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「永遠に生きるかのように学べ」の意味
明日死ぬかのように生きよ。 永遠に生きるかのように学べ。
マハトマ・ガンジーのことばだったと思う。たしか。
前半の「明日死ぬかのように生きよ。」は意味がわかる。なにごとかを為すには人生は短い、だから1日を漫然と過ごすのではなく、終わりある人生を意識して生きなければならない。そのように理解している。
古代から伝わる「メメント・モリ」の警句も同じだろう。スティーブ・ジョブズが毎朝、鏡に映る自分に「もし今日が人生最後の日なら自分は何をするだろうか?」という問いかけも同様だと思う。
反面、後半の「永遠に生きるかのように学べ。」は、あまり腑に落ちない。永遠に生きられるなら学ぶ時間は無限にあるわけなので、急いで詰め込まなくてもよくね? と、怠惰なぼくのような人種は、先送りの言い訳に使ってしまいそう。
しかしながら、さいきん、この「永遠に生きるかのように学べ」の意味が腑に落ちた気がした。「こういうことかも?」と。
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ぼくは、40手前でフリーランスのライターをしている。サラリーマン時代は広報とか業務購買とか経営企画とか、わりと雑多な仕事をこなしていた。
フリーランスになってからはインタビュー取材+記事作成をメインにしている。いままで経験してこなかった書く行為の奥深さを実感している。(生半可な態度で書いていて、すいませんでした)
フリーランスという立場は、企業勤めではない個人事業主の視点でさまざまな取引方法や商流を知れる点でも面白い。そして所得税や住民税、社会保険料などの税金の支払いにはゲンナリしている。
さいきんだと記事作成以外に対応できる範囲を増やそうと、取材にあたってのカメラマンの手配方法だったり、パンフレットなど制作物のデザインなんかを学んでいる。(餅は餅屋なので、じっさいは外部へ委託するのだけど基礎知識は必要だと思っている)
心理学者のユングが言うには、40才は「人生の正午」であるらしい。人生を太陽の運行に見立てると40才が「まひるどき」である。その先は暮れていく時間。人生の折り返し地点といってもいい。
この年にもなると、新しいことを学ぼうとした矢先、なにかシンプルな興味関心とは違う感情が入りまじる。意欲を押しもどすような抵抗。「いまさらそれを学んでどうする?」という声が聞こえてくる。
「人生の正午」を過ぎようとするころなので、新しい学びに対する焦燥感が生まれるのだ。それはほんとうに残りの人生の時間に充てるべきことなのかどうか。そういう心理的な抵抗が発生する。
冒頭の「永遠に生きるかのように学べ。」には、そういう心理的な抵抗をはずす意味が込められているんじゃないか、と思う。永遠に生きるかのように自分を錯覚させれば残りの時間を意識せず、コツコツと知識を習得できる。
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元来、じぶんは新しいことに興味があるタイプで、学びに抵抗感や気おくれを感じなかったんだけども、フリーランスという生活が安定しない状況だと「これはやるべきことなのか」といった逡巡が、鎌首をもたげてくる。
冒頭のガンジーのことばを要約すると「のんびりするな。でも焦るな」となるだろうか。賢人の皆さんは、深い人間理解を踏まえて、後世のひとびとの人生を良い方向へ導く警句を残してくれている。ありがたいことである。