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二〇一五年一〇月 壱

scene 72

寒河江中央学院高校の学校祭である陵山祭まではもう二週間を切っている。校内はそれぞれが準備に忙しい。俺は担任する一年一組の催しと、顧問を務める軽音楽部の練習と、ついでに家の田んぼの収穫まであり、めちゃくちゃ忙しかった。父が県議選を無投票で通過したのが唯一の救いだった。
軽音楽部のほうは、プロを目指して一歩踏み出した西川と大泉に任せておけば安心である。西川は先日の一件でまだ顔中に湿布を貼ったままだが、陵山祭当日までにはほぼ完治するだろう。部長の沖津は特進グループの補習で忙しく練習にも付き合えていないようだが、彼女もそこそこのドラマーであり心配はない。意外だったのは、柏倉が熱心に部活に参加し、菅野に指導をしてやっていることだ。沖津は鈴木にドラムの指導してやれないことを嘆いていたが、こちらも柏倉が基本を教えていた。
「手足ば全部違う動きさしぇる、って点では、ドラムもピアノも似たようなもんだ」
柏倉はぶっきらぼうに言ったが、彼は軽音楽部が楽しくなってきているのだ。
実は、俺の担任する一年一組の催しは、陵山祭のステージ発表のトリを務めるSTAY GOLDの演奏に合わせてダンスをするというものだ。軽音楽部の顧問でもある俺の立場をうまく利用した企画で、軽音楽部の新入部員である菅野たちの発案だ。STAY GOLDにダンサーとして参加すると宣言している國井と五十嵐が振り付けを担当した。國井と五十嵐、それぞれが男女のダンスを考案したが、うまく男女の動きが噛み合った振付だった。
國井も特進グループなので指導には来れないが、ジャージ姿の五十嵐が体育館の隅で一年一組のダンス指導をする。菅野と日塔と鈴木がその下で個別指導に走り回っていた。
「五十嵐の組の出し物はいいのか」
「うちのクラス喫茶店だしー。あんますっことないから部活の方を優先していいって言われてっしー」
まあ広い意味ではSTAY GOLDのステージ発表のための活動だ。
「いや、助かるわマジで。俺はダンスとかからきしダメだから」
「センセはギター弾いてるほうがあってるヨ」
今日の五十嵐は珍しく化粧をしていない。なるほど、櫻乃の再来といわれるだけあって、ノーメイクでもたいした美人である。
「雪江様にも、うちらのダンス見に来てってゆっといてよ、あーくん」
五十嵐がにっこり笑う。
「その名前で呼ぶな、指導部に言いつけるぞ」
「雪江様も櫻乃様もそうゆったっけどれー」
「家族と友人だけにしか許可してない」
「愛人は家族ですか友人ですか」
いきなり日塔が話に割り込んできた。五十嵐がゲラゲラ笑う。
「美優ーなにーあんた愛人なて言葉知ってんだがしたー」
俺は日塔を軽く睨みつける。日塔が小さく舌を出した。さいわい五十嵐はそこにツッコむことはなく、今日の練習の終了を後輩たちに告げた。生徒たちは三々五々解散していく。
「センセお先ー」
五十嵐はジャージの上から制服の上着を羽織ってスカートをまとい、通学用バッグを抱えて体育館を出て行く。
「さて、部室の方のぞいてみるか」
俺はひとりごとのように言いながら立ち上がり、体育館を出る。日塔が音もなく俺の後ろについた。
「あーくん」
「何だおどかすなよ」
「今はふたりきりだから呼んでいいんだよね」
部室棟へ向かう道は、もう薄暗い。午後六時近いのだ。山形の一〇月は東京に比べればえらく涼しい。
「好きにしろ」
俺は教師の口調をやめて小さく答える。
「手、つなぎたいな」
「学校ンなかだ、それはダメだいくらなんでも」
「ちぇー」
日塔は手をつなぐかわりに俺の真横に並んで歩いた。時々腕が触れ合う位の距離だ。
「披露宴のときにね、雪江様に言われた。私にばれないようにすればあーくんを好きでもいいって」
「なんじゃそら」
「同じ男を好きになった者同士、仲良くしようって」
あの時雪江がミギに言ったセリフだ。
「雪江様公認の愛人、わたし」
ジャージ姿の日塔が俺を見て満面の笑みをたたえた。校名がプリントされたジャージ姿の高校一年生がこんなセリフを言うとは。俺は頭痛がしてきた。
「雪江…何言ってんだまったく…」
「大丈夫、バレないように気をつけるよ」
何が大丈夫なんだ。一体何をバレないようにやるつもりだ。
「日塔、練習終わったら早く帰りなさい」
俺は教師に戻ってそう言い、早足で歩きはじめる。なにか嫌な予感がしたからだ。
「やだやだ、あーくんと一緒に部室行くの」
「部室は西川たちが仕上げの練習中だ。悪いが陵山祭が終わるまでは、新入部員の面倒を見る余裕はないぞ」
「だって着替えるんだもん、部室で」
「なら早く着替えてな」
部室へ来ると、もう灯りは消えている。今日はだいぶ早めに練習を切り上げたようだ。
「なんだ、先輩たちもう帰ったんだ」
日塔は俺に続いて部室へ入ってきて、更衣室としても使っている倉庫へ入っていった。俺は条件反射のように、ここに置きっぱなしにしている自分のギターを抱える。アンプの電源を入れ、つながったままのエフェクターのスイッチを入れる。ギターを一日一回弾かないと落ち着かない。俺は音をしぼって、STAY GOLDが演る例のヒット曲を弾いていた。
「あーくんステキ」
日塔が後ろから抱きついてきた。ギターに熱中していたため、日塔が背後に迫っていたことに気がつかなかったのだ。
「抱いてほしい」
日塔が小さな声で言う。あれ。俺の胸に回された日塔の両腕。素肌だ。あれ。
「抱いて、あーくん」
俺は恐る恐る後ろを振り返った。なんと日塔はブラとショーツ、靴下だけの姿だ。
「うわわわわ」
俺は日塔の腕を振りほどき、あわてて部室を駆け出しドアを閉めた。ギターを抱えたままだが、こんな時にもシールドをしっかり抜くことだけは忘れない。アンプがハウる音が部室の中から聞こえる。周囲を見回したが、とりあえず誰もいないようだ。
「あーくんのバカ」
ドア越しに日塔が大声を出す。
「ばばばばばバカはお前だ、おおお俺を懲戒免職にしたいのか」
俺は動揺を抑えきれずにどもった。
「私が黙ってればバレないでしょ」
日塔の声が小さくなった。
「バレなきゃいいってもんじゃねぇだろ」
「雪江様は、バレないようにやんなさいって」
「それはそういう意味じゃなくてな」
「…雪江様が怖いんだ」
「怖いよ!」
俺が間髪入れずに言ったので、日塔が笑った。ドア越しにかわいい笑い声が聞こえる。
「んじゃ、もっとオッパイが大きくなってからにする」
日塔はそう言うと、また倉庫兼更衣室へ戻ったようだ。
「あぶねぇ…」
俺は大きくため息をつく。雪江が言っていた、女が押し切る時があるというのはこれか。部室のドアを開け、日塔がいないことを確かめて入っていく。ギターをスタンドに戻し、アンプの電源を落とす。日塔が制服に着替えて出てきた。俺を見てにっこり笑う。
「悪魔かおまえ」
「ひどーい」
日塔は今度は正面から抱きついてきて、軽くキスをしてきた。危うく彼女の腰に手を回すところだったが、理性が勝った。というより雪江が怖かった。
「もう終わり、帰るぞ」
「ちぇー」
日塔は名残り惜しそうに俺から身体を引き離す。
「学校の中ではやめてくれ、マジで。誰に見られるかわからん」
「はぁーい」
部室の電気を消し、俺たちは帰路につく。校内で運動部の生徒などとすれ違ったが、別に訝しむようすもないのでホッとする。
「自転車取ってくる。待ってなくていいよ、追いつくから」
彼女口調が板についてきた。仕方ない、好きにさせておこう。じきに冷める。
「歩くの速いよー」
ライトを点灯させた日塔の自転車が走ってきて、俺の隣で止まる。日塔は自転車を降りて俺と並んで歩く。通学路はすっかり陽が落ちて街灯が灯り、日塔の白い肌がよけい際立つ。
「さっきの、ホントだからね」
「なんのことだ」
俺はとぼけてみせる。
「意地悪。抱いてほしいって言ったでしょ私」
高校一年の女子生徒に何を言わせてるんだ俺は。
「あぁ、わかったわかった。そのうちな」
俺はそっけなくあしらう。しかし、社会人として不適切な妄想を始めていたのも事実だ。
「んもー、私が黙ってればいいだけの話じゃない」
「黙ってるという確約がないし、そもそも条例違反で犯罪だ」
頭のなかでは条例違反してしまったが。
「んじゃ一八歳の誕生日にしよう。それなら犯罪じゃなくなるんでしょ」
日塔は表情を明るくしてそう言い放つ。うれしそうに言う話じゃないだろうそれは。
「その頃にはもうキミにはちゃんと彼氏がいて、あんなこと言うんじゃなかったと自己嫌悪に陥ってるだろうな」
俺は妄想をようやく頭のなかから追い出し、少しトゲのある言い方で答えた。
「そんなことないもん」
日塔が口をとがらせる。
「ははは。まぁおまえが今のセリフを覚えてたらな。俺は忘れるから」
「言ったね、十八歳の誕生日。五月二五日だからね」
「忘れるなたぶん」
日塔の誕生日が五月二五日であることは、名簿で見てうっすら記憶してはいたのだが。
「私が憶えてたら、一八歳の誕生日に、私を抱いてくれるって、言ったよね」
「はいはい、言いました言いました」
ようやく子供扱いに戻れた俺。
「見てなさいよ、毎日牛乳たくさん飲んで、オッパイ大きくするんだからね」
「牛乳で大きくなるのは身長じゃないのか」
「沖津先輩みたいになって、あーくんをメロメロにするんだ」
「俺がいつ沖津にメロメロになったんだよ、柏倉じゃあるまいし」
「とにかく私忘れないんだから」
「言ったろ、その時にはおまえは自己嫌悪に陥ってるって。俺は忘れるから、その時には気楽にしてていい」
「ホント子供扱い」
「子供だもの、美優は」
日塔がまた口をとがらせる。彼女は同年代の女子生徒の中ではかなり大人びて見えるのだが。
「でもあーくんがまた美優って呼んでくれたから今日はいい」
日塔はまた素早く俺の唇を奪い、自転車で駈け出す。
「いしかわせんせいさよーならー」
俺は高校一年生らしい元気さで走り去る日塔をぼんやりと眺めながら、歩いて家へ向かった。
「忘れた」
危うく妄想の続きをしそうになり、俺は自分に言い聞かせる、あれは妹だと。子供だと。
自分で言うのもなんだが、俺はセックスには淡白なほうだと思っている。積極的に求めたのは雪江と暮らし始めて数カ月程度の期間しかない。その俺がこんなにムラムラ来るというのはどうしたことか。日塔に惚れてしまったのか。
「妹じゃなくて生徒だからな」
俺はもう一度自分に言い聞かせた。
家に戻ると、玄関ではなく喫煙所の東屋を目指す。学院は当然ながら敷地内全面禁煙で、教職員も例外ではない。愛煙家の教職員は、昼休みなどには近くのコンビニエンスストアへ行き、買い物ついでに店の前に置かれた灰皿の前で喫煙するのだ。俺はそこまではしないが、やはり日中まったく吸わないと、身体がタバコを欲しがる。自宅の喫煙所までが、俺の通勤ルートである。
煙を深く吸い込んで、ようやくいけない妄想が頭のなかから消えた。二本目に手を伸ばしたとき、母のクラウンが駐車場に入ってきた。理事長のご帰宅だ。
「おかえりなさい」
俺は母に声をかけた。家の敷地内ではあくまで母であり、家族に接するように座ったままで挨拶をする。
「はいただいま。学院は敷地内禁煙だからねー。あーくんはそんなにニコチン中毒じゃないからいいか」
母が俺の隣に腰を下ろす。
「一本ちょうだい」
「お母さんタバコ喫うの」
俺は驚きながら母にタバコを差し出し、火をつけてやる。
「時々喫いたくなるのよね。いつもはお父さんのをもらってるけど」
母は流麗なポーズで煙を吹き出す。年季の入った姿だ。
「なんか意外」
俺は正直な感想を述べる。
「あらそう?あーくんの前で喫ったことなかったっけか」
「まったく記憶にありません」
母が愉快そうに笑う。
「隠してたつもりはないけどねー。大学の頃ちょっと覚えちゃったのよね」
もしかして、同棲していたという男のからみか。
「雪江だって同じよ、ごくたまにタバコくわえるよ」
「えぇー知らなかった」
「二〇歳になったから喫ってみるって。私が喫うときあるのは知ってるし、真似したかったんじゃない?」
「まぁ、別に気にしませんけどね。俺がタバコ喫うんだから、おまえは喫うなっては言えない」
「お父さんと同じ事言う」
母がまた愉快そうに笑い、タバコを灰皿で消して立ち上がる。
「あ、そうそう」
去りかけてくるりと振り向く母。
「あーくん、日塔美優にあんまりかまっちゃダメ。通学路を並んで歩くのは感心しないわ。それも楽しそうに話しながら。雪江に殺されても知らないからね」
俺は少しむせた。この人はすべて見ているのか。
「いやあれは、陵山祭の準備ですこし遅くなって、たまたま帰るタイミングがいっしょで」
「そうでしょうけどね、誰が見てるかわからないのよぅ。気をつけてぇ」
「気をつけます」
俺は少し恐縮して答えた。
「雪江にばれないようにねぇ。県条例違反しないでねぇ」
くすくす笑いながら母は玄関へ向かう。部室に隠しカメラでも仕掛けてあるのか。この人は俺の頭の中を見てるのか。
この夜どうにも我慢ができず、めずらしく俺の方から求めた。そうしたら雪江は頼みもしないのに学院の制服を着るのでいろいろ困った。


scene 73

寒河江市の秋の風物詩ともなっているという、寒河江中央学院高校学校祭、陵山祭の日がやってきた。広い敷地が一般公開され、山形名物の芋煮鍋もほとんど材料原価のみで販売されるため、敷物の上でこれをおかずに加えて弁当を広げる家族連れも大勢いる。他校の制服を着た生徒もたくさんおり、中々の盛況ぶりだ。
陵山祭の運営は生徒会が中心になって行われるため、我々教職員はバックアップ中心である。先月の西川と馬見ケ崎実業の一件もあり再報復が懸念されるため、指導部が中心になって警備チームも結成された。スーツ姿の山口さんは耳にイヤホンを入れ、背広の襟に仕込んだピンマイクで何事か話しながら場内を巡回している。要人警護のSPかなにかのようだ。山口さんのチームが本格出動する事態にならないことを願うばかりだ。
陵山祭のプログラムは問題なく進行していき、昼を過ぎた。携帯が振動しメール着信を知らせる。
「お弁当作ってきたからいっしょに食べよう」
雪江からだ。そういえば腹が減ってきたところだ。校門で待っていると返信し、職員室で待機している他の教職員に妻と昼メシを取りますと伝えて校門に向かった。
ほどなく、雪江と櫻乃、店長が連れ立って歩いてくるのが見えてきた。いくら田舎町とはいえ、休日の午後一時を回ったところで飲食店が店じまいしていいものか。
「店長、店はいいんスカ」
櫻乃に左腕をがっちり握られた店長に尋ねる。
「陸王さまがしぇできたはー」
正式に結婚を決めたためか、店長はもう櫻乃にデレつかれても恥ずかしがらない。
「キヨシローちゃんのお弁当一緒に食うべ、あーくん」
バスケットをかかげて櫻乃が笑う。
「なんだ、お弁当作ってきたって店長のか」
「私が作るより美味しいもの」
雪江が俺の右腕に腕を絡める。そして櫻乃と並んで歩く。女性二人、左右にそれぞれのパートナーを従えて陵山祭の飾り付けのなされた校門をくぐった。
「キャ~雪江様、櫻乃様!」
たちまち三年生の女生徒が群がってきた。彼女たちが一年の時雪江たちは三年で、後輩の女生徒たちに宝塚女優並みにもてはやされていたと聞いていたが、嘘ではないようだ。二年、一年の女生徒もすぐに集まり出し、握手を求められている。櫻乃はバスケットを店長に渡して握手に応じる。雪江もそうだが、お互いのパートナーの腕からは決して手を離さない。
「雪江様も櫻乃様も、幸せそう…」
三年生の女生徒が顔を上気させてそう言う。
「ほんて、すばらすぐ幸せだじぇー。あなただもはやぐおどごめっけろなー」
櫻乃はいつもの訛り全開である。しかしそこがいいのだ彼女は。
「んだって櫻乃様は高校のときから店長って彼氏がいたのでしょう?私そんなの影も形も」
女生徒は目をうるませて櫻乃と話す。
「私は高校三年間男っ気ゼロだったけど何か?」
雪江が俺の腕をしっかり抱えたままその女生徒に語りかける。
「雪江様は東京で石川先生と知り合ったんでしょ」
「そ。一本釣りしたのよぅ」
「メシ食わせてくれたからなー」
俺が軽口を飛ばすと櫻乃も店長も女生徒たちも笑った。
「私だ、弁当広げっだいんだげっと、どっかいいどごあっべが」
「櫻乃様、中庭の一番いいトコ優菜が確保してます!」
三年生の女生徒が、五十嵐を呼びに行った。
「聞きしに勝りますなぁ、雪江様と櫻乃様の人気は」
俺は半ば本音で言った。
「サクラ目当てで店に来るのはな、わがいおなごばりよ、マジで。俺には理解でぎね」
店長がぼそっと言う。それは、この人が彼と知っていたら、櫻乃目当てで男は来ない。それにしても店長が櫻乃をサクラと呼ぶのは初めて聞いた。本当に店内外で使い分けるのだな。
「優菜がいたらこんなもんじゃすまない…」
雪江が少し顔を曇らせた。
「私三回ベロチューされた」
五十嵐のあのテンションだとやりかねない。
「雪江様ぁぁぁぁん!」
ゴスロリチックなメイド姿をした五十嵐が叫びながら走ってきた。五十嵐のクラスは模擬店の喫茶店をやっているが、そのウェイトレスの衣装だろう。今日は衣装に合わせてか、白塗りに近い化粧だ。
「中庭の特等席、確保してありますから!あーくんに雪江様必ず連れてきてって頼んだんだからゼッタイ来てくれると思って!」
「優菜。あーくんて呼んでいいのは」
「家族と友人だけだ」
雪江と俺は完璧なコンビネーションでいつものセリフを言った。
「いやーんステキステキかっこいいー雪江様!ダメおしっこもれそう」
「優菜、あだまおかしいず、あいかわらずだったら」
櫻乃が苦笑する。
「あぁ、母親はあだいどっしりしてんのにな、オヤズのほうだべがこのテンション」
店長も笑った。母親のスナックの方は五十嵐がいるので学院の教職員は寄り付かない。父親の経営する居酒屋のほうは学院の教職員も気軽に立ち寄る。確かに陽気を通り越したハイテンションなオヤジさんだった。
「優菜ぁ、あどよ、あんたのクラスの模擬店の喫茶店、店名がトールパイン学院店てなによ」
櫻乃と店長が笑う。
「櫻乃様もこの衣装着て店さ立ってもらうだいー」
五十嵐のハイテンションはおさまらない。
「あんまり趣味でないのよ、そうゆうなは」
そうは言っても、モデルか女優かという美人である櫻乃なら、何を着ても似合うだろう。
「いいがもしんねな」
店長がぼそっと言う。
「なんだキヨシローちゃん、こいな好みだっけんだがしたー。んだらよろごんで着るべしたー」
「いやーん櫻乃様可愛いすぎるー。はやぐこれ着て着て着て」
「優菜、ここで脱ぐな!」
五十嵐がメイド服をこの場で脱ぎそうな勢いなので、雪江があわてて止めた。
「あんたのサイズだど私着られねべしたはー」
五十嵐は小柄なほうだし、櫻乃は雪江よりも背が高い。
「んじゃ他の娘の持ってくるー。せっかくだがら雪江様も着てー」
「もう好きにして。とにかくお弁当食べる場所に案内してよ、その特等席」
五十嵐は他の女生徒に案内を頼むと、またダッシュで駆け出す。模擬店に戻って、メイド服を集めてくるつもりだろう。
「なるほどねー、ここは特等席だったね」
案内されたのは、中庭の藤棚下にあるレンガ造りのベンチとテーブルだった。石造りの椅子とテーブルが冷たくないよう、クロスがかけてあって予約席というスタンドが置いてある。
「こごは三年生のちぇっとつかしった人だが必ず座ったっけずねー」
「私らのときは、アケミとヒロユキのグループ」
「アケミ、どさがいったんだはー。家さいねなよー」
「あらぁ川崎だがさいるみでだな。ヒロユキにきいだげっと」
そんなローカルな話題で盛り上がりながら、俺たちは席についてこの街屈指の料理人である店長の弁当を広げる。
「ミラノ風カツレツにサルティンボッカ、アクアパッツァな」
カツレツ以外聞いたことがない料理だ。
「パエリアっぽく色を付けた混ぜご飯おにぎり」
櫻乃がバスケットから黄色い飯のおにぎりを取り出す。パエリアは知っている。
「フルーツはラ・フランス。こないだキズ物大量に貰っちゃって。」
雪江は皮をむいてタッパーに入れたラ・フランスを出す。ラ・フランスって洋なしのことか。
「店長、サルティンボッカってサーカスじゃないんですか」
「若旦那、それはサルティンバンコだべ」
店長が苦笑する。
「サルティンボッカは、おもに子牛の肉と生ハムを重ねて焼いた料理です」
傍らにやってきた見知らぬ高校の制服を着た女生徒がさらりと解説する。やはり、小川だった。
「サーヤ、今日はなんのコスプレなの」
パエリアおにぎりを頬張りながら雪江が小川に尋ねる。
「エヴァンゲリオン新劇の真希波・マリ・イラストレイリアス」
これまたサラリと答えるが、元ネタを知らないのでなんとも言いようがない。
「サーヤだら何着ても似合うごどー。現役の女子高生みでだー」
櫻乃が褒める。まぁたしかに女子高生に見えなくもない。長めの髪を両脇でまとめ、ピンクのフレームのメガネをしている。白いシャツに緑のネクタイをし、けっこう短めのチェックのスカートだ。
「石川さんの披露宴で攻殻機動隊の草薙素子をやったので髪を切りましたから、今日はエクステですが」
「それはどうもすいませんでした」
謝るとこなのかここは。
「いえいえ。学祭は堂々とコスプレができて嬉しいですよ。アニメ同好会とは、今日のためにあるようなサークルです」
そういえば中庭のところどころに、尋常ならざるファッションに身を固めた連中が集い、撮影会をやっている。
「石川さん、昼メシですか」
ヨーロッパの上流階級の紳士を思わせる、胸元にスカーフを巻いた薄いサングラスの男が声をかけてくる。東海林さんだ。小川がすっと寄り添う。
「天空の城ラピュタのムスカなのです。初めて会った時から、東海林さんはムスカそっくりだと思っていたので」
それは聞いたことがあるし、テレビで観たと思う。
「見ろ人間がゴミのようだ」
東海林さんがそう言うと、周囲に集まった同好の士が一斉にシャッターを切る。多分、似てたと思う。
「あと、地が似てるってことで、石川さんのクラスの日塔を特別参加させました」
「ふわ?」
髪が青くて眼が赤い色白少女が、髪と同じような色のジャンパースカート型の制服を着て現れた。肩に触れる程度のボブは、やはり日塔だ。
「同じくエヴァンゲリオンの綾波レイです。式波・アスカ・ラングレーも欲しかったんですが、イメージに合う娘が居ないので断念」
「私はたぶん三人目だと思うから」
日塔は芝居がかった感じでぽつりと言う。そのアニメの名文句なのだろうが、さんざん二番目だの愛人だの言うのを聞かされ続けると、二人めだろとツッコミそうになる。またシャッター音が鳴り響いた。
「小川先生、三人目じゃなくて二人目がいいな私」
日塔が素に戻って言う。そして俺をチラッと見て笑った。
「二人目の綾波レイは、アルミサエル戦で死んだから、三人目なのです」
小川が解説するがさっぱりわからない。
「サーヤ、食っていげ」
店長はグルメな小川をことのほか気に入っている。年齢も近いので、直接の後輩扱いだ。
「店長、お気持ちは嬉しいですが、今日は食事をする時間も惜しいので。あと五回は着替えたい。アクアパッツァとサルティンボッカはメニューに載っていないけどオーダーしても大丈夫ですか」
「おう、今日はありあわせで適当に作ったげんと、今度仔牛も生ハムも揃えておいでやる。裏メニューだ、東海林先生ど食いにこいっちゃ」
「それは嬉しいです。楽しみですね」
小川がにっこり微笑んだとき、また五十嵐の大声が響く。
「小川先生イイトコにいたー」
「おやどうしたね五十嵐」
「先生が準備してくれたメイド服、雪江様と櫻乃様に着せたいの、いい?」
「ユキとサクラにメイド服を?それはいい考えだよ五十嵐、私がダメだなどというわけがない」
「サーヤ、もしかしてあの子のメイド服も」
「五十嵐のクラスには、メイド服を持っている友人すべてから借りてきて着せています。むろん私が所有するものも。夢のような模擬店なのです。写真を友人たちに送ったらとても喜んでいました。ユキ、サクラ、さあ着替えだ」
「まだご飯食べでねー」
「メイドがご主人様と一緒に食事するなどということは許されないのです」
「私らもうメイドにされちゃったわ」
小川に促され、雪江と櫻乃が立ち上がる。五十嵐が二人の手を引いて着替えに去った。
俺と店長が残った席に、東海林さんと日塔が加わる。俺達は店長の弁当をつつきながら談笑した。
「東海林先生、似合うなっす。ほんてのムスカみでだ」
店長もラピュタは知っているようだ。
「日塔は…ヘンに似合うな青い頭と赤い瞳」
東海林さんが笑う。
「どういう意味ですか」
「いや日塔は色白だしホントに綾波レイっぽい。さすが小川さんの眼力だ」
「この色落ちるのかなぁ」
「もし落ちなかったら、小川さんが指導部に怒られてもらう」
俺がオチを付ける。
「娘、おまえも食っていけ、おにぎり」
店長が日塔に声をかける。憧れの櫻乃様の彼氏ではあるが、あきらかに怖がっている。
「いえ、もうお弁当食べたので、大丈夫です」
「ほだな細っこくてはダメだ。サクラば見ろ、あのえまるまると」
店長が怖い顔で笑ったところに、着替えを終えた櫻乃がやってくる。
「キヨシローちゃん、誰がまるまると太ったなや?」
怖い顔の店長が怖がる顔を、初めて見せてもらった。
続いて雪江と小川がやって来る。小川もメイド服に着替えている。五十嵐も加わり、一八歳から二六歳までのメイドが四人揃った。また撮影会が始まる。雪江と五十嵐は短いエプロンドレス、櫻乃と小川はロングドレスのメイド姿で、なかなか決まっている。
「店のウェイトレスとマネージャーの制服、これにすっべか」
店長がめずらしくニヤニヤしている。こういう顔も初めて見た。
「私もあっちが良かったな、青い髪と赤い瞳より」
日当は雪江の不在をいいことに俺の隣にぴったりと身を寄せて座る。
「キヨシローちゃん、ユキどサーヤど一緒に遊んでっからね」
「んだら俺は店さもどっか。陸王ひとりではコーヒーも出せねぇ」
店長が残りの料理とおにぎりをひとつのランチボックスにまとめる。
「娘、これ全部食って、器ば店さ持ってきてけろ。今日でなくてもいいがらよ」
娘呼ばわりされた日塔が少し顔をひきつらせて頷いた。ついでに俺の腕にしっかりとしがみついている。
「ほだいおっかながんなくっていいべよ、たしかに俺はおっかない顔してるッて言われっけど、若旦那にしがみつくことはねえだろ」
店長の言葉に日塔が慌てて俺から離れた。
「いっぱい食って、おがってがら若旦那ば口説けっちゃ」
店長はどこまで知っているものか、それともただの冗談か。店長はバスケットを持って帰っていった。日塔は店長の言葉に触発されたか、料理を口に押し込んでいる。
「じゃ、器は店長んトコに返してくれ、頼むぞ日塔」
俺は立ち上がりながら日塔に声をかける。彼女はパエリア風おにぎりを頬張ったまま何度もうなずいた。
「おがっても、口説くなよ」
おがるというのは成長するという意味の方言だ。俺は日塔にそう言い残し、西川たちの様子を見に軽音楽部の部室へ向かった。
部室へ行くと、まるで普段通りにSTAY GOLDたちが練習にいそしんでいる。
「あ、センセ来た。センセも一緒に通しでやろう」
バンマスを西川から引き継いだ大泉が、練習をいったん止めて俺に言う。
「オッケー」
俺はメインギターの白いレスポールをケースから取り出し、アンプとエフェクターを繋ぐ。
「先生、フレット打ち替えだがっす?」
西川が俺のメインギターの変化を目ざとく見つける。
「さすがだね、チョーキングやりやすくした」
俺の伝家の宝刀、自在のチョーキングを鳴り響かせる。
「いちにさんしー」
大泉が持ち前のハイトーンでカウントすると、軽快なポップミュージックが始まる。JET BLACKでは決して演らなかった音だ。俺は大泉の歌メロに合わせ、様々なフレーズを織り込む。そしてギターソロは西川とつるむ。柏倉のキーボードソロと沖津のドラムソロでは他のメンバーは演奏を止め、ふたりが掛け合いをする。最後に大泉がベースソロをやって、また全員で演奏再開という構成だ。
「おっけー」
大泉が少し息を切らして演奏を止める。
「確認ね~。メンバーコールは、まず私が先生をコール」
「俺が西川をコールな」
「俺は賢さん」
「琴音を呼べばいいんだろ」
「最後に、ハルヒ!」
沖津が拍手で締めた。
「次がこれだな」
俺はスローテンポなラブソングのフレーズを鳴らす。女の子の恋心を綴った、これもまたJET BLACKではありえない曲。全体的に演奏の音は低めで、大泉のヴォーカルを目一杯出し、西川のギターソロも大きめだ。俺はこの曲では完全に脇に回ってサイドギターに徹する。
「最後に、一年一組とミノルさんと優菜のダンスが来るから、みんな並ぶまでずっとイントロね」
最後の曲は、昔人気のあったアニメのエンディングテーマだそうだ。アニメソングとか、バカにするどころか気にもしなかったが、聴いてみるとものすごくしっかりした曲ばかりである。これもキーボードの旋律が印象的なポップミュージックだ。大泉と沖津が交互にヴォーカルを取り、男どももコーラスに参加する。
「フロントの三人は弾きながら踊るんだよー」
「おまえであんめぇし、俺は無理だて」
「俺も自信ないわ…」
俺は静のアイと言われたくらい、ステージ上ではあまり動かずギターを弾くことに熱中していた。動くのはミギに任せていたし、後ろのリョータローがハデに叩くので俺とキタはむしろ動かないようにしていたのだ。西川も俺を真似たものか、演奏中はギターに集中する。
「それでも踊るのー」
大泉は口を尖らせて西川に言う。
「あと、ユニフォーム代わり、これをどっかにつけて」
部長の沖津が、タオルを皆に渡す。学院のスクールカラーであるえんじ色で、校名が白く染め抜いてある。学院の規則で、ステージ発表の場合、演劇など制服では都合の悪い場合を除き、必ず制服着用なのだ。つまり、好き勝手なステージ衣装は不可なのである。すこしでも個性を出そうという彼らの工夫だ。
「一昨年の野球部で、応援のために作ったグッズ。野球部やめるとき、余ってたのぎってきた」
沖津は元野球部のマネージャーのひとりで、柏倉の退部と同時に沖津も退部したのだった。俺はそれをネクタイがわりに首に巻く。西川は伸びかけの坊主頭を覆い、柏倉はハチマキ、大泉は安全ピンでスカートの尻のあたりに留め、沖津は柏倉に手伝わせて左腕に腕章のように巻いた。
「行きましょー」
背が小さい割にはお母さんキャラである大泉が皆を鼓舞した。メンバーがハイタッチを交わす。まるで、ステージに出る前のミギのようだ。STAY GOLDと俺は、ステージである講堂へ向けて歩き出した。
「今日が最後だね、みんなで演るの」
右手でスティックを回しながら、沖津がぽつりという。
「んだな、でもまだやっべよ、いづがは」
西川がレスポールを優しく抱えて答える。
「おまえだはプロになるんだがら、もう無理だべ。レベルが違う」
柏倉が少し残念そうに言う。
「ほだなごどないべした、琴音も柏倉くんもじょんだもの」
大泉が方言になる境界線がよくわからない。
「この先いつ会ったって友達だべした、違う?」
「俺は同い年の連中とはもう切れてっから。お前らだけだよ友達は」
國井と五十嵐が合流してきた。先に渡されていたものか、同じタオルをかぶっている。ふたりはメンバーとハイタッチをして回る。
「雪江と櫻乃とは、まだ切れてないか」
國井が俺を見て少し笑う。俺もアゴを振って答えた。
「先生も」
大泉が精一杯背伸びをして手を伸ばしている。メンバー全員で一斉にハイタッチしようと言うのだ。身長百八〇センチ超の柏倉と百四〇センチそこそこの大泉が一緒に手を合わすには無理があり、柏倉と沖津は腰を屈める。俺も輪に加わり、手を合わせた。誰からともなく合わせた手の指を絡ませる。最後に柏倉の巨大な掌が周りを覆った。

(「二〇一五年一〇月 弐」へ続く)

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