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個を守りながら社会とつながる方法

こんにちは。
緊急事態宣言の影響で、いつも通りの暮らしができなくなり、稼げなくなったり、楽しみにしていたあれこれが中止になったり、困っておられる方がたくさんいることと思います。パフォーマンス業の私おどるなつこも、9月までの仕事がなくなり、備えを切り崩して暮らしを保っています。けれど、なぜか落ち着いています。
いつもどおりのことができなくなる時は、価値観の転換が起こるとき。真っ最中である今は大変ですが、この状況下で生き延びる方法を見つけたら、あとからこの変化の意味がわかる時がくるだろう。そんなふうに感じています。

今日は、家にこもっている方が安心して過ごせる人の社会とのつながり方についての実例を書こうと思います。自粛で慣れない在宅生活が苦しい方もいれば、そもそも刺激の多すぎる外出が苦手な方もいます。
写真は私たちのイベントで会場の片隅に設置しているプライベートスペース確保のテントです。

モノサシを変える

自立することが一人前だと教わってきました。
競争社会の根元に受験戦争があり、優劣が基準とされた時代は長く、1990年台のバブル崩壊後も、ある年代以上の人の頭の中にはまだ優劣のモノサシがあるでしょう。
手助けが必要なことはマイナスなのでしょうか。なんでも一人でやれたほうが本当に良いのでしょうか。この考え方が、2016年7月に起きた相模原福祉施設殺傷事件発生の温床となっていたのではないでしょうか。

私も、独りで全方向こなせた方が良いという考えに毒されて育ちましたが、2010年にあしおとでつながろう!プロジェクトを立ち上げ、福祉施設を利用する人たちと踊り始めてから、徐々にその考えは変わっていました。
以下はあの事件後にタップ仲間にアンケートを実施、フリーペーパーとして発行した時のものです。2016年活動報告

福祉施設には、平均的なことをするにはサポートが必要だけれども、ほかの人にない敏感な能力を持っている方もいます。けれど多くの場合、ほかの人にない敏感な能力の部分は、強いこだわりと言われてしまいます。なぜなら、平均的な人たちから見たら普通ではないからです。
そんな彼らとのコミュニケーション方法がわかってきた私には、個が際立っている彼らがとても魅力的に感じられました。

「こうありたい」へのアプローチ

以前の記事で書いたように、福祉が個々の「こうありたい」をサポートする視点だとしたら、アートは「こうありたい」を堀りあてる行為と、あしおとでつながろう!プロジェクトでは考えています。

福祉施設の中で共に踊る回を重ねていくと、参加者の輪の中にそれぞれの意思がはっきりと現れる瞬間が多くなっていきます。
「私もやる!」「こんなことやってみたい!」「こういう音は嫌い!」
読書や映画もそうですが、別の世界に触れることで、自分ならこうしたい!という小さな望みのようなものが生まれます。初めは小さくても、それはあるとき意思となって表れてきます。

今日はある施設のM君の変化を紹介したいと思います。

参加しません

毎月タップセッションを重ねているある施設のM君は、はじめの数年、タップに参加しませんでした。でも、あるころから、セッションの始めと終わりにその場へ来て、何か言って去る、という関わりが始まります。多くの場合彼は世界の首都や標準時刻、時報、関西と関東のヘルツの違い、などを声高に言い去っていくのです。はじめの頃は、私から声をかけると耳を塞いでより声高に立ち去っていましたが、いつからか、セッション中に私の傍に立ちどまる時間が長くなり、しかも質問形で言葉を切るようになっていました。「さてグリニッジ標準時での日本時間の表記は?」
「イランの首都はテヘラン、パキスタンの首都はイスラマバード、ではインドの首都は?」
傍の呟きが質問に変わった時には、何かの途中でも私は一生懸命答えます。けれど大抵「惜しいっ!正解は〇〇です〜」と言われます(笑)。彼のすごい記憶力に驚きながら、私はそのクイズを楽しみ、別れ際には「今度タップにも参加しませんか?」と言ってみるのでした。

こんなコミュニケーションを繰り返すうちに、彼がタップの輪の周りをグルグル回る姿が増え、ある日私が行くと、輪になった椅子になんとM君が座っていました!私は嬉しく驚いたのですが、そのことには反応せず、いつも通りにセッションを始めました。
これは支援員の誘い方の成果でした。これだけおどるなつこに興味津々な様子にもかかわらず、何度誘っても「参加しません」と答えるので、「参加しなくていいよ。見学してみたらどう?」と言ってくださったそう。彼の立場はおそらく今も「見学」です。

待つことから表現が生まれる

ダンスは他者が強要できない表現の一つです。心が踊らなければ、体は踊りません。「あしおとの輪」では全体の成立というプレッシャーを可能な限り廃して、ひとりひとりのこうしたいが出てくることを待ちます。ほかの人の表現をみているだけの時間も、とても大事な参加時間です。なんらかのプレッシャーに敏感な方が多いのですが、M君にとってこの輪が強要的なものではないことは、そのほかの参加者にとっても安心できる要素となります。

その後のM君の躍進は驚くほどでした。

はたらく:能力を他者に役立ててもらうこと

知らない環境に出ていくことはM君にはとてもハードルが高く、2年間、外のイベントでのメッセンジャー(=案内人)にトライしていく仲間を見送る側として、彼は主に後方で重要な仕事をしてくれていました。
おとたびの縫製・振込票の口座番号の記入・アンケートのパソコン入力等。
私たちは彼の仕事をブログで紹介し、イベントは表に出ている人だけでなく、このように後方で働く人がいて成り立つことを発信しました。
これは福祉的な観点ではなく、おどるなつこが振付で関わる舞台芸術の現場でいなければ成り立たない、照明音響など技術スタッフや制作スタッフの存在を知らせることの必要性を常々感じてきたため、習慣的にしたことです。
M君もそのブログを読んで、自分がした作業がどのように世の中とつながっているのかを確認しているようでした。
ここで、仕事が認められていることを感じたのかもしれませんし、支援員が彼の意欲を見逃さなかったことが大きいと思います。

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