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二〇一六年四月 肆

scene 103

その日、帰宅すると雪江と祖母が夕飯の支度をしていて、ケイトとナルヨシも手伝いをしている。父は居間でテレビを眺めていた。俺も手早く着替えて居間で父とテレビを眺めた。
「はいおまたせ、ご飯にしよ」
雪江が野菜炒めの大皿を抱えて居間へやってくる。ケイトとナルヨシは食器や副菜を持って続く。母がまだ帰宅していないが、石川家の普段の夕食は、雪江と祖母が作った夕食を家にいる者が摂る。父は出張や会食がない限りほぼ決まった時間に夕飯を摂り、用があればその後出かけていく。俺もよほど差し迫った仕事でもない限りは家で夕食を摂る。母があまり平日の夕食の席にはいない。
「いただきます」
それぞれがきちんと発声して夕食を開始する。いただきます、ごちそうさまを含め、声に出してあいさつをするのが石川家のルールだ。
「おらえは貧乏だがら、たいしたごっつおは出ねえぞ」
父が笑いながらケイトとナルヨシに語りかける。夕飯のおかずは野菜炒めに山菜の煮物、漬物程度だ。一八代続く名家だが、べつに驕ることはないのが石川家である。
「うちだって似たようなもんだよね、ごちそうなんかお誕生日くらいよ」
ケイトが山菜を珍しそうに見ながら口に運ぶ。
「あとオヤジのボーナスの日かな」
ナルヨシが飯をもりもり食う。
「コメはうちの田んぼで作ったんだよう」
祖母はゆっくり飯を食いながらニコニコしてナルヨシに言う。ナルヨシはメシうめえとか言っている。
「これから暖かくなって野菜が成長したら、毎日野菜食べてもらうからね」
雪江も笑って言う。
「うちで採れるのやもらうのやで、ホント野菜づくしだもんな」
俺も去年驚いた。真冬以外は何かしら野菜がある。小洒落た西洋野菜のたぐいも誰かしら栽培しているので、傷物だの規格外だのが回ってくるのだ。食費が安いのが田舎の特徴だ。
「入学式初日、どうだっけや」
父がさらりと尋ねる。
「うん、クラスの自己紹介で、さっさと言ったよ、私、男ですけど引かないでください、って」
「俺は女ですけど女っぽいのが好きじゃないんでカンベン願います、って言った」
「あらまぁ…」
さすがの雪江もあっけにとられている。
「中学の時もそんな感じだったし」
「さすがにクラスの半分以上はドン引きしてたな」
「べつに全員と仲良くする必要ないじゃん」
「同じクラスでもほとんど口きかないやついたし」
そういえばそうか。普通に生活していれば、仲のいいやつとそうでもないやつは自然にできてくる。
「んだんだ、そんでしぇーなだ、毎日ニコニコしてみんなと握手して回る必要はねえんだから」
父が飯を終え、ご飯茶碗に茶をついでそう言った。
「お父さんは政治家だから、握手して回る必要あるべ」
寒河江で暮らすようになって、訛りがうつってきた俺。
「俺のことなんど、寒気がするほど嫌いだってヤロ、山ほどいるなんぜ。嫌いだてゆうヤロより味方が多くて、それも全力で味方してけるヤヅがどんだげいるかなんだ、政治家は」
父が豪快に笑う。ケイトとナルヨシは父の言葉が完全にはわからないようだが、何を言っているかはだいたい理解しているようだ。
「ケイトもナルヨシも普通の子だよね」
雪江が優しい目で言う。
「上手く言えないけどよ、普通って、その人によって違うんだよ。お父さんも雪江もおばあちゃんも、このでかい家屋敷で一八代続いた名家の人だけど普通だって言ってる。三年前の俺は金髪振り乱してどでかい音でギター弾くのが普通だと思ってた。お母さんは学院にいるときと家に帰ってきたときでまったく違うのが普通。ほかから見たらちっとおかしいくらいが、普通なんだべよ」
俺は、頭に浮かんだ考えをそのまま口にした。
「ワタシは学院でも家でも普通じゃないのぉ、あーくん?」
母が居間に入ってきて、俺をちらりと見て笑った。
「愛郎もずいぶんうまいごど言うようになったどれ」
「うん、なんかしっくり来たわ」
父と雪江が感心したように俺を見る。つまりけっこうなバカだと思われていたということなのだが。
「私もなんか納得した、さすがお兄ちゃん」
ケイトが俺に笑いかける。
「ケイト、お兄ちゃんじゃなくてあーくんよ」
「えーだってお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから、お兄ちゃんでしょー」
「あーくんをお兄ちゃんとか呼ばれると、私がなんかあちこちかゆくなるのよ」
「なんじゃそら」
ナルヨシがぼそっとつっこむ。まったくだ。俺だって雪江がお姉ちゃんと呼ばれるたびにむずがゆいのだ。
「さっきお兄…あーくん、が三年前はギター弾いてたってゆってたけど、それって?」
ケイトが素直に質問をしてきた。雪江がニヤリと笑う。
「そっか、全部は知らないわけね、よしよし、じゃあごはん片付けたら、ビデオ観ようか」
「遅くまで起きてちゃダメよう」
母が優しく声をかけた。いつも遅くなる母は居間でなく台所で夕飯を摂る。
「なえだ、うるさいの観るなが、んだば俺はちぇっと寄り合いさ顔出してくっかな」
父は苦笑しながら居間を出ていく。父は夕食後、各地域の集会に出たり後援者訪問をする事が多いので、夕食後よく出かけていく。
「んじゃ俺は明日の授業の予習をするかなー」
わざとらしく言ったが、俺は本当に毎日授業の予習と復習を欠かさないのだ。ただでさえほかの教員よりも偏差値が低いのだから、少しでも差を埋めないと生徒にバカにされてしまう。俺はさっさと自室に入って教科書と資料を読み込む。昨年度後半に正式に世界史を担当して、多少は格好が付いたようだがまだまだだ。教員としての師匠である佐藤さんの足元にも及ばないことだけは確かなのだ。
昨年度の一学期、俺は生徒と一緒に佐藤さんの授業を受けていた。生徒と違って、俺がつけていたノートは授業の進め方についてだ。佐藤さんが教科書のどこをどう説明したか、参考書のどこを引用したかなどを事細かくメモしている。時折、佐藤さんが飛ばした少々寒いギャグまで書き留めている。俺はこのノートをもとに、二学期からの授業を組み立て、何度も予習復習を繰り返してきたのだ。
学院には、五大教科ごとに教員がチームを作って勉強会をする伝統がある。佐藤さんは定年間近ということで会を引退しており、清野という四〇代なかばの地理担当の教員がリーダーになっている。若い頃バックパッカーとして世界を放浪した体験があるといい、こだわりのない性格で生徒に人気がある教員だ。清野は、歴史系・地理系・政経倫理系に分かれた社会科をひとつに融合した、総合学習の講座を目標にしているという。俺も大いに賛同し、勉強会に積極参加している。高校の頃から地理はあまり得意ではなかったので、こちらを再勉強し始めているところだ。
夢中になって資料を読み込んでいたら、部屋に戻って二時間以上経っている。とにかく広い家なので、家人が何をしているか、周囲の物音ではわからない。俺は部屋を出て居間へ向かった。
居間では、母と雪江、ケイトとナルヨシが談笑していた。ケイトが俺を見つけ、指をさす。
「あ。金髪ギタリスト」
「あらあら。あなた達の入る部の顧問だからねぇこの人は、指差すのはダメよう」
母が優しい笑顔でケイトを見る。
「すごく、ギターうまいんだな、…アニキ」
ナルヨシが顔を赤らめて言った。たぶん、生まれて初めて兄貴と呼ばれたと思うので、俺はめまいがした。とても心地よかったからである。
「ななな、なんだよ急に」
「あれ、言ったでしょ私、ビデオ見せるって」
すっかり忘れていた。夕食後そんな話をしていたっけ。
「この子達、軽音楽部入部希望って言っといたでしょ」
そういえばそんな事を聞いた記憶がある。
「お姉ちゃんに聞いたー。プロあきらめてお姉ちゃんとケッコンしたんだってー?あーくん男前ー」
ケイトがきゃっきゃ騒いでいる。
「まぁそれはいいから。ところで入部希望はいいけど、パートは何よ」
俺は石川先生でもなくあーくんでもなく、アイの雰囲気でケイトとナルヨシに話しかける。音楽の話になると、アイが登場してくるのである。ケイトとナルヨシは俺の微妙な変化に気がついたようだ。
「パート、ってか、俺が演奏してケイトが歌ってる」
ナルヨシがボソボソ語った。
「えらくざっくりだな」
俺は苦笑してナルヨシを覗き込んだ。
「アニキ、みたいにロックギターの人は認めないかな」
ナルヨシはアニキ、がまだ気恥ずかしいらしいが俺も同じだ。
「あーくんはDTMって知ってる?」
ケイトが俺に尋ねる。
「あぁ、打ち込みか。最近のはスゲェらしいな」
JET BLACKのリーダーであるミギは、音楽に関してとても貪欲なので、新しいものを常に見ている。DTMも、会った頃から使い方はマスターしていた。
「リーダーのミギが、新曲のイメージをメンバーに聞かせるのに使ってたな。フリーソフトで音もしょぼいからって、ライブでは使わなかった」
「リーダーってヴォーカルの人?やっぱりそうだよ、さっきの観てたら、ただの大学生には思えない」
「俺はダメな大学生だったけどな」
俺は軽口を叩いて場を笑わせる。
「んでけっきょくDTMってなに?」
雪江があらためて尋ねる。
「デスクトップミージック。パソコンでいろんな楽器の音を出して、バンドみたいに演奏できる」
ナルヨシが少し饒舌になった。ハマっているのはナルヨシの方らしい。
「お姉ちゃんカラオケ行くでしょ?カラオケの演奏って、全部これだよ」
ケイトが雪江をお姉ちゃんと呼ぶのが、まったく気にならなくなってきた俺。
「そうなの?私てっきり、あーくんたちみたいなバンドの人が、アルバイトで演奏してるのかって思ってた」
雪江はロックバンドの近くにいたので、音楽とは楽器を使ってやるものだと思い込んでいる。
「そんなバイトがあればよかったな」
雪江のコメントに俺は苦笑する。
「ってことはケイトもナルヨシも、中学からやってたのそれ」
雪江は二人のことを早くも妹と弟扱いしている。
「中二の誕生日に、プレゼント何がいいって言われたから、マックブックほしいって言った」
「うちのパパ、勤め先がアレだから、パソコンとかには理解あるのよね」
ケイトとナルヨシの父親は大手電機企業の技術系社員で、母親も元社員ということだった。
「ふたりでいろいろいじくって遊んでたら、マックにはGarageBandってDTMが無料で入れられるってわかって」
「それからマックはナルヨシに独占されちゃった」
「おまえだってYou Tubeばっか観てんじゃん」
言い争っているように見えるが、ふたりの表情は穏やかなままで、仲の良さが伺える。
「雪江、ナルヨシにWiFiのパス教えておいてよう」
母が廊下から中を覗き込んでいう。
「そうか、ナルヨシにはそういう特技があったのねえ。さ、お父さん帰ってきたからもうみんなお部屋に戻ってねえ」
母はケイトとナルヨシに優しく声をかけた。


scene 104

新入学生を迎えて、寒河江中央学院高校の新年度はスケジュール通りに進行していく。
管理部によって学校生活に関するオリエンテーションが行われ、指導部による生活指導が行われる。中学とも違い、他の高校とも違う、学院独自の制度や風習が淡々と語られる。新入生たちが少しどよめいたのは、教員は生徒を名字で呼び捨て、というくだりだった。明らかに反発する声もいくつか聞こえる。
俺もたしかに最初は違和感を覚えたが、慣れてしまうと、下手にくんちゃんさんづけするよりスッキリする。
「これまで小中学校でも家庭でも、呼び捨てにされたことがない者もいるかも知れない。しかし、これから先呼び捨てにされる時はある、必ずだ。そのための準備だと思いなさい」
大畑指導部長が横から注釈を挟む。マイクなど使わなくとも、非常に大きな声でよく聞こえる。べつに威嚇しているわけでもないのだが、新入生たちはピタッと静まった。
「気がついたものもいると思うが、理事長は教職員も名字で呼び捨てる。私と高梨管理部長だけ職位で呼ばれるが、教員を先生と呼ぶこともないし、教員同士も先生とは呼び合わない。諸君にいろんなことを教えるから、諸君にとっては先生だが、理事長にとっての先生ではないし、教員同士にとっても先生ではないのだ」
大畑指導部長は重々しく語る。新入生たちは真剣な顔で聞き入っている。
「私と大畑指導部長が職位で呼ばれるのは、理事長の次に偉いからとかいう単純な理由ではありません。学院の教職員は、教務部と指導部と管理部に別れます。私は管理部の責任者、大畑は指導部の責任者だから、職位で呼ぶのです。ちなみに教務部の責任者は理事長。現在、責任者以外の役職はないので、私と大畑指導部長以外の職員は名字で呼び合っているということ。仕事の責任をあらわしているのです」
高梨管理部長はすらすらと説明した。
「諸君にはあまり関係のないことだったかもしれないな。部活動では部長やキャプテンなどがいるが、それは職員の話ではないから好きに呼べばよろしい」
大畑管理部長がめずらしく面白げなことを言ったが、新入生たちはクスリとも笑わなかった。
「指導部長から部活の話が出ましたので、ここで部活動について説明します」
大畑管理部長の変な話に反応してしまった山口さんがクスクス笑いながらマイクを握った。
「指導部の山口です。見てのとおり、学院では若いほうで甘いマスクですが、指導は甘くはないですから念の為」
山口さんのつかみには、新入生たちから笑いが漏れた。
「冗談はさておき。まず学院では、部活動への参加は、必須ではありません。必ず部やサークルに所属しなければならないということはないのです」
新入生の興味が集中する話題だけに、みな真剣に聞いている。
「ただし、意欲的に部活動に参加していた生徒には、なんらかの形で評価点がつきます。一番わかりやすい例を挙げると、大学の推薦入学枠に入りやすいってことです」
そういえば、キタは野球を真面目にやってたから推薦であの大学に入ったのだ。
「だからといって、部やサークルの掛け持ちをやっても、評価が上がるわけではありません。複数の部やサークルに所属することは禁止していませんが、常識的な範囲でお願いします。実際、掛け持ちしている例は、体操部で活躍しているが、陸上の特定の種目が得意なので陸上競技大会にも出場している、とか、放送部で音響機械を操作しているので演劇部で音響の手伝いしている、といったとことです。あと、運動部と文化系サークルは掛け持ちする生徒が多いですね」
新入生たちは徐々にざわつき始める。どの部に入るか、友人同士で話しているのだ。
「はい静かに。入部希望の書類は、運動部すべてと吹奏楽部と演劇部と放送部は指導部へ提出、それ以外の文化系サークルは、管理部に提出してください。基本的に入部退部は個人の自由ですが、部の内部規則として、規制している場合があります。特に運動部の場合、入部も退部も部長が認めないとできないとしているところもありますので」
新入生たちの私語は山口さんの一瞥ですぐ止む。
「来週いっぱいくらいで興味のある部活動を見学して入部届を提出してください。まぁしばらくは各部の新入生勧誘大会ですし、断るのがタイヘンかもしれません。入部退部は個人の自由と言いましたが、部活動をしようと考えている人は、今月中にいったん入部届を出すように。以上」
指導部デザインのジャージできめた山口さんは、軽いギャグを折り込みながらテキパキと話し、マイクを司会に返した。
「では本日のスケジュールを終了します。いま山口さんからありましたように、新入生の勧誘大会が始まっています。いろいろと気をつけて行動してください」
司会が意味深なことを言うので、新入生はざわつきながら教室へ戻っていった。

(「二〇一六年四月 伍」へ続く)

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