺は気を取り直して西川に声をかけた。
「西川、いいからいいから、俺は神様なんかじゃないし。ホントお前、スジがいいから、がんばれよ。教えてやれることは教えるから」
「石川先生ってホントのミュージシャンなんだー」
大泉が明るく言う。
「おまえ、JET BLACKは先月の末にメジャーデビューしたんだ、プロだ」
西川の表情がキラキラ輝いていた。
「そんなプロがなんでこんなとこにいるんです?」
沖津がクールに尋ねる。少し皮肉も混じっているようだが。
「去年の九月のライブで、アイ…石川先生はJET BLACKば脱退するて発表したなよ。入れ替わりに今のギターのコトブキさんが入って、先月メジャーデビュー」
西川が訛りたっぷりですらすら解説する。
「宗家に婿入りするために、バンドを、辞めた」
大泉が的確な答えを出す。國井があからさまに顔をしかめた。
「まぁ勝手にすればいい。俺は俺のやりたいようにやる」
國井はそう言い捨てて、部室を出て行く。五十嵐が後を追った。
「石川センセ、知ってるんだよね、ミノルさんと雪江様のこと」
沖津が俺をしっかり見据えて尋ねた。
「当たり前だ。そしてなんの問題もない。俺が名字を変えて雪江と結婚して石川家に入った、それだけが事実だ」
沖津はやはり実年齢にそぐわない落ち着き払った表情で俺を見る。そしてぽつりとつぶやいた。
「自分の女の昔の男のことなんか関係ない、か。自信あんだね、雪江様に愛されてるって」
今度は少し微笑んでいる。その隣では柏倉が表情をまったく変えず、無言で立っている。
「沖津、君は本当に高校三年生か?どうもそうは見えないし、そういう言い方も高校生とは思えない」
俺は思わず本音を漏らす。山口さんが吹き出した。
「沖津はアネゴとかアネさんって呼ばれてるからな…さすが初対面一発で見ぬいたな石川さん」
「山口センセ、いいかげんにして」
沖津が眉を吊り上げる。実年齢よりずっと年上に見られることを、自分でも気にしているようだ。
「どっかの店で、奥様ってやっだごどあっけな」
柏倉がぼそっとつぶやき、今度は俺が吹き出す。沖津は素早く柏倉の脇腹にひじを食らわす。しかし柏倉はびくともしない。
「いらねごど語んな、賢也!」
沖津が真っ赤になって柏倉を叱責する。沖津はこれまで流暢な標準語イントネーションだったが、感情が高ぶるとネイティブな訛りが出るのだろう。このへんは雪江も同じだ。柏倉は少し口元を緩めることでごめんと言っている。
「なかなかいいカップルだな」
俺の言葉に沖津がまた赤くなり、柏倉を引っ張って部室を出て行った。
俺は大泉にベースギターを見せてくれるように頼んだ。大泉ははぁいと答えて、缶バッジだらけのソフトケースからベースを引っ張り出す。
「ん、まぁ初心者・中級者用ってとこかな」
フェンダーのジャズベースのボディシルエットをコピーしたモデルだが、ボディは梅雨時のアマガエルのような蛍光グリーンにペイントされ、ヘッドも同じ色だ。
「キレイでしょ?私この色好きなんです」
好きな色に塗ってもらって一向にかまわないのだが、少々目に痛い。
「大泉は決して身体が大きくないよな。それでレギュラースケールのベースはきつくないか?」
俺はキタの奏法を思い出してちょっとフィンガーピッキングをしてみる。
「石川先生、ベースも弾ぐいながっす」
西川が感嘆の声を上げる。
「弾けることは弾ける。でも上手くはない。俺は弦が張ってあるものは弾きたくなるんだ。ばあちゃんが三味線教えてくれるって言ってるから、今度教わる」
「ふぇー」
大泉はわけの分からない声を出した。
「あのさ、二本目のベースを買うなら、ショートスケールのにしといたほうが、君のような身体の小さい人には合うと思う。いっそスタインバーガーみたいに、ボディも最小なやつにしたらいい」
大泉にベースを渡して、俺はアドバイスをしてやった。大泉はスタインなんとかって何と西川に尋ねている。山口さんはほほーと言って感心している。
「石川さん、ほんとプロだわ」
俺達が部室を出ていくと、西川と大泉のセッションが始まった。少し前に流行ったポップな曲だ。大泉のベースがかなりまともであることに少し驚く。
「あの二人は、ほんとに軽音部です。素人から四、五歩踏み出してますね」
「プロだと、素人から何歩歩きゃいいのさ」
山口さんが笑う。
「たぶん…音楽でメシ食おうと決心した奴が、プロなんですよ。その点で俺はプロじゃないっす」
俺はミギたちの顔を思い出しながら言った。
「なるほどな。俺も陸自には二任期居たけど、曹になるか考えたけど、他になんかあるんじゃないかって。ここに来て初めて、ガキどもと一緒にいる仕事が俺の天職だって思ってるわ」
元ヤン元自の山口さんが、いい顔で笑った。


scene 43

山形県有数の名家である石川宗家の婿、寒河江中央学院高校の新任教師としての俺の生活は、淡々と過ぎていった。もうすぐ四月も終わり、ゴールデンウィークに入る。寒河江は桜が満開を終える頃だ。東京にいた頃は、桜はちょうど入学式の頃に満開になると思っていたが、やはりここは北国なのだななどと考える。
平日はほとんど祖母と二人で夕食を取る。食後は俺にあてがわれた祖父の書斎で授業のための勉強をするのも日常になった。俺もひとつ、大学時代にいちおう専攻としていたインド哲学でも研究してみるかなどと思いつつ、煙草を吸いに外の喫煙所へ向かう。
煙草に火をつけたところで、携帯にメールが入る。見ると、ミギからのメールだった。雪江も宛先に入っている。
「アイ、雪江ちゃん、元気?俺達はツアーとレコーディングの毎日で、休みなし!BBミュージックはブラック企業だったよw ほうぼうツアーで回ってるから、ある日ふらっと訪ねて行くかも。」
JET BLACKはもう俺のものではない。少し悲しくなったが、ミギたちが精一杯やっていることは伝わってくる。
「あと、こないだウチの社長が商談してた相手が、石川一族なんだって。イシカワインなんとか。そこの社長はアイにウチの社長を紹介してもらったって言ってた。なんかウチの社長にとってはすごくいい話だったみたいで、そのあとは明らかに機嫌がいい。アイ、いい話持ってきてくれてサンキュー!」
東京の五兵衛さんは、BBミュージックにいい感触を持ったようだ。あの人もかなりやり手のビジネスマンらしいし、塚本さんが喜んでいるということは、きっといいことなのだろう。
添付の画像は、そんなに新しくはないワンボックスを背景に撮影した、メンバーの集合写真だった。ツアーに使っている車だろう。あの頃は、免許を持っているのがミギとキタだけだったが、今はマネージャーとかが運転するのだろうか。ミギは親に頼んで自家用車をワンボックスに替えてもらって、それに乗ってライブハウスを回ったものだ。。
そんなことを懐かしく思い出していると、雪江のフーガが駐車場へ入ってきた。二本目の煙草に火をつけて、雪江を待つ。ほどなくして雪江がやって来た。
「おかえり」
「ただいま」
短い挨拶でも、心は伝わる。俺は雪江と石川家が本当に好きだ。JET BLACKよりも。
「右田さんからメール来たね」
「うん、頑張ってるみたいだ。五兵衛おじさんの商談ってなんだろ」
「出資に決まってるじゃない。おじさんの仕事は投資よ」
なるほど、そういえばそうだった。
「こんどおじさんにメールして聞いてみる。たぶん業務拡張とか宣伝とかで資金不足気味だったんじゃないかしら」
「たしかに金かかるからなぁ、バンドやってくのは。チケットと物販で交通費までペイできるようになったのはつい最近だったし。キモノ以外はずっと持ち出しだったな」
俺はしみじみと思い出す。バンド活動のためにバイトしてるようなものだった。しかし、それが辛いとは思わなかったのだ。
「ね、トールパイン行こう。おなかすいちゃった」
「ばあちゃんのタケノコ煮あるよ」
「なんかパスタ食べたい気分」
「んじゃ夜の葉桜でも見物しますか」
俺達は腕を組んで、夜の寒河江を歩く。寒河江の街にも、数は少ないが飲食店はちゃんとあり、少しは賑やかだ。國井の彼女を自認している五十嵐の親が経営するというスナックと居酒屋が並んで建っている。スナックの方のドアが開き、酔客が帰るのを見送りに出てきたホステスがいると思ったら、五十嵐本人だ。五十嵐は俺と雪江に気づいて駆け寄ってくる。
「雪江様~先生~寄ってかない?」
「五十嵐ぃ…お前なぁ…」
俺の立場では厳しく注意しなければならないのだが、彼女の場合まったく悪気がないのだ。頭を抱えるしかなかった。
「優菜ぁ、あんた化粧濃すぎ。化粧しなくてもすっごく可愛いんだから、やめなよ、厚化粧」
雪江は優しい先輩の顔で、五十嵐の頭をなでる。
「きゃー雪江様に褒められたぁん」
五十嵐が雪江に抱きついて嬉しがる。五十嵐は明らかに酒臭いが、気がついていないことにしてその場を去る。稼業を手伝う親孝行な娘だとうことで。
「優菜は、私と入れ違いで学院に入ったんだけど、中学の頃から私とサクラのファンクラブ会長だって宣言してたの。雪江様って言い出したのあの娘」
そういえば、沖津や大泉、菅野たち三人たちもそう呼んでいた。地元の女の子の間ではアイドルなのだろう。
「宝塚スターみたいだな」
「自分で言うのも何だけど、あの頃の私とサクラはそんな感じで扱われてた。女の子が寄ってくるのよ男じゃなくて。サクラなんか、制服の下に着るセーターの色を替えたら、ファンクラブが一斉にそれと同じ色にしたくらい」
その年頃の女の子が、上級生の女の子に憧れる例というのは、たしかに俺も高校時代に見た覚えがある。確か女子バレー部のキャプテンがそんな感じだった。
「私のほうは男が石川家の名前にドン引きするし、サクラはオニシロウちゃんの彼女だから男が絶対近づかないし。男を寄せ付けない女をありがたがる、女の子独特の感情よね」
雪江と櫻乃は女の園の偶像だったわけだ。成績優秀な名家の跡取り娘と特級の美少女のペアリングではそうもなるだろう。
「雪江の制服姿って、なんか想像つかないな」
「今度着て見せてあげるよ、まだサイズ変わってないし。うふ。なんかいいなそれ」
かなりお好きなほうである雪江が何を考えているかまるわかりだったので、俺はちょっと引いた。
「いやいやいやそれダメだから。俺毎日その制服見るんだからそういうのダメ」
「あーくんはマジメね」
雪江はそう言って組んだ腕を強く引き寄せ、頬をすり寄せる。もうトールパインの前だ。
「おらえの店の前でいちゃつかねでけねべが、ユキ~」
店のドアを開けて、櫻乃が冷やかす。
「ほいなごどは、家でゆっくりしてけろちゃ」
相変わらずの特級美女、特級訛りである。俺達はトールパインに入店する。
夜の八時を過ぎたところだが、店の中では制服姿の國井がカウンターに座っていた。
「ミノルなの気にすねでな」
櫻乃が小さな声で俺と雪江に言う。俺は無言で頷く。國井はちらとこちらを見て、またあからさまに顔をしかめ、すぐそっぽを向いた。そして制服の内ポケットに手を突っ込み、煙草を取り出して火をつける。まぁ彼は未成年ではないのでなんの問題もないのだが、一言注意しようと席を立つ。俺が席を立つと同時に店長のドスの利いた声が飛んだ。
「ミノル!煙草吸うときは学ラン脱げっていっつもゆってんべや!こっちが迷惑すんだ、あの店は学ラン着た高校生に平気で煙草吸わせてるって評判立づべ!お前ばおべっだ客ばっかりでねんだ!お前は未成年でねえのわがてっげど、未成年でねえなら人に迷惑かげねえようにするもんだ、このバカが!」
さすがの國井も店長の迫力にはたじたじで、あわてて制服の上着を脱ぐ。俺は國井のそばへ寄り、声をかける。
「おまえに言おうと思ってたこと、いま店長に全部言われた。俺も煙草は吸うけど、吸わない人には気を使ってるんだ」
國井は俺の方も見ず、スパスパ煙を吐く。もしかしたらふかしているだけかもしれない。
「先生来ったっけのが、先生の言わんなねごど先にゆたっけは。おまちどうさまでした」
店長が國井のオーダーしたものを持ってきて俺に笑いかける。おまちどうさまでした、だけが標準語のイントネーションになる。
「ビールも頼んだみでだげっと、ウチは車でおいでのお客様にはアルコールを出しませんので」
店長が國井に顔を近づけて挑発する。俺は國井の隣に椅子ひとつあけて座った。
「随分遅くまで制服着たまんまなにしてんの」
國井はスパゲティを頬張り答えようとしない。
「ミノルは夕方から山形市内の予備校に通って勉強してんだ、自家用車運転して」
「店長!」
店長がかわりに答え、國井が少しむっとする。
「國井はずっと成績トップなんだろ?勉強し足りないのか」
俺はスパゲテイを食い続ける國井に尋ねる。
「東大行くにゃ学院の授業レベルじゃぜんぜん足りねえんだよ」
國井がようやく俺のほうを見て答えた。
「ミノルは東京大学に入んのが目標なんだど」
「そのぐらいやらねえと、霞城のあの野郎の鼻、あがさんねえ」
國井の霞城高校退学のきっかけを作ったという、例の陰険な教師を見返すつもりか。たいした男だと、正直思った。
「俺は学院の新入り教師だけど、お前を誇りに思うわ、國井。頑張ってくれ」
俺はそう言って雪江の待つテーブルへ戻る。雪江にも話は聞こえていたはずだが、雪江は國井のほうに背を向けて座っており、決して振り返ろうとはしない。國井はすごい速さでスパゲテイを食い終わり、さっさと店を出て行った。
「あぁもう、気分悪い!」
雪江がようやく口を開いた。オーダーした菜の花と筍のペペロンチーノを櫻乃が運んで来る。
「気持づはわがっげっと、カリカリすんなっちゃユキ。ミノルは来年なったら寒河江さいねなだー。自分でゆったっけどれー、東大さいぐて」
櫻乃の訛りを正確に翻訳できるようになってきた俺、ちょっとすごい。
「んだげっとよ、おもしゃぐないべしたー。ミノルより私のほうが成績いいっけべした、中学んどぎ。んだのに東大さ入るなてアガスケつかしったー」
雪江が櫻乃につられて方言全開で話す。
「その、アガスケツカシッター、って、どういう意味だ?」
俺の質問に、雪江と櫻乃がワンテンポ置いて爆笑した。
「アガスケて、標準語だどなんてゆうなやー」
「山形弁独特のニュアンスだずねー」
ふたりは笑いがおさまらない。
「たしかにニュアンス的には若干違うようですが、アガスケは生意気、と言う意味です。ツカスは動詞で、格好をつける、という意味。アガスケとツカスを連動させると生意気で格好をつけるという表現になります」
俺達のテーブルから死角になっているボックスから解説が飛んできた。小川の声だ。
「アガスケツカスは、山形の少年少女の間で、煽り文句として多用される。生意気、という意味に傲慢やええかっこしい、でしゃばりなどの意味をトッピングした感じだ」
同じボックスから東海林さんが立ち上がって補足し、小川とともにこちらのテーブルにやってくる。さすが現役の日本語学者でもある国語教師である。
「雪江さん、結婚おめでとう」
東海林さんが丁寧に礼をする。小川も従った。
「やんだ先生、さん付けなのすんなっちゃー」
雪江がにこにこして東海林さんを見上げる。方言モードから抜けていない。
「俺も國井が来たことは気づいてたんだが、やっぱり店長に先越されたわ、煙草注意するの」
「彼は未成年ではない、という事実がちょっとややこしい」
小川は自然な感じで東海林さんのわきに立っている。
「小川さん、東海林センセとつぎあったんだが?ずっとあそごのボックスですばらしぐ楽しそうに話しったっけどれー」
櫻乃がずけずけと質問する。
「男女がつきあう、という言葉の意味が示す範囲がどこまでなのかちょっと判断できないのですが、セックスを含むということであれば、東海林さんと私はつきあっているとはいえません」
小川の爆弾発言に、東海林さんがコケる。
「いや、そこまで聞いてないから言わないで」
俺は必死にフォローするが、雪江と櫻乃は笑いが止まらず、小川はきょとんとしている。
「小川さんとは、趣味がな、一緒だった。ってか俺なんか足元にも及ばないマニアだ」
東海林さんは照れながらも楽しそうに話す。趣味とは例のアニメとかボカロとかの方か。
「男性でもBLを論理的に語れる人がいるとは、感動的ですらありました」
そう言って東海林さんを仰ぎ見る小川が、初めて恋愛中の女性の表情を垣間見せた。もっとえらいことを言いそうな予感がしたので、BLとは何なのか聞くのは止めておいた。
「セ、センセ、とにかく仲良くやってください」
雪江が笑い涙を指で拭きながら言う。
ふたりはボックスに戻っていく。たしかに、並ぶ二人の距離が以前より接近していた。
ちょっと冷めてしまったペペロンチーノを平らげ、俺と雪江は店を出る。東海林さんと小川はまだ話に熱中しているので、お先ですとだけ声をかけた。
「つきあう、ってホント、どこからを言うのかナ」
夜の寒河江を腕を組んで歩き、雪江が俺に問う。桜は満開を過ぎたが、夜はまだまだ寒い。体を寄せる雪江の体温が心地よかった。
「俺はなー。女とつきあったことないしなー、お前と会うまで」
「あん時は私が誘ったんだけどね」
「憶えてないんだよな~ホント。したことも」
俺は頭を掻いた。
「小川的に言えば、セックスまで含んだのであの時から付き合いが始まったってことだな」
「あははは」
「國井んときはどうよ」
「…意地悪。どっちもコクってないし、家の事情を知ってる友達から囃されてただけ」
「アイツは確実にお前に惚れてるぞ、たぶんずっと昔から、今でも」
「…わかってる。私だって嫌いじゃないよ、幼なじみだもん。でもあーくんが、ほんとに一番好き」
雪江は俺の腕を強く引き寄せ、自分の乳房に押し当ててきた。ジャケットの上からでも、体温が上がっているのがわかるし何より乳首が固い。やばい。
「帰ったら明日の予習だなー」
俺はそらぞらしく言ってみたが、雪江は許してくれなかった。
「大好き大好き大好き」
他に誰も歩いていないことをいいことに、雪江は路上でキスをしてくる。ニンニクの香りだ。
帰宅後、雪江は寝室で学院の制服姿を俺に披露した。次の日、俺は罪悪感にさいなまれてクラスの女生徒たちの制服姿を見ることになる。

(「二〇一五年五月」へ続く)

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