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常識は私を守らない

と思う。

「常識だから」「非常識だよ」という言葉で自分、そして他人の言動を縛る人は多い。

「常識」というものが短い時間の中でいかようにも変わりうる不安定なものだ、と世界中の誰もが経験したというのに、なぜまだ常識という言葉で安易に言動を縛るのか。

「常識」は時に私たちを助けてくれる。

常識という前提のもとにあれば、説明を省いて物事を進めることができる。私たちは、きっと常識の楽さに慣れてしまっている。

「常識を疑え」と言うと、どこかの意識高い系の輩のイメージが湧かなくもない。しかし、常識とされているもの、自分が「常識」として説明を省略しようとしたものについて、自分がしっかりと説明できるのかは常に考えなくてはならないだろう。そこには時に矛盾が紛れ込んでいる。

「常識」は、いざという時に私たちを守ってくれない。

常識だから、で通した行動を後悔しても、あの時の常識はもう別の常識にとって変わられてしまっている。

自分が、どのようなリスクに晒されていて、どのような選択をするのか。こんなことを言うと、自己責任だ、自己中心的すぎる、と言われてしまうかもしれない。

でも、この「常識」だらけで無思考に陥った国の中で、そんな心配をするのはまだ早い。自分の行動の責任は、自分で取れるようにしないと、あとで苦しむのは自分だろう

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