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二〇一六年四月 参

scene 101

それから一週間後、入学式の前日、再び三浦家が石川宗家の門をくぐった。市役所で転入届を出してきたと言う。ケイトとナルヨシの着替えや身の回り品などは宅急便で届いている。二人は到着して挨拶もそこそこに荷物を自室へと片付ける。片付け終わり、再び居間へ戻ってきた。
三浦家一同は、真剣な表情で頭を下げる。
「これから三年間、どうかよろしくお願いいたします」
三浦父は重々しく口上を述べ、もう一度深々と礼をする。
「三浦さん、あどわがったがら、子供だのごどはおらえさまがせどげっちゃ」
父が方言全開で答える。三浦父は大体の意味を察したようで、頭を上げる。
「三浦さん、これから三年間、ケイトとナルヨシはうちの子として扱います。よろしくて?」
「はい、願ってもないことですわ。甘やかしてきたつもりは毛頭ありませんけど、目に余るようでしたら、どうか叱って下さい」
三浦母が真剣な表情で言う。ケイトとナルヨシは、基本はいい子、なのである。性別がややこしいだけで。
「おらだも見てはいっけどよ、この町はうるさい大人がいっぱいいっさげ、変なことしたらそっちこっちで叱られるっだな」
父が笑う。西川の祖父や孫兵衛おんちゃん、店長や荒木など、たしかにうるさい大人は多い。
「うわー、妹と弟がいっぺんにできたわーうれしー」
雪江が本気ではしゃいでいる。
「私一人っ子だから、きょうだいがほしかったのー」
雪江はまた双子を抱きしめそうな勢いである。
「あーくんもお兄ちゃんなんだからね、この家では」
昔のバイト先の居酒屋では、客にずっとお兄ちゃんと言われていたが。
「そうだな、家では気楽に行こうや、ナルヨシ」
男同士仲良くな、という意味でナルヨシに微笑みかける。ナルヨシは俺の心を理解したらしく、少年らしい爽やかな表情で微笑み返してきた。
「うちのルールは憶えてるかしら」
母がケイトとナルヨシに問いかける。
「はいお母さん、掃除と洗濯を自分でやること、朝ごはんを必ず食べること」
ケイトがハキハキと答える。
「あいさつすること、法律を守ること」
ナルヨシが父と母をしっかりと見据え、彼にしては大きめな声で言った。
「はいよくできました」
「よしよし、解ってるでねが、心配いらね」
三浦夫妻がようやく安堵の表情を浮かべる。考えてみれば高校に入学するところなのに、実家を離れるのだ。俺は高校どころか大学も半ばまで実家住まいだったわけで、その意味ではケイトとナルヨシは立派なものなのである。三浦夫妻も本当は心配でたまらないだろう。
「にぎやかになってうれしいねぇ」
祖母が三浦夫妻に茶をおかわりさせてニコニコして言う。
「おばあさまにご迷惑ならないようにね」
「何が迷惑なものかね、嬉しいばかりさ」
三浦夫妻はケイトとナルヨシの下宿代半年分として、数十万円の現金を父に渡した。父も母も受け取るのを拒んだが、そういう訳にはいかないと三浦夫妻も粘り、結局、この中からケイトとナルヨシにお小遣いを渡すということで両親は折れた。この後、三浦夫妻を交えて簡素な夕食を取り、夫妻は宿泊先のホテルへ向かう。玄関でケイトとナルヨシが両親を見送る。
「明日からしばらく、うちは静かになっちゃう」
三浦母が少し鼻をすする。
「あっという間に夏休みになってしまいますわ、三浦さん」
「んだんだ、心配すねでおらえさまがせどげ」
「明日は、直接会場へ伺って、式が終わったら帰りますので、ここでご挨拶とお礼ということで」
三浦夫妻が再び深々とお辞儀をし、玄関を出ていった。
ケイトとナルヨシは玄関の戸を眺めた。
「今日から、寒河江市民」
「高校生活のスタート」
二人は戸に向かってボソボソつぶやくように話している。声質が似ているため、誰かが独り言を言っているようにも聞こえる。
「さて、寝場所が替わって最初の夜よ、多分なかなか寝付けないでしょうから、早くおやすみなさいな」
母がケイトとナルヨシに優しげな声で告げる。
「お母さん、すごく優しいのに、学校に行くと変わるのがフシギ」
ケイトが雪江に問いかける。
「まぁね、私もちょっととまどったけど、最初だけよ、すぐ慣れる。だいたい、生徒なんだから理事長をしょっちゅう見てるわけじゃないでしょ」
「そ。学院では部下として働いてる俺は、慣れるのに時間かかったけどな、すぐ慣れる」
「私いちおう実の娘なわけじゃない?学校行くとただの石川だったからね、雪江とも呼ばれない。友達のほうがびっくりしてたよ、理事長じゃないお母さんを知ってる子は特に」
「完全に二重人格じゃん」
ナルヨシが冷静に語る。
「だから、あたしたちのこと気にするのかな」
ケイトが冷静に語る。
「はいはい、今日はもう休みましょ。お風呂お入りなさい」
雪江がお姉さん風を吹かせる。
「ありがとお姉ちゃん、ナルヨシ、行こ」
「おう」
ナルヨシとケイトが当たり前のように並んで歩き始める。
「え、あんたたち一緒に入るの?」
雪江が驚いて言う。たしかに、仲の良い双子とはいえ、高校生になりたての男女だ。
「あ、言ってなかったね。あたしたちこれまでずっと一緒にお風呂入ってたから、もう習慣なの。ドン引きするかもしれないけど気にしないでほしい」
「俺はさっさと上がっちゃうし」
「いいんじゃない?母親の子宮の中ではこの二人はずっと一緒に羊水にひたってたわけだし。いちばんのリラックス方法ね」
母がそう声をかけて脇を抜けていく。
「そういうことか、道理で」
「一緒にバスタブに入ってると安心したよね」
想像のはるか斜め上を行く双子、そしてさらに斜め上を行く母。俺と雪江は顔を見合わせてくすっと笑った。


scene 102

次の日、入学式当日である。俺は年に何回もないスーツにネクタイの姿で朝の食卓へやって来た。台所では母と雪江、そしてケイトもエプロン姿で朝食の支度をしている。父はナルヨシに寒くなかったかなどと聞いている。
「東京近辺とは、半月近く季節がズレる。ただし夏はけっこう暑い。そして秋がすぐ終わって雪が降る。これが山形」
俺もナルヨシに語りかける。ナルヨシは夏やべえなどと笑っている。
新しい家族が二人追加されているとは思えないほど、淡々と朝食の時間が過ぎていく。まるでずっとケイトとナルヨシはずっとここで生活していたかのようだ。
「ケイト、ナルヨシ」
食事を終えて、母がお茶をすすりながら二人に声をかけた。
「これから三年間、絶対忘れないで。あなたたちは、うちの子よ」
「んだ、わしぇんなよ、おまえだは俺の息子ど、娘だがらな」
ケイトとナルヨシは力強く頷く。彼らの性同一障害は、この先必ずなんらかのトラブルを生む。田舎だからこそのトラブルもあるだろう。母は、そのためにケイトとナルヨシを自分の庇護下に置いたのだ。
「はい」
ケイトとナルヨシはまったく同時にそう発声し、両親に答えた。
「じゃ、私は出かけます。あとね、何があっても私の車で学校へ連れて行ったり乗せて帰ることはないから」
「そ。俺もだ。ま、車で行かないけど、一緒には歩かない」
「なにがあってよ、どうしても送ったり迎えに行かねばねえ時は、俺か雪江が対応すっから」
「お父さん、お母さん、私達わかってますから」
「むしろ一緒に登校とかマジ勘弁」
「ケイトもナルヨシもいい子だね、お姉ちゃん安心よ」
雪江が長い髪を束ねてパンツスーツ姿で玄関へやってくる。
「わぁお姉ちゃんもお仕事の時はバリッとするんだ」
「なによケイト、普段はアホみたいじゃない、私」
「アホにしか見えない」
ナルヨシがぼそっと言って玄関を出ていく。ケイトがケタケタ笑いながら追っていった。
「本当に、性別が見た目通りなら、非の打ち所のない子たち」
雪江がポツリと言い、俺と両親も頷く。
「非の打ち所がないんならそれでいいべ。あんまり細かいこと気にすんな」
祖母がニコニコ笑いながらそう声をかけ、居間へ入っていった。
「そうね、やってみないと何もわかんない。細かいこと気にしない」
母が独り言のようにつぶやいて玄関を出た。俺はその後を続く。
「まったく、センセイって職業もおもしろいもんだな」
石川宗家の門を出ると寒河江駅前ロータリーにつながる。ロータリーの端と門柱の間には駅前交番があるのだが、昨年小川を職務質問したり孫兵衛さんの心臓発作を救ってくれたりしたあの警官は異動になったとのことで、ものすごくいかつい顔と筋肉質の身体を持つ警官が着任している。しかし見た目に反してとても腰が低くて、優しげな声なのである。通学の時間帯は外に出て、通りかかる児童生徒の見守り声がけを欠かさない。
「若旦那、おはようございます」
「どうもおはようございます」
大沼というこの警官は、荒木や店長より年上で、高校時代面識があったそうだ。彼らはニヤニヤ笑ってすべてを話さなかったが、どうもキョースケ先輩の前に、山形市近辺の高校に睨みを効かせていた人らしい。
「今度お茶でも飲みにいらしてください」
俺は丁寧に頭を下げ、学校へ向かう。
道すがら、学院の生徒たちが明るく挨拶を投げかけてくる。最近ようやく新二年生たちの顔と名前をだいたい全部覚えたが、新三年生のほうはまだまだだ。新一年生など、ケイトとナルヨシ以外覚えられる気がしない。
トールパイン前の角を曲がり、学院へつながる坂道に入っていくところで、女生徒たちが後ろからあいさつを投げてきた。今日は入学式だが、新学期は昨日から始まっている。
「いしかわせんせーおはよーございまーす」
菅野・日塔・鈴木、俺のクラスの生徒であり軽音楽部の部員である三人だ。山形の四月初旬はまだまだ寒い。三人とも、同じ色のパーカーをコートがわりに着ている。まったく仲良しなことだ。
「せんせー、一年に変わったコ入ってくるって聞いだげっと?双子だて?」
三人の中では、まったく訛りを気にせずネイティブな寒河江弁で話す鈴木が、あけすけにケイトとナルヨシのことを聞いてくる。小柄で、かなり子供っぽい風貌の鈴木だが、ものすごく耳が早いところは、ゴシップ好きのおばさん並だ。
「あー通学時にあまり話しないようになー」
通学途中はあまり私語をかわさない、というのは生徒の心得としてある。俺は足早に歩いて三人を振り切った。
学校に着いて教員室へ入る。今日は教職員の誰もが正装している。卒業式はけっこう厳粛な感じの正装だが、入学式は明るい感じの正装と言ったところか。
「石川さん、ケイトとナルヨシは大丈夫ですか」
新調したと思しきグレーのパンツスーツをまとった小川が、食い気味に俺に問いかける。むしろキミが大丈夫なのかと言いたい。
「いや、まだ一晩明けただけだから、わかりませんて。それとその話題はココではダメです」
ケイトとナルヨシを石川宗家に下宿させていることは学院では公然の秘密というやつだが、理事長のプライバシーににもつながることなので、皆話題にしないようにしている。俺のプライバシーもあるし。
「これは失礼した、だがね、ちょっと気になるわけだよ初担任ですし」
今日の小川は、年に何度もお目にかかれない本気メイクである。普段はヘアゴムで無造作にまとめている髪も、今日は髪の束を何度かねじった上にバレッタでまとめている。今気がついたがメガネも新調しているではないか。
「そのようですね、いろいろ気合が入っているようで」
「一六歳の少年少女と交流することはとても刺激的だよ石川さん」
小川は鼻の穴を広げて息を吹き出す。どうも彼女が言うと違う意味に聞こえて仕方がない。小川は身体中からやる気をみなぎらせて、担任するクラスへ向かった。俺も担任二年目となるクラスへ向かう。
教室へ入ると、新しいクラス委員が号令をかける。去年は菅野が務めていたが、年度明けに菅野の指名で松田という男子が選ばれた。大柄だが物静かな生徒で、剣道部に所属している。菅野もなかなか男を見る目があると思ったが、そういえば松田は柏倉を思わせる雰囲気の男だ。なんだそういうことか。
「えー今日は皆さん知っての通り、入学式。それぞれ役割分担されてるでしょうから、持ち場について準備してください」
松田が立ち上がり、号令をかける。礼が終わったあと松田が解散、と声をかけ、クラスが担当先に散っていく。俺は特に何もしていないが、良く規律の取れたクラスだと思う。素行が悪い生徒がいるわけでもなく、カリキュラムについて来れない生徒がいるわけでもない。学院は良家の子女が集う学校だから当たり前だが、店長や國井たちのほうがレアケースだったわけだ。そしてそのレアケースがまたやってくる。俺は柄にもなく気を引き締めた。
「理事長お時間です。会場の方へ」
俺は理事長室のドアを少し開けて中へ声を掛ける。俺は学院の中では理事長の付き人的な立ち位置を与えられてしまっている。上司と部下とはいえ、ぶっちゃけ義理の息子なんだから近くに居ろ、ということなのだ。学校行事の際は先導係として理事長の前を歩いていく。
入学式会場へ向かう廊下に生徒の姿はないが、俺は理事長の前に立って歩く。会場入り口付近では、父兄の姿がちらほら見える。
「まもなく式が始まりますので、会場へお入りください」
俺は一度立ち止まって彼らに声をかけ、理事長こちらですと言ってステージ直通の通路へ導いた。会場に入っていなかった父兄が、あれが理事長かーなどと話している。彼らは多分寒河江市の住民ではないのだろう。この町の住民なら、石川の奥様の顔を知らないはずがない。俺は父兄らに会場へお入りくださいともう一度声をかけ、職員用通路へのドアを開けた。
学院の講堂は、演劇部や吹奏楽部の公演も行うため、市民会館の中ホール並みの収容力があり音響設備もかなりのレベルだ。学院の演劇部と吹奏楽部、放送部は全国大会常連の実力なのだが、こうした設備の充実が後押ししている。
ステージ上のバックスクリーンには、プロジェクターで学院のイメージビデオがエンドレスで流されている。放送部が昨年度の課題として作り上げたもので、けっこういい出来である。なにしろ軽音楽部がしっかりと取り上げられているから。
イメージビデオがフェイドアウトしていき、ライトも落ちていきステージ上が真っ暗になる。舞台袖にピンスポがあたり、大畑指導部長が直立不動で立っている姿が浮かぶ。
「これより入学式を挙行する、一同起立」
あいかわらず、この人にかかると入学式も卒業式も陸上自衛隊の演習になる。
「国歌ならびに校歌を斉唱いたします」
放送部の女生徒がナレーションをはさむ。ステージ上には吹奏楽部と合唱部が整列している。厳かに国歌と校歌が斉唱された。
「新入生入場」
放送部が担当するナレーションは一拍置いて、一年一組と言って担任の名を呼んだ。担任がステージ中央に登場すると、新入生の名前がナレーションされる。さすが放送部だけにいっさい噛まない。新入生はステージ左手から列をなして登場し、担任の前を通り過ぎて右手側の階段から席に降り、着席する。席では列ごとに在校生が付いて着席させている。
ナレーションが他の生徒にかわる。さすがに百数十人の氏名を一人で読み上げるのは無理だ。だいたい十数人ごとに交代なのだろう。学院は出席番号は姓名のあいうえお順で男女混合である。
「一年三組、担任、小川沙綾」
いよいよ小川の番だ。凛とした表情を作ってステージ中央に進む。学院では最も若い女性教師の登場に、父兄席が軽くざわつく。小川はそれを意に介するでもなく、目の前を通り過ぎていく生徒たちの顔と名前を確かめているようだ。人の顔と名前を覚えるのは得意だと語っていた小川なので、明日からはもう名簿いらずになるのではないか。
「三浦ケイト。三浦ナルヨシ」
ケイトとナルヨシの名が呼ばれ、二人が続けて小川の前を通り過ぎる。小川の表情がこの瞬間、ちょっとやばい笑顔になったのに気がついたのは俺だけだろう。
彼らの名が呼ばれたとき、場内が多少ざわつく。鈴木が知っていたように、一部の生徒や父兄の間には噂は広まっているのだ。
入学式は、恒例の来賓挨拶とか在校生より歓迎の言葉とかをやって進行していく。そして理事長のお言葉でシメである。
「最後に、学院の基本的考えをお伝えします。これは、学院の教育理念に掲げられているわけではありません。あくまで私の考えです。正確には、先代の理事長の教えでした」
理事長は、入学式におけるあいさつとしては当り障りのない事をサラリと述べたあと、こう切り出した。
「学院に集う生徒は、みんな私の子供です。私が皆、守ります。もちろん学院の教職員全て、皆さんの味方だと思ってください。先代の理事長は、二五年ほど前、親が入信していた問題のある宗教団体に連れ出されてしまった生徒を、東京にあった本部施設に乗り込んで、奪還してきました。その時、先代は対応した教団幹部に、このヤロコはおらえのんぼこどおんなじだ、うさなヤロの勝手になど、決してさしぇね、おべどげなれ、とまくしたてました。あそこにいる世界史の佐藤と私が一緒に行ったのですが、私など、問題がある宗教団体の本部に乗り込んだことより、先代の理事長の剣幕のほうがずっと恐ろしくて。震え上がってしまいました」
父兄席から軽い笑いが漏れる。
「先代の理事長はこのように非常に厳しい方でしたが、生徒に対する愛情は並々ならぬものがありました。それだからこそ、人間の道から外れそうになった生徒には、迷うことなく手を上げて思いとどまらせることもあったといいます。先代の理事長が亡くなったのは一八年前ですが、理事長に鉄拳を腹いっぱいごちそうされた元生徒たちが次々と葬儀に駆けつけ、遺影の前で号泣していたものです」
会場がしんみりとしている。佐藤さんなどは涙ぐんで鼻をすすっている。
「私は、先代の理事長には及ばずとも、生徒たちへの愛情を決して捨てず、時には鬼となっても人間の尊厳を伝えていきます。新入生の皆さん、決して一人で悩まないでください。友人に先輩に教職員、そして町の人達が皆さんの味方です」
理事長がスピーチを締めくくると、父兄席から大きな拍手が起きた。ケイトとナルヨシへの防御線であることが明らかなスピーチだ。ひとまず、入学式は無事終了し、三浦夫妻は遠くから理事長と俺に一礼して学院を去っていった。

(「二〇一六年四月 肆」へ続く)

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