しんどい時に聴いても聴かなくてもいいプレイリスト
しんどい時に聴くプレイリストを、私も作ってみました。
企画はゆみずさんから。
私の場合は「しんどくなった時は決まってこの曲を絶対聴く」みたいなのは1、2曲しかないです。
なので、ただただしんどく感じる曲を7曲、気持ちを少し軽くするための曲を1曲、前を向くための曲を2曲を、新たに選んでみました。
結構オーソドックスな選曲でしょうか。
(特に英語詞の理解については自信がないです。間違ってたらすみません。)
①Undone - The Sweater Song / weezer
weezerがいなければ、おそらくエルレも銀杏もいなかった。ということはきっと私もなかった。
ない方が良かったという可能性についてはひとまず措いておく。
曲はザ・パワーポップ。音として聴くだけであれば全然しんどくないし、普通に聞き流せる(と思う)。
でもよく聴くと、やっぱりイントロのギターや曲中のコーラスが奏でるメロがどこか調子外れで、やや不穏な印象が拭えない。自律神経がバグって突然視界が「ぐにゃ〜」と歪むアレに陥る瞬間のようなじんわりとした不安定さ。
歌に入る前のカールとマットのやり取りも、マットの浮ついた問いかけに対して、カールの心ここに在らずな返事がとても不気味。
Verse1とVerse2の、2音節ずつの句をポツポツと落としていくところは、無気力と諦念の極地。
何か物凄く悪いことや絶望的な不幸を経験したときの感情ではなく、日常そのものによって知らない間に蝕まれていくタイプのしんどさ。
残念ながら僕は間違いなく僕でしかない。この叫びを聞いてほしい。知ってほしい。
鬱屈とした生の歩みの先で、ついには沈んで死に至る。 “I’ve come undone."
ひどく暗い。
でも聞けてしまう。聴いてしまう。
そこが怖い。
おそらくしんどい時に聞いてもしんどさが解消する曲ではない。
“The Sweater Song”という副題から感じたほっこり感を返してほしい。
本当によくこれをデビューシングルにしたなと。
純情可憐な君とこんなん聴けるかよと。
ちなみに、同じくweezerの「Say It Ain’t So」とどちらにするか迷ったが、そちらは描写がだいぶ具体的な分、私としてはこの曲よりも少しだけ感情移入しにくい面があったため、僅差でこちらに。
②春の嵐 / マカロニえんぴつ
サウンドは完全にOasisの「Whatever」オマージュ。あえてそれを前面に出している。
しかし、歌の内容は全く異なる。
人と心を通わせようとすることを恐れる。
傷つけられ、裏切られることを恐れる。
傷つけて、裏切ってしまうことを恐れる。
本当はここに居たい。自分では「居てもいい」と思えない。
「触れない/離れられなくなるから」と何かを頼りにするのを恐れているのに、心の奥底ではやはり他者による赦しを求めてしまう。
「たしかなものはきっと一つもないのにな」と頭では理解しているのに、たしかな何かに寄り掛からずにはいられない(一種の皮肉のように、この曲は「Whatever」に寄り掛かる)。
寄り掛からずにはいられないからこそ、「一人でもいいって言ったら/きみは何て言う/悲しい顔で何て言う」と、試すように、一度相手を突き放してしまう。
切実な祈りを込めた突き放し。もはや賭けに近い。しんどい賭け。
他方で、そこを抜け出る途も暗示されていないではない。
最後のサビ。「たしかなものはきっと一つも」の後。8分音符1つ分(たぶん)の空白。当然の如く続くかのように流れる音楽の、一瞬の切断。
あの名曲も自分も、どちらも偶然でしかなく、そしてどちらもいま絶対的にある。
そのことに思い至るチャンスはあった。
この曲は、それでも拠り所としての他者を求めてしまう。
自分が同じ立場であればどうするか。あるいは、そういう他者を求める人に対して自分はどうあるか。
「きみは何て言う」と問いが投げ返される。
問われ続けることのしんどさも。
③Twisted Maple Trees / the HIATUS
同じくthe HIATUSの「Insomnia」と迷った。
ただただ辛い曲。
負い目だけをひたすらに突きつけられる。
救いはない。
私の裸足の2歩先を歩く君。
振り返らないでほしいと願う。
なぜ「裸足」かという点も含め、いろいろな意味に取れそうだが、希望を見出すような解釈はおそらくひとつも出てこない。
しんどさの頂点はここ。
この“the color of my dress”もいろいろな意味に取れるかもしれないが、「この人生を選択したこと」の比喩だと感じた。「あなたと関わる人生を選ぶべきじゃなかったかな」と。
また、もう1つの側面として、私と関わる人生について、「君」が装飾品のような道具的・客体的・モノ的価値しか見出していないことの含意があると思う。少なくとも「私」には「君」がそう思っているように感じられていて、「私」はそのモノ的価値認識を内面化してしまう。
自分がいま生きられていることについて「君」に負い目を感じる。「君」に負っていると感じる。
他方で、その「君」は私にモノ的価値しか見出していない。
「私」の実存の基盤が崩れ落ちる瞬間。
④世界が終わる夜に / チャットモンチー
最初から最後までしんどいパンチラインが次から次へと押し寄せてきて、しんどさに溺れそうになる。
その中でも特に好きなフレーズを抜粋した(「好き」というとやや語弊があるかもしれないが)。
全編を通して歌詞の共感度が高すぎる上に、橋本絵莉子さんの声とギターの「泣き」が刺さりすぎるので、聴くのが怖い1曲でもある。
⑤ぼくはぼくでいるのが / ハナレグミ
半分まで来たところで、ちょっと休憩がてらしんどすぎない曲を。
しんどさをストレートに表現する冒頭の歌詞。
多くの人はこの歌詞のように「時々疲れるな」と感じる程度だろうか。
自分を取り巻く一切のことから解放されて、「まだ見ぬ朝に 知る訳のはずところへ/どこまでも」と願う。
そういう一切のこととの関わりを絶った自分は、もはや「僕」ではないかもしれない。しかし、それでもいい。
ライブでいつか聴きたいけど、ギター1本で弾き語りされたら涙が止まらないだろうなぁ...。
これを聴くと、前向きになれるわけではないけど、少しだけ気持ちが軽くなる。
音楽ってたぶんその程度のものでしかなくて。
だけどそうやって寄り添ってくれる音楽があるからこそ、私は生きていけるのかなぁと思ったり。
⑥SEA / GRAPEVINE
バインの名曲。
「ガラスの海の世界」が水槽(の内側)を表しているのは明らかだが、それがさらに「心」の比喩になっている(と思う)。
「心」からは外部を見ることができる。外部からも「心」が見えるようにも思えるが、ガラスや水による光の屈折で必ずしも「心」の様子を正確に覚知できるわけではない。
思うに、「心」は外部から一方的に影響を受けるだけであって、内発的にその状態を変化させられるわけではない(よく言われる「気持ちを切り替える」とかは、理性によって無理矢理に感情に蓋をしているイメージ)。
また、外部からの影響は「心」に直接触れてその状態を変化させるわけではなく、あくまでも外部の事象はそれとしてあって、「心」の側でそれを受け取り、自ずと状態が変化してしまう、という方がより正確かもしれない。
おそらくそんなような歌詞。
そんな「心」はいつしか合理によって淘汰されてしまい、地下深くへと閉じ込められることとなった。
「寒くも暑くも無く」、ただただ見棄てられている状態。
もはや「心」は外部への回路を断ち、「忘れられたはずの何か」を浮かべるのみ。
水槽のモチーフのせいか、個人的には浴槽からこの曲を連想することが多い。
ぬるくなってきたお湯に頭まで浸かった時、ずっとこのままでいるとどうなるだろうとふと思う。
「見棄てられた/見棄てられた」
数秒後ふと我に帰る。
ちなみにこの曲が収録されているアルバム『イデアの水槽』の、この曲の次「Good Bye My World」も相当しんどい。
聴いたことがない方はできれば2曲続けて聴いてほしい。ただし、車に乗っているときは聴かない方がいい。
⑦カナリヤ / THE YELLOW MONKEY
正直なところ歌詞の意味はちゃんと分かっていないが、聴く度にその辛く美しい表現に苦しくなってしまう。
おそらく「炭鉱のカナリヤ」をモチーフにしていて、自分の感じる閉塞感や、未来を悲観しているのに自分ではどうすることもできない状況を、鳥籠の中の「炭鉱のカナリヤ」と重ね合わせている。
(「言葉を忘れたカナリヤが空を飛ぶ」は、危険を察知して鳴き声を出すという「炭鉱のカナリヤ」の役割を背負わされていない、自由なカナリヤのことだろうか。)
この歌も最初から最後まで全ての歌詞が好きなのだが、特に好きな部分を抜粋した。
空がいくら晴れていても、それとの対比で自分の感じる閉塞感が際立ってしまうため、仰向けで寝て空を直視することができない。
如何ともし難い現実と空虚で無意味な青空と。
⑧愛に気をつけてね / ドレスコーズ
本物ではなく模造品だった。
周りを騙し、本物かのように振る舞ってきた。本物であれば許されたかもしれない。
しかし、化けの皮が剥がれた。生来のただのクソ野郎だった。
誰かに愛を伝えるたびに、自分を偽っていることを想起し、これからも偽らずにはいられないことを認識する。二重の罪。
誰かと愛し合うたびに、自分の愛も模造品でしかないこと、相手の愛も一時的なものでしかないことに気づく。
自分に対して「相手からの愛に気をつけてね」と呼びかけるとともに、相手に対しても「こんな私(=I)に気をつけてね」と呼びかける。
「それでいい、仕方ない」と自分に言い聞かせる。
これはテストではない。自分が人として合格か否かを判断するための営みではない。私が生きている私の人生なのだから。
模造品であろうと一時的であろうと、愛し愛されて生きるしかない。
たぶんそんなようなことを歌っていると思う。
歌詞の内容自体も勿論しんどいのだが、この曲が収録されているアルバム『1』の制作経緯や、ボーカル・志磨遼平さんのそれまでの楽曲制作やパフォーマンスのルーツ・戦略(というのが適切かは分からないが)を踏まえると、更にしんどさが増す。
ここでは割愛するので気になった方は調べていただきたい。
というか、このアルバムは全曲しんどい。
ちなみにこのアルバムをリリースした後のツアーのタイトルは“Don’t Trust Ryohei Shima”です。
⑨アヲアヲ / チリヌルヲワカ
1番と2番では、世の中の不条理さ・生きづらさが突き刺さる。
自分は自分を生きていただけなのに、気が付けばいつの間にか「大人」という社会的カテゴリーに押し込まれていて、その生きづらさばかり感じるようになる。
「え、世の中こんなものだっけ?こんなはずじゃなかったのに」と、周りや過去ばかりが青く鮮やかに見える。
最後のサビも同じような歌詞。
なのに、なぜかそれまでの歌詞とは明らかに違う景色に変わっている。
色を取り戻し、命の息遣いを感じる、アヲアヲとした景色。
どういう魔法だろうか。
今までで1番辛い時期に何度も聴いていた1曲。
さすがに一度聴いただけでは立ち直れなかったが、何度も聴いて前を向くことができた(と思う)。
これを聴いて、中島優美さんは間違いなく天才だと思いました。
歌詞以外も勿論素晴らしい。
振り子から始まるMVの演出、爽やかだけど淡々と続くギターリフ、粒立ったしなやかなベース、ドラムの軽やかさと安定感のバランス。
どれも絶妙で好きです。
⑩ビューティフル / 毛皮のマリーズ
これはもう特に説明しないが、私の人生のテーマソングと言っても過言ではないかもしれない。
落ち込んだ時やしんどくなった時は、ほぼ必ず最後にこれを聴く。
毛皮のマリーズはもう解散してしまったが、フロントマンの志磨遼平さんのソロプロジェクト「ドレスコーズ」のライブでも時折「ビューティフル」が披露されている。
ドレスコーズのライブ映像作品のうち8作品がYouTubeで全編公開されていて、「ビューティフル」が披露されている映像もあるので、ぜひ見ていただきたい。
気になった曲や刺さった曲があれば嬉しいです。
いや、読んでいただいた方がしんどい状態にあるということだから嬉しくはないか...。
最後にちょっとだけ自分語りを(勿論読み飛ばし推奨)。
私の記事やTwitterを見たことがある方はお気づきかもしれませんが、私は暗い人間です。
何に対しても無気力で、仕事は嫌いなのでなれることならヒモになりたいけど、責任感だけは一丁前なので無能なりにある程度頑張る、という典型的な真面目系クズ。
死ぬほどコミュ障というわけではない(つもりではある)ものの、まぁそれなりにコミュ障で、人に心を開くのが苦手。面白いことも気の利いたことも言えない。
嫌われたくはないので優しく振る舞う。これは「性格が悪いなりにせめて人には優しくあろう」という自分で決めた行動原理の実践でもあるのですが、かえって「人間味がない」と知り合いに言われたこともあります。
週末の楽しみは一応あっても生きる希望はない。しかし別に◯ぬ勇気もないので、惰性で生きている。
そんな人間にずっとまとわりついて離れないしんどさ。
後から振り返ると、選んだ曲はそこに繋がるようなものが多かったような気もします。
あ、別に病んでるわけではないです。
それでは。
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