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二〇一五年八月 参

Scene 57

ミギたちが東京へ帰った日の夜に、西川が祖父母とともに石川家を訪れた。例によって正装している。西川の祖父は就職斡旋のお礼を延々と述べ、またもや分厚い祝儀袋を差し出す。今回も石川宗家総出で引っ込めさせた。
「富士男がら聞いだげっと、夏休みの間にバンドの下働きさしぇでもらういんだてが」
「あぁ、言ってましたね」
西川の祖父はようやくうちとけた話しぶりになった。
「いい機会だから、おじいさんに許可貰って、夏休みの間行ってきたらいいとは言いましたよ」
「こっつがらお頼みすねばならねどごだべしたね、給料なのいらねがら丁稚奉公させでけらっしゃい、ってよー」
「いいんですか、家の手伝いとかは」
西川の家は農業で生計を立てている。夏の農家は結構忙しいのだ。石川家でも田畑を所有しているが、一家総出で田植えや草取りなどを行った。
「さぐらんぼ終わったはげ、さすかえないー。ばさまとふたりばんででぎる」
「じさま、無理すんなよ」
父が笑う。政治家向きの人なつっこい笑顔だ。
「ハルミツさゆっとぐがら、じさまの手伝いしてけろって」
「ほだな、おんちゃんさ迷惑になるっす」
西川が恐縮する。
「ハルミツなの俺さ山ほど借りあんなださげ、さすかえないー」
「富士男、じさまどばさまのごどは心配ないさげ、頑張って仕事おべでこい。はやぐ一丁前にならんなね」
祖母が優しく言う。
「大奥様ありがどさまっす、んだら行かせでもらうっす」
西川が手をついて礼をする。
「塚本社長は、西川のことはミギに任せるって言ってたよな。ミギに電話してみよう」
俺は携帯を取り出し、ミギをコールした。コール二回でミギが出る。
「ミギ、おつかれでした」
「おう、今事務所についたトコよホント。こっちこそお世話様。みなさんによろしく」
「今、西川とおじいさんとおばあさん来ててさ、ほら、夏休みのバイトの件」
「はいはい」
「おじいさんが、こっちから頼んででも働かせてもらうべきだって、一発オッケー」
「さすが苦労人だねぇ」
ミギがゲラゲラ笑う。西川の祖父が電話を代わってほしいと身振りで頼んでいる。
「西川のおじいさんがミギと話したいって」
俺は携帯を西川の祖父に渡す。
「富士男の爺さまだっす、ほんてこのたびは」
富士男の祖父は延々と礼を述べている。おそらくミギには富士男の祖父のしゃべっている内容は理解できていないだろう。ようやく富士男に電話を渡す。
「ミギさん、富士男っす」
「富士男、おまえが訛ってる理由がよくわかった。ありがとうつってるくらいしかわからんかった」
「申し訳ねぇっす」
「まぁいいや、早速だけどよ、明後日から来れるか」
「いつでも大丈夫だっす。なんだったら今から出るっす」
「明後日でいいよ。俺らのホームグラウンドのキモノでライブだ」
「ほんてだがっす、キモノ・マーケットがっす」
「宿は俺んちだ、特別にメシも食わせてやる。ギターと着替えと宿題持ってこい」
「ハイっす!よろしくお願いします!」
「アイに代わって」
西川が俺に電話を手渡し、祖父母に明後日から仕事を手伝わせてもらえると報告した。
「キモノでやるのか」
「あぁ、おまえの脱退ライブ以来だ実は」
「西川を頼む」
「任せとけって」
「…西川を食うなよ」
声を小さくして釘を刺す。
「バカヤロウ、誰でもいいってわけじゃないんだよ。おまえだって女の好みあんだろ、それといっしょだよ。心配すんな、富士男はタイプじゃない」
ミギが笑いながら言った。いちおう胸を撫で下ろす。
「もうすぐ社長も帰ってくるから、いちおう報告してからな。承認済みだけど。富士男に、一時間後に事務所に電話してこいって言っといて」
「わかった」
「じゃ、またな」
「またな」
ミギとの話を終え、西川に伝言を伝える。西川は真剣な表情でうなずいた。
「ミギのお母さんの料理、美味いぞ」
「若旦那、右田さんの住所ばおしぇでけろっす」
西川の祖父がにじり寄ってきた。
「西川の荷物送りますか」
「んねんね、ひとまずコメば二、三俵も送らせでもらうっす」
一二〇キロから一八〇キロだ。父が爆笑する。
「じさま、ほだいいっぱい送ったて、むごうでおいどぐどごないず」
「んだがしたー。んだら一俵でしぇーべが。んだて富士男なの山ほどまま食うがらよー」
「人様の家でほだいメシ食わね」
西川がムキになって反論し、一同が笑った。
「西川、東京行く前に学校に寄って、アルバイト申請書いていけよ」
「許可します」
母が理事長の声で言った。
翌々日、西川は東京へ向かう。ミギからは大量のコメと野菜と果物が自宅に送られてきたとメールが届いた。


scene 58

山形の学校の夏休みは、八月三一日までではなく、その一週間前くらいで終わる。その分冬休みが長いということだ。実際、お盆を過ぎるとだいぶ涼しくなる。夏休みは大きな問題もなく終わり、西川も帰ってきた。
始業式の朝、西川は職員室へやってきて俺に簡単に報告し、礼を述べた。
「ツアーバンに乗って、初めて愛知と静岡へ行ってきたっす。ごしゃがっでばりでしたけど、みんないろいろおしぇでけで、勉強になったっす」
「稼いできたか」
佐藤さんが笑って言った。
「給料なのいらね、って辞退したんだげっと、ガキが生意気ゆうなバガヤロウ、ッて社長に言われました。ツアーに出でだ、のべ七日分だそうです」
西川が東京に出ていた期間は二〇日くらいだが、そこんとこは流石にシビアだ。
「他の日は何してたんだ」
「JETのみなさんの付き人として、何でもやったっす。使いっ走りとか楽器磨きとか。コトブキさんは時間があるとレッスンしてくれだっす」
「酒の場には出てないだろうな」
職員室に来ていた指導部長が西川を睨んだ。
「い、行ってねっす」
行ったな。
「まぁいい、今年度の就職内定第一号だ、おめでとう。だがな、卒業までになにか問題を起こしたらすぐ内定取り消しになるからな、心しておけ」
「ハイっす」
西川は職員室全体に礼をして出て行った。
「石川さん、あの西川がこれだけ素直になったのはあなたのおかげだ。指導部にはできなかったことだ、本当にありがとう」
指導部長が俺に頭を下げるので、俺は非常に困惑して椅子から立ち上がる。
「いや指導部長、おやめください」
「去年の今頃、西川は夏休み中に起こした大乱闘事件で無期停学でした。停学を解いたのは九月末」
理事長がやってきて言う。
「あれは新聞沙汰でしたからね」
東海林さんが眉をしかめる。
「オニシロウの真似して、山形の馬見ケ崎実業の連中が構成してる暴走族の集会に一人で殴りこんだ」
佐藤さんは笑うが、それはかなりやばくないか。
「むこうが持ってた木刀かっさらって、ふたりばかり骨折させたんで、傷害罪で逮捕されたよ」
指導部長はさすがに笑わない。えらい大問題だ。
「西川の保護者や理事長が謝罪してまわって、なんとか保護観察処分で済んだ。向こうも札付きの連中だし」
「なんでそれ先に言ってくれないんですか、そんなアブナイやつなら、関わらなかったですよう」
俺の情けない声に、理事長を含めて皆が笑った。
「石川、今月中に西川富士男をどのようにして指導したか、私宛にレポートを上げなさい。来月、山形県の校長会議で事例報告しますからそのつもりで」
「理事長~」
俺はまた情けない声になった。
「前から話していたとおり、二学期からは担任は石川さんに替わります」
始業式後のホームルームで、佐藤さんが一年一組に告げた。もっとも、学年主任としての仕事もあった佐藤さんは、最初から担任としての仕事はほとんど俺に振っていたようなものだ。佐藤さんが教壇を降り、俺に登壇するよう促す。俺はちょっと照れながら教壇に上がった。授業は生徒と一緒に聴講していたし、佐藤さんの不在の時など担任の代役をするときでも教壇には上がらなかった。まだ俺は一人前ではないと自粛していたのだ。しかし今日からは一人前になれということなのである。
「みんな、これからよろしく。新米教師ですが、みんなといっしょに勉強を重ねていきたいと思っています」
俺はそう言って頭を下げた。拍手が起こる。
顔を上げてあらためて教壇から生徒の顔を見る。少し高いところから見ると、不思議とひとりひとりの表情がよく見えた。日塔が顔を伏せている。
「日塔、どうした、気分でも悪いか?」
彼女は俺の声にがばっと跳ね起きて俺を見る。
「すすすすいません、なんでもありません」
「そうか、ならいいけど」
女子は例のものがあるから、体調がどうとかあまり触れんようにしとこう。日塔はまたすぐ視線を落とした。うん、そうに違いないな。
「あと、二学期からは世界史の授業も佐藤さんから私に引き継がれます」
「私は、三年の特進グループの方で授業を行いますので」
佐藤さんが付け加える。特進グループというのは、ハイレベルの偏差値の大学進学を目指す生徒を選抜して、受験に特化した集中カリキュラムを行うクラスだ。学院は入学後クラス替えがないが、三年は二学期からこのクラスが増える。当然、國井と沖津が入っている。学院には、山形県で偏差値トップの霞城高校にもらくらく入学できるが、山形市への通学が困難だという山間部に住む成績優秀な生徒も数多い。寒河江中央学院高校はそうした生徒も通学できる。毎年一人は東大現役合格が出るといい、学校の偏差値を押し上げている。管理部長は、國井もいるし今年は二人東大だななどと言っていた。
学院は管理部門と指導部門が独立しているため、担任教師としての仕事は生徒のメンタルケアだけと言っても良い。俺は弟と妹が十数人づつできたような気分だった。
「私はこの学校では一番若いので、みんなに一番歳が近い。そういう意味では、相談に乗れることも多いと思うので、お気軽に」
冗談めかしてそう言うと、教室が笑いに包まれた。日塔は俺から目をそらし、笑っていない。本格的にアレだな、うん、いじらんとこう。


scene 59

俺たちの披露宴は九月半ばである。石川宗家の一大イヴェントであり父の政治家活動の一環でもあるので、段取り等は全て父と母が取り仕切っている。俺と雪江はお客様のようなもので、関わったのは衣装選びくらいである。俺は紋付袴とタキシードをあてがわれる。雪江は白無垢と振袖、ウェデイングドレスにカクテルドレスと、着替えの時間のほうが長いのではないかという充実っぷりだった。ただ、俺たちにとってのメインイヴェントである雪江の歌の際は、おれはJET BLACKでの制服だったマオカラーのスーツを着ることにしている。
「雪江ちゃんのお歌コーナーでは、何を着るのよ」
「ないしょ」
始業式後の最初の週末、俺と雪江はスーパーに買い物に来ている。俺たちはそんな他愛もない会話をしてカートを押す。山形にかぎらず、田舎のほうは週末のまとめ買いが多い。石川家もそうだが夫婦共稼ぎが普通で、毎日買い物に出かけることは稀だ。だいたいの家庭は家も敷地も広く、収納スペースも充分だから買い置きができるのだ。石川家には台所の大型冷蔵庫の他、納屋には業務用の大型冷蔵庫と冷凍庫があるくらいだ。所沢の実家は、母がスーパーでパートをしていた関係で、毎日買い物していたっけなどと想い出す。
「今日、何食べたい?」
「んーまだ暑いしなー冷奴でいいわ俺」
「ダシでもつくろっか」
「あ~あのきゅうりとかナスとか刻んだの。アレ好き」
「オッケー」
雪江がにっこり笑って俺の腕に抱きつく。
「雪江様、仲のよろすいごで」
顔見知りの主婦が冷やかす。
「おばちゃんどごだって、何年たってもラブラブだどれー」
雪江は地元密着モードで返す。名家の跡取り娘だが政治家の娘でもある雪江は、そつなく愛想を振りまく。俺も笑顔で頭を下げた。
「お世話になってますー」
「若旦那様も、見れば見るほどしぇーおどごだすねー。おらえの娘も学院だげっと、若旦那様だら学校でも人気あるてゆうじぇ、女子がら」
「新米ですんで、毎日必死だっすー」
俺の山形弁聞き取り能力と翻訳能力はほぼ完成している。冗談を軽い方言で返すこともできるようになった。
「すっかり馴染んできたね」
雪江が俺の腕に抱きついたまま言う。俺たちはどこから見ても新婚カップルだ。それも少々うざったいくらいの。
「俺ってこんなに笑えるんだって感心したよ」
所沢の実家にいた頃は家族と会話することも少なく、無表情でギターを弾いていた。ミギたちと出会ってからは愉快な思いを沢山したが、それでも今ほど笑い顔をしていることはなかった。
「自分が言ったんじゃないの、ひとりじゃないからだよ」
雪江が静かに言う。
「そういうことか」
俺は納得した。雪江と一緒、両親と祖母と一緒、親戚と一緒、学院と一緒だからなのだ。
「あら」
雪江がまた誰か知り合いを発見したらしい。駆け寄っていく。
「本楯の美優ちゃんだが?」
日塔だった。母親と買い物中だ。
「あらー雪江様、どうもっすー、んだっけ、ご結婚おめでとうございますー」
日塔の母親の訛りに合わせ、雪江は日塔に山形弁で話しかける。
「うわーおっきくなたねー美優ちゃん、私より身長高いどれー、ほして美人になてや~」
「ど、どうも雪江様」
日塔は緊張しているのかぎこちない。そして相変わらず俺を見ない。
「んだー、美優ちゃんおらえのあーくんのクラスなんだってねー、あーくんばいじめでねー」
母親は俺に何度も何度も頭を下げて挨拶しており、多少閉口する。
「あーくん…」
日塔が俺を見る。
「あ、ごめんごめん、おらえの旦那ばいじめねでよー、美依と美緒さもゆっておげなー」
雪江は日塔と話している間も俺の腕に自分の腕をからめたままだ。日塔がその絡まった腕を見やって、なにかつぶやいたが母親の挨拶の声で聞こえなかった。
「雪江様、失礼します」
日塔が母をうながしてすれ違っていった。
「あーくん、やばいね」
カートを押す俺の腕に抱きついた雪江が言った。
「なにがよ」
「美優ちゃん、あーくんに惚れちゃってるヨ」
「ははは、ねぇよそんなん、生徒ですよ?」
「鈍感だね。まぁ、だから安心してられるんだけどね」
「子供だよ子供」
「サクラが私に、オニシロウちゃんのことが好きでたまらないって泣いて打ち明けたの、高校一年の時よ」
「荒木さんそんなこと言ってたな、一六の娘とと二一の男がと思ったけど、とか」
「あのくらいの歳だと、同年代の男子は子供っぽくてダメ。年上しか恋愛対象にならないのよ」
「たしかにうちのクラス見ててもそう思うわ。俺自身そうだったろうし」
「あーくんの何が美優ちゃんのツボにはまったのかしらね」
「俺にわかるわけないだろ。知ってたらそこらの女の子片っ端からツボにはめるわ」
俺はふざけて言った。だが雪江は笑わない。
「美優ちゃん、私に小さい声で言ったわ、かなうわけない、って」
「…日塔はホームルームでも俺の顔を見ようともしないんだがなぁ」
「見たら悲しくなるんだよ、いくら好きになってもあーくんとは恋人になれないって」
女心は複雑怪奇だ。
「大丈夫だとは思うけど、気をつけて。子供だけど、女なんだからね」
「なにに気をつけるんだよ」
「私に殺されないように気をつけて、ってこと」
ウワキシタラコロス、のメールを思い出した。


scene 60

私の名前は日塔美優です。
高校一年生で身長一六三センチ、体重とスリーサイズはパス。趣味はパソコン。寒河江市の本楯というところに住んでいて、両親と祖父母、小学六年生の弟と暮らしています。
私は東京の調布市で育って、小学五年の春から寒河江に来ました。お父さんはこの家で育って山形の会社に入社したけど、東京の大学に行ってたので配属が東京支店。お母さんはお父さんと高校の頃から付き合ってて、お父さんが東京に行っても続いてたんだって。入社四年目に結婚して、私と弟が生まれてしばらく経って、やっと山形の本社に戻ったというわけです。
今年から寒河江中央学院高校に入学しました。一年一組です。転校してきたときから友達になった、美依と美緒と同じクラスで良かった。
私は小さいときから男の子みたいと言われていました。そう言われて、わざと男っぽく振る舞ったりもしてきました。そうしたら、男の人を好きになるって感情がわからなくなってました。
でも私は、初めて男の人を好きになりました。自分で驚いてます。美依と美緒にはうちあけました。ふたりも驚いてました。
その人を見ただけで胸がドキドキします。だからまともにその人を見ることができません。話しかけられると嬉しくて泣いてしまうと思うので、話しかけられないように、なるべく遠くにいます。
その人のどこが好きなのかなと考えます。すごくイケメンだとは思えませんけどかっこいいです。太ってないし。少しタバコ臭いけど、お父さんもタバコ喫うし、気になりません。むしろタバコの匂いが好きになりました。ギターがとても上手です。軽音楽部に入りたい。
でも私がいくらその人が好きでも、どうしようもないんです。だって、その人はもう結婚してて、とてもすてきな奥さんがいるから。
私が好きになった人の名前は、石川愛郎といいます。私のクラスの担任教師です。

(「二〇一五年九月 壱」に続く)

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