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アートと福祉と社会

みなさまこんにちは。しとしと雨が上がりましたね。
タップダンサー・振付家のおどるなつこです。
こちらでは、障害のあるメンバー(=メッセンジャー)とタップダンスを用いて広げてきたあしおとでつながろう!プロジェクトの活動を「アート×福祉」の視点でまとめてきました。

これまで、福祉的な変化についての事例報告が主でしたが、今日は、この活動がアーティストにどのようなことをもたらしたのか、この3年間の「育て!広がれ!メッセンジャー」という活動を通して私が受け取ってきた恩恵について書きたいと思います。

「育て!広がれ!メッセンジャー」マガジンは、今日で最終回となります。後半が有料記事となっており、一本づつでも購入できますが、もしご興味持たれた方は、データも掲載してあるマガジンがおすすめです。マガジンご購入者様には、編纂し直した際には新版をプレゼントさせていただきます!

本質を考える

2010年にこの活動を始めて以来、私は自分がこれまでに捉えてきたタップダンスの教授法などをいったん解体し、本当に必要なことはなんだろうかと考えるようになりました。元々タップは、奴隷制度という理不尽な暮らしでもリズムを楽しむ習慣をキープしたアフリカンアメリカンたちの文化で、そこから、ボードビルショー、ジャズ、ミュージカルへと発展していきました。
それらの年月で生み出されてきたステップを伝授していくこと、また時代に応じて生まれたステップをシェアしていくことがタップレッスンの主流です。それは文化の継承として、また次代の文化の発展の礎になることとして、途切れることなく脈々と続いて欲しい流れです。

しかしタップダンサーを目指す人が集まる場では有効なその方法も、タップに興味を持っていない人にはハードルが高すぎます。まず、意識が習得に強く向かいますし、コミュニケーションとして表現しあうまでに時間がかかってしまう。
最初にタップセッションを始めた福祉施設で方法を模索していた私は、まず、せっかく足音なので、もっと原初的に遊びあいたい、と思いました。「私はこんな感じだよ、あなたはどう?」「うーん、私はこんな感じ」というやりとりをあしおとで行いたい。そして、これは、タップダンスの本質でもあると考えたのです。そこから、誰もが身体でそれを試すことのできる、タップの案内方法を探していきました。その中で、2011年には補助靴でもタップシューズにできるおとたびの開発に至ります。

このコロナ下で、ほぼ自宅待機となっていたメンバーたちが、これまで毎月楽しんできたタップダンスを忘れずにいられるように動画を毎週配信してきましたので、そこから手法の一つを紹介します。

この「タップでしりとり?」はタップワークショップへ導入する遊びです。教え込まれるのが嫌いな人も多い中、子どもから大人までが混じり合う現場で、対等に遊べるゲームとして展開してきました。

ふざけているようですが(笑)タップダンスに必要な最低限の基礎が身につくようになっています。

・他者の表現をよく聴き、反復してみる。
・自らが言おうと思ったことを身体の音を用いて表現する。
・脳内の音のイメージと身体の動きで出る音の誤差を感じる。

語彙力のある大人、瞬発力のある子ども、いつも勝負は互角です。他にも、伝承遊びを使った言葉不要のワークもいくつか考案し、上記のポイントが身につくように考えてきました。他に、身体的、音楽的な基礎も噛み砕いて伝えています。

私はタップダンスで必要なことは、互いの表現の尊重だけと思うようになりました。それは、奴隷制度の暮らしの中でアフリカンアメリカンたちによって育まれた表現、という歴史を考え合わせても、他者を従わせたり、優劣を競争したりするようなことではなく、個の豊かさを引き出し楽しむアートだと感じるからです。きっと他のジャンルのアートでもそうでしょう。

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場をつくるときに、それを最初のルールとすることがポイントとなりました。「あしおとの輪」開催時の先生や支援者に向けて、そのための実施例をイラストブックにもまとめています。

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アートと社会は別枠?

実際、「あしおとの輪」の中では、一人ひとりの緊張やワクワクが他者に伝播しあいながら、個のあしおとと集団のあしおと、そこに音楽も呼応し、大きな喜びの渦が生まれていきます。
これは、アートの枠内で起こっていることですが、社会にも置き換えられないでしょうか?
そう、私が考え始めたのは2015年ごろだったと思います。この頃に、平均的な方の参加がほぼないという課題を抱えながら、福祉現場でのタップセッションを一般の場所で開催し始め、その試行錯誤が2017年のACYクリエイティブ・インクルージョン助成金採択につながり、サポートされてメッセンジャー事業という展開に結びました。ゆっくりとですが、イメージしていた大きなことに、近づいています。

私にもかつては自分のダンス活動と福祉現場へのアート提供という二本立ての意識があったのだと思います。ギャラもひとケタちがいました(笑)。今では、環境や条件が一つづつ違うだけで、最終的にはどの現場も同じ、と認識しています。価値とは相対的な値なのです。そして、アートも福祉も社会との合わせ鏡です。いずれも同時代に生きている人の営みなのです。経済もまた別枠ではなく、どの側面とも関わりのあることです。

バリアとハラスメント

福祉とは、その人のこうありたいをサポートする眼差しであると、私たちは定義しています。こうありたいを掘る道具がアートではないか。
これまでの活動を通して、この視点を体感として得たことが、私にとっては大きな財産となりました。この視点から、アートについても考え直すことができています。

福祉、という言葉から、何を思い浮かべますか?
何か、弱者に手を差し伸べるようなイメージがあるでしょうか。誰もが、赤ちゃんだった時に、多くの手に守られてきたから今があり、老いていく過程でも人の手が必要になります。感じないぐらい普通に人の手に頼っている、そんな見えないサポートが福祉だと思うのです。だから、“弱者”という状態が生まれないような眼差しが充実していたら、誰もがこうありたいを実現できるわけです。しかし、弱者になった時点でバリアが生まれます。

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