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父と兄の時間: 戦後小説を読み解く 岩谷征捷(著)

戦後文学から紐解く、戦争の営みの実相

「戦争の季節」だからこそ、読まれるべき評論がある

「戦争を忘れない」「歴史を繰り返さない」とは、実際には何を指しているのか。文学作品の論評という形を取りながらも戦争と戦後の在り方を浮き彫りにするとともに、「戦後」に至っただけでは終結とは言えないという、今日的な課題にも光を当てる。

世界は再び戦争の季節へ
第二次大戦終結後から、約八十年後の現在まで、絶えず各地で紛争や内戦は起きていた。だが2022年のロシアによるウクライナ侵攻開始以降、それなりの規模を持った国家同士が戦争状態に至るという「戦争の季節」が始まり、国際情勢が不安定化している。

21世紀の現在では女性兵士も多く参戦しているが、そうはいってもやはり戦争は男性が主体であり、兵士の戦死とはすなわち、誰かの息子の死であり、誰かの父親の死であり、誰かの兄や弟の死、となる。本書のタイトルはそうした戦争の実相を匂わせる。

戦争における死、そして死を迎えずに生還が叶っても社会から尊崇の念を受けることのできなかった旧日本軍の兵士、それに対する息子の思い、あるいは戦時中の人々の精神環境、というようなものが、戦後の小説には様々な形でちりばめられてきた。本書はそうした作品を論評することで、作品のみならず戦後日本人の精神性にまで射程を伸ばしての解釈を試みている。

武田泰淳の『富士』など、著名ではあってもなかなか現代において改めてスポットが当たることが少ない作品だが、「戦時下の精神病院」という設定がかえって今日的な問題を逆照射しもする。

それは著者が『富士』を論じることの難しさを自覚しつつも、敢然と〈人間というものは遠い昔から幾度となく、限りなく繰返し同じようなことをやってきたのだ、ということである。それは、やはり戦争(侵略)によって体感したものであったと思う〉と言い切っていることからも分かる。今まさに、大国による戦争が繰り返されているからこそ、この論評には頷かざるを得ないだろう。

『富士』を読んだことのある読者に対しては新たな解釈や視点を、未読の読者に対しては読書のための補助線を先に引いてくれるものといえる。

作品に宿る「戦争と戦後」を読み解く作業
日本は戦争において、加害者であり被害者でもある。特に広島長崎に投下された原爆や空襲の記憶は、一般市民を巻き込んだがゆえに強い被害体験を日本国民にもたらしている。だが一方で、加害の事実にも向き合わなければならない。その両方を可能にするのが、著者が言うところの「昭和文学」であり「戦後文学」なのではないか。

だが、著者も言うように、「戦争」も「昭和」も今や忘却の彼方に追いやられつつある。著者は「戦争当事者世代ではない自分たちだからと言って、『関係ない』と言えるだろうか」と戦争と向き合うことから逃げない。

それは本書が論評している多くの戦後作品が、「戦争」の事実から目を背けずにいるからだろう。著者は〈もちろん本書は、あくまでも小説作品の読み解きの仕事であり、表面から戦争と戦後を論じたものではない〉と述べているが、作品として昇華され、あるいは再構成される形で落とし込まれた戦争の現実は、やはり確かに作品に宿っているのであり、それを読み解く作業は戦争と戦後を解きほぐす作業そのものなのだ。

著者はこうも述べている。

〈戦後に生じてきた問題の多くは、十年か二十年で解決されることではなく、五十年、百年、あるいはそれ以上の年月をかけて深められるべき問題ではないか〉

今まさに起きている戦争も、「戦闘行為」が終わっただけでは本当の意味での終戦とは言えない。今再び世界が「戦争の季節」突入しているからこそ、そうした長い射程の視野を、本書は与えてくれる。
●文=梶原麻衣子

【著者プロフィール】
岩谷 征捷(いわや・せいしょう)
1942年、北海道生まれ。國學院大學文学部文学科卒。
主たる専門領域は、日本文学評論・小説。
主な著書は次のとおり。
『島尾敏雄論』近代文藝社、1982年
『大江健三郎、イーヨー譚の生成』亜細亜文庫、1991年
『島尾敏雄私記』近代文藝社、1992年
『島尾敏雄事典』(共著)勉誠出版、2000年
『芥川龍之介大辞典』(共著)勉誠出版、2001年
『近代文学作品論集成・死の棘』(共著)クレス出版、2002年
『中有の旅・岩谷征捷初期短編小説』亜細亜文庫、2003年
『桜花爛漫羅利骨灰・岩谷征捷自撰短篇小説』晃栄社文庫、2005年


父たちの時間 ―阿部昭『司令の休暇』をめぐって―

 

父親といふものは二つの生命をもつてゐる。自分の生命と息子の

生命とだ。

(ルナール『日記』岸田國士訳)

 

飯終へてつと立ちてゆく末の子にわが黙する日はやも到りぬ

父たるも子たるも難し寝覚めゐてわが思ふ夜のしげくなりたる

(阿部昭『挽歌と記録』より「五十歳のうた」)

 

 

またことしの夏がめぐって来た。(中略)おやじがいなくなってからこれが何度目の夏になるのか、立ち止って数え直してみなければならぬような気分に襲われるのは、そろそろ忘れかけている証拠かもしれなかった。(「司令の休暇」終章)

 

このように書いた阿部昭自身も、一九八九年の夏の初めに急逝した。五十四歳、早過ぎる死であった。その年、つまり昭和六十四年、一月七日に昭和天皇が崩御された。御年八十九歳であらせられた。《戦争の昭和》の終焉でもある。

夏といえば、昭和二十年八月十五日、敗戦。その日に関して筆者は、見事な対をなす二首の歌を思い出す。「たひらぎを祈り給へるすめらぎのみことおそかりき吾にはおそかりき」(『昭和萬葉集』)作者・高野鼎は広島の原爆で、一家七人のうち妻子六人を失っている。「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」こちらは申すまでもなく昭和天皇の終戦時の御製歌。解説・付言する要を覚えない。

 

筆者は一時期、阿部昭の小説(というより正確には散文作品)に熱中していた。しかし、それを評論やエッセイの対象にしようとは一度も思わなかった。作品を読む愉しさそのことに浸っていたものを、あらためて分析し批評する要があろうか。例えば「生まれてはじめて、僕は、おやじを背負ったわけだった。だけど、これをおやじといっていいかどうか。かつては僕の父親のものだったぬけがらのような肉体。おやじがこんなになってしまった。これがむかし僕を片腕でふりまわし、肩車して天井まで持ちあげたおやじなのか」(「未成年」)といった文章に接したとき、それは何の無理もなく我々読者の実感につながる。そしてその記述の完璧さは、批評を拒むものがある。文学はこうした実感から始まる。しちめんどうくさいものではないのだ、という思いにとらわれるのである。しかし、いま、……。『司令の休暇』を中心に再読してみると、まるで初めて出会ったかのように、次のようなデテールに胸を衝かれるのであった。アトランダムの引用である。

 

「結婚して子供が出来てからは、特に話し込む習慣はもうなくなっていた。」

「おやじがもうそんなふうにしか歩けなくなっているとは知らなかった。」

「少しずつおやじの譫妄状態があらわれはじめた。」

「乱れた不可解な文字。」

「ここはどこか、……?」

「ベッドから転落するという絶えざる不安。」

「手の甲をしげしげとながめては、つぎに裏返して掌の中を見つめる、その繰り返しだ。」

「病人が自分の手をじっと見るようになったら、もうおしまいだって聞いたことがあるわ。」

 

これら阿部昭が描いた彼の父の晩年の姿は、実に筆者の父の最期の場面と同じなのだった。だからこそ、読みながら父の死の前後(一九九五年)を想起したのである。そしていま、阿部昭を再読したのは、筆者の父が死んでから初めてのことだと気づいたのである。

阿部昭の父はもちろん、当人も亡くなっている。筆者の父も死んでいる。筆者自身の《死》もまた遠くはないだろう。それがこの文章を書かせている力(?)なのである。小説家の《死》というのが、ある意味でもうひとつの《誕生》でもあるということ、おそらくはそのようなことなのだろう。

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