「すべて完璧」と感じる瞬間のこと
こんにちは。店主だったりヒーラーだったり自称作家だったりする日常のこと。今日は、月に3度開催しているリモートでのグループエナジーワークのセッション仕事が、つまりヒーラーとしての仕事が入っていました。その前後は、最近閉店セールで忙しいので、ショップの梱包作業を。
写真は、このところ来客が続いたので、普段はもっと仕事道具や書類や、トレイに乗った商品の石たちがテーブルにも広がっているのを、綺麗に片付けた関係でとても、整って気持ちよくて記念撮影。
また、ショップの閉店セールでさっそく雑貨の在庫棚などがカラカラになって来たことから、模様替えもしたのですが、大胆に棚ひとつを廊下に移動したり、その空いた場所(在庫はキッチンに置かれている)には、育ち過ぎて場所に困っている植木を移動したり。
それによって、廊下もディスプレイしたくなり、天使の絵を自宅から移して壁に。キッチンも緑が入って良い感じになり。ますます、自分のオフィスがまた一段階好きになってしまった。こんな時、幸せを感じますよね。新しい何かと出会ったり、以前からのものや場所が、魅力をUPして惚れ直したり。
エナジーヒーラーという仕事をしていると、クライアントさんのセッションや、抽象的なものや空間への個人的ワークなどもあって、まるでドラマの役作りのように、色々な波長を感じたり、味わったりします。
以前はその都度、自分も内側の世界に入って一緒に体感するような方法を取っていましたが、最近はもう更年期を迎えて、少しオバサンぽさが自分にも出て来て(笑)。色々な感情やドラマや、土地から来る響きに対峙しても「・・あら、そうなの。」という感じに変わって来ています。
そのせいか、以前はドタバタ色々と味わいながら、時折来る「答え合わせ」や、スピでよくいうような「ごほうび」のような瞬間、落ち着いて着地するタイミングが巡って来た時に、「すべては完璧なんだな」と実感するものでしたが、ここ2〜3年でしょうか、いつでも片隅にそれを感じていられるような、良い意味での老化現象、長老的境地?が、ジワジワと定着しつつあり。やはりこういった変化は、実際に長老化しつつある年齢にならないと、本格化しないのだなあ・・とも、振り返るとしみじみ思います。
若いうちは特に、自分や他者や時には天に向かって、「これでいいのか」と問いかけて、答えを貰おうとする。けれど・・それを問うくらいなら今ここで、落ち着いて、自分自身が無意識にも作り出している現実はこれで完璧なのだ、ということに、感じ入る試みをすればいいのだ、と。起承転結の流れを経て、「これでいい」の感覚が来るのを待つのではなく。今すぐ、それを決める。という感じ。
神智学では、(一例として)キリストが十字架で最後に悟ったことを、自分自身のこととして本当の意味で(体感として)知ることが出来れば、もう人間は卒業しても良いと伝えています。なかなか難しいことに感じられますが、意外とその小さな断片のような体験を、私たちは普段から、しているのかもしれないです。感情や感覚・思考を客観視し、かつ、起きていること全ての意味を「知る」という体験。
控えめな悟りを、言葉にしないような小さな瞬間に、感じているような気がしませんか。そんな時、じわっと、「ああ、幸せだな」とお腹、魂の底から安心するのかもしれません。
Love and Grace
Amari