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故事成句のニンゲン学―格言・諺を楽しく学んで人生に活かそう 岩﨑 充孝(著)

 

今に生きる故事成句を、真に今に生かすためのエッセイ集

人生経験と教養豊かな著者にしか書けない本当の「ニンゲン学」

長い歴史の中で語り継がれ、現代にまで残ってきた故事成句には、人間の営みの知恵や経験が詰まっている。それを解釈し使うのもまた人間であることを考えれば、単に辞書的な言葉の説明というだけでなく、深い洞察と観察眼、そして経験を経た著者だからこそ書けるのが「ニンゲン学」と言えるだろう。

「人間にしか書けない」ニンゲン学
まるで人間が書いたかのような文章を生成するchatGPT(生成AI)の流行も手伝って、言語に対する社会の関心が高まっている。AIは確率によって言葉をつないで「それらしい文章」を生成するが、それはやはり人間が生み出してきた言葉とは、絶対的に異なるものなのだろう。

本書を読むと、そのことを実感する。千年以上前につづられたエピソードから故事成句が生まれ、現在も使われていることの意味を考えざるを得ないのだ。

例えば本書で紹介される「臥薪嘗胆」。本書でも〈中国春秋時代の後半の前六世紀頃の話である〉と紹介されているが、それほど昔のエピソードであっても、読めば人間としての共感を覚えるに違いない。辞書的には「将来の成功を期して長い間、艱難辛苦すること」という意味になるが、エピソードを読めば「薪の上に臥して、苦い肝を嘗める」ほどの苦労でも厭わないほどの思いとはどのようなものかを思い知らされるに違いない。

そうした意味が分かれば、日本の歴史上、「臥薪嘗胆」が国家的スローガンになった際の国民の思いの一端もうかがえるかもしれない。1894年から翌年にかけて行われた日清戦争で勝利をおさめて得た領土を、ロシアなどの三国干渉で返還した時、日本は「復讐の日まで我慢しよう」とばかりに「臥薪嘗胆」をスローガンに掲げたのだ。

歴史の授業では単に「『臥薪嘗胆』、がスローガンに掲げられた」というだけの暗記で終わってしまうかもしれないが、本書でその由来を知れば理解は深まる。著者は本書で、2011年の東日本大震災からの復興という文脈で、この故事成句を使っている。

〈新聞報道やテレビを見ていると、被災された方々は秩序ある態度で整然として、この災厄に対応されている。一日も早い復興を全国民が臥薪嘗胆となって、日本人として矜持をもち推進することが必要であると考えられる〉

震災から10年以上たった現在、果たして日本にとっての臥薪嘗胆の時期は終わったのかとの思いもこみあげてくる。

著者の深い人間理解がにじみ出る
震災に関連してもう一つ、「惻隠の情」という故事成句も紹介されている。当時は国内外から被災者・被災地に対し多大な同情と支援の手が伸べられた。〈このことは、救ってやったことにより、お礼を貰おうとか、他の人から誉めてもらおうという打算はないのである〉と著者が書く通り、津波にさらわれる家々の映像や、2万人を超える死者がいたこと、原発事故によって家を追われた人たちの様子が報道されたことで、世界中から寄せられたのがまさに見返りを求めない「惻隠の情」だったのだ。

〈かわいそうだと思う心は(惻隠(そくいん)の情)は誰でもが持っているものであると訓えている〉と著者はいう。

2023年の現在、ロシア―ウクライナ戦争は開始から2年を迎えようとしており、イスラエルとパレスチナ(ガザ地区)の憎しみの連鎖による軍事行動も、果たしていつ終わるのか、先が見えない状況下にある。

こうした時こそ、世界は著者の説く、誰もが持っているはずの「惻隠の情」、つまり〈かわいそうだと思う心〉を発揮して戦闘行為に反対すべきだろう。

こうした発想は、単に文字を並べるだけのchatGPTからは生まれ得ない。故事成句そのものの理解はもちろん、著者が人生を通じて培ってきた深い人間理解と、歴史への理解から紡がれた著者の言葉に、多くの人に触れてもらいたい。

文・梶原麻衣子


【著者略歴】
岩﨑充孝(いわさき みつたか)

昭和17年、福岡県大牟田市生まれ、福岡大学卒。
福岡社会保険事務局総務調整官、聖マリア病院本部長歴任。
NPO岡田武彦記念館理事、社会福祉法人福成会理事。
保健医療経営大学特任教授として活動中。

著書 『診療報酬のしくみと基本』『療養担当規則ハンドブック』

 

はしがき

 第二の職場で職員用の広報冊子『ルルドの聖母』が発行されることになりました。編集委員より、「何か書いてくれ」と要請があり拙文を毎月書きました。最初はノモンハン事件から終戦の詔書までの「先の大戦に学ぶ」でした。その後は「明治維新期の偉人に学ぶ」そして「故事に学ぶ」でした。

 今回、「故事に学ぶ」のなかから選び出し、明徳出版から上梓することになりました。人間の長い歴史のなかには、転変、地異や中国では易姓革命による治乱興亡、人は艱難辛苦を経て生きてきています。このような中で、特異な生きざまをした者や並外れた事績を残した人物がいます。

 歴史上の事跡から故事として残り、その内容から格言や諺が生まれました。格言や諺は含蓄のあるものです。これを挨拶や訓示に利用すれば効果は一段とますことは間違いありません。本書を味読していただき活用していただければ望外の幸せです。

 刊行にあたり明徳出版社の向井徹様のご尽力に助けられました。篤くお礼申し上げます。

  平成二十八年五月

岩﨑 充孝


1 怨みに報いるに徳を以ってす

 老子(ろうし)の考えは「老荘思想」として我が国の精神性に影響を与えている。標記の「怨みに報いるに徳を以ってす」は箴言集である『老子』のなかにある。厳しい現実を生きていくための英知を説いていて、別名『道徳経』と呼ばれている。人としてあるべきものとして「道」と「徳」を主張している。

 万物の根源に普遍的な原理が働いていて、それを「道」とした。「道」を体得すれば、「道」がもっている深遠な「徳」を身につけることができる、と訓じている。「徳」とは何かに対して、①無心、②無欲、③柔軟、④謙虚、⑤柔弱、⑥質朴、それに、⑦控え目、からなっている。

 孔子(こうし)の訓えは生真面目なものが多いが、老子の教えは厳しいものが少なく多くの人に受け入れられている。

 原文では、「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう、小を大とし、少なきを多しとす。怨みに報いるに徳を以ってす。」となっている。「無」とは限りないものであり、この「無」を悟ると心に広がりができると思われる。味で酒は酒の味があり、刺身には刺身の味があるが、酒や刺身以上のものにはなれない。限りある味である。

 「大」と「小」、「多」と「少」は、絶対的なものではなく、相対的なものであり、このことを理解すると心が救われることが多いのではなかろうか。

 生活していく上でBさんは、Aさんからいじめられたとする。Aさんに対して「目には目を、歯には歯を」で挑みやりかえすも一つの方法である。しかし、賢くてゆとりあるBさんは、Cさんやその他の人に「Aさんは人間的にできた人でいい人よ」と吹聴すれば、その吹聴内容は自然とAさんにも伝わっていきAさんとBさんは良好な関係になる。これが、「徳を以ってす」である。

 『聖書』マタイによる福音書五章三九では、「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と論している。キリスト教の教えも怨みに対処する人間の態度を説いたものである。

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