見出し画像

緊急事態宣言が出るって言うから髪をセルフ染めした。

1/7(木) 15:00。
散々食っちゃ寝を繰り返した寝正月を経て、私は白猫に見守られながら家で髪を染めていた。約6年振りにセルフ染めというものに取り掛かった。ドラッグストアで買った650円くらいの染め粉。6年前には見かけなかった繊細な色の染め粉がたくさんあって悩んだけど、instagramで見た中田クルミちゃんの赤髪のようにほんのり暗めの赤を選んだ。市販の染め粉のにおいは好きじゃない。むせそうになる。何かを汚さないかと気を配りながら作業をすることも嫌い。髪を流した後にお風呂場の壁やタイルが染まっていないかと気にすることはもっと嫌い。決して裕福ではないし、月並の収入でも髪だけは必ず美容院で染めている。転職をしようと貯金を頑張っていた時でさえ、ネイルとマツエクを辞めても、カラーだけは辞めなかった。
そのくらいセルフ染めが嫌いな私が意を決して取り掛かった理由は1/9(土)に中村倫也に初めて生で会える機会を得たから(会えると言っても舞台挨拶だが、私にとっては「会える」なのだ)。2020年、コロナでこれまで生きる糧にしてきた楽しみが奪われた中で、出会って、楽しみを与えてくれた倫也さん。いつか生でお目にかかりたいと待ち焦がれていたものの、やはり人気俳優。舞台挨拶は秒殺で全く取れない。こんなご時世なので倫也さん単独でのイベントはもちろんない。だけど今回、「劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き」という倫也さんがナレーションを務める作品の舞台挨拶のチケットを取ることができたのだ。猫を5匹飼っており、倫也さんが大好きな私にとっては岩合監督に会えることも倫也さんに会えることもご褒美のような会である。最前列ではないけれど、ちょっとだけ良い席。倫也さんの視界に入るかもしれない席。でも私の髪は見事なプリン。最後にメンテナンスをしたのは2ヶ月前だもの、そりゃあプリンになるよね、と思った。世間では東京・埼玉・神奈川・千葉に緊急事態宣言が出ると騒いでいる。東京の美容院に通う私は「そんな中で行くのはどうなの?不要不急?」と悩みながら、私はセルフ染めを選んだ。いつも担当してくれる美容師さんに心の中で「ごめんなさい」と謝りながら。そして「舞台挨拶が中止になりませんように」と願いながら。

髪を染めながら考えた。「不要不急ってなに?」と。
ある物事に対してそれが不要不急かどうかを判断するのには個人の価値観が如実に出る。私は美容院は不要不急だと判断したけれど、例えば自分の印象を形作るものとして外見を最重視している人からしたら不要不急ではなく、食料を買いに行くことと同等かもしれない。
私は2020年11月下旬から12月にかけて、4月の緊急事態宣言のような生活をしていた。東京都の感染者数が日々増えていき、徐々に周囲にも感染したという方が出始めていた。「コロナは自分に無関係、とはもう思えない。すぐ近くに来ている」と感じた。会社に行くのは最低限(月2回程度)、買い出しは週1回、友人と会うことは諦め、飲み会にももちろん行かない。クリスマスも1人。自分がコロナに感染したくないという想いはもちろん、「家族や会社の人に自分が移してしまったら…」「日々医療が厳しいという報道がある中でかかったら…」そう思うと、飲みに行ったり、出歩く勇気が持てなかった。
と、同時に私が願ったことは、少しでも私が感染対策を強化することで細々とでも私が推している人たち、アーティストやアイドル、スポーツ選手が活動できるように貢献したいと思った。私一人が何をしたって変わらないことは重々わかっている。でも自分たちが作った楽曲やパフォーマンスを生で届けたいのを我慢し続けているアーティストや、自分たちが作り上げた作品を見てもらう機会を失い続けている役者、ソーシャルディスタンスを取ることが難しい環境でも感染対策を徹底しながら運営されているスポーツ。普通に生きているだけでもそれなりの我慢を強いられている中で、私の推したちはさらにいろんな制限を守りながら生きている。コロナ感染者を出さないために自分自身の生活や活動現場でどんなに不自由であっても、万全な感染対策を徹底している。きっと誰よりも気を付けて、我慢をして、耐えている彼らを無視することはできないと思った。それに私にとっても彼らの活動は生きる糧であり、不要不急な存在では全くない。だからこそこの非常事態を少しでも早く食い止めて、かつての状態とまではいかなくとも、活動ができる状態になってほしいと、小康状態を保ってほしいと願っていた。

それでも毎日SNSを開くと、大人数で飲みに行ったり、カラオケに行っている人はたくさんいた。私の周りにはマスクすらしていない人もいた。
いろんな考え方があると思う。価値観があると思う。飲食店含め、経済を回さないといけないこと、国はGo ToキャンペーンやGo To Eatで外出を促していたし、それを活用することは悪いことではない。でも何故か、どこかモヤっとした。今の世の中には友人と楽しく会食をして過ごしている人がいれば、家に引きこもってやりたいことを我慢している人がいる。コロナによって仕事を失ったり、生計が苦しい人がいる。また感染リスクと闘いながら、必死に治療をしている医療従事者の人がいる。何が正解でもなく、たくさんの価値観がある中で何を大切にしているかによって行動が変わり、その影響対象や範囲が変わる。だから悪いことでもないし、否定するようなことでもない。コロナに関しては他人と完全に価値観が合うことはない。だからこそもどかしい気持ちになる。

結局、1/7(木)18:00に緊急事態宣言は出た。無情にも。そして、再スタートを切り始めていたクリエイティブな活動は再び止まった。ツアー中止の案内、払い戻しの案内、配信ライブへの切り替え案内、舞台挨拶中止の案内がSNSには溢れた。もちろん例に漏れず、岩合監督の作品の舞台挨拶も。岩合監督と倫也さんのツイートは胸が痛かった。

誰も悪くない。コロナウイルスが全て悪いのだ。でもどうしても思わずにいられないのは、こうして人が集まること、外に出ることができなくなることで世の中に産み落とされるはずで、長い年月をかけて温められてきたクリエイティブ作品は居場所を失う。愛される機会を失う。「この子たちは何のために作られてきたの?」「誰に愛されるの?」そう思う。

きっとこの攻防戦はワクチンが普及するまで続く。きっと2021年も間違いなく我慢の年だ。
この間、急ぎの用で東京東横線に乗った。22:00くらいだったと思う。乗車すると床がビショビショ。外の天気は晴れており、確実に傘から滴る水ではない。なにかと思ったら左前方に缶チューハイ片手にマスクを外して大声で話す30代後半男性組。右前方に酔っ払ってマスクを外し、飲んでいたであろう缶チューハイを座席にぶちまけて大笑いしている20代後半男性組。これが緊急事態宣言が出ているエリアを繋ぐ電車の現実なのだ。嫌だなと思って、車両を変えたら今度は大声でビデオ電話をしている30代男性組。
結局飲食店が20:00に閉店して一生懸命堪えていても、こういうことが起きている。国民が耐えていたとしても、政治家たちは会食している。そして皺寄せはどんどん真面目に我慢している人たちにくる。「割を食う」、そんな言葉が頭に浮かぶほど。

クリエイティブは「不要不急」なんかじゃない。こんな世の中だからこそ、心を豊かにし、感情を彩るクリエイティブの力が必要なんだ。その力を少しでも発揮するためにはせめて人が集まることが、人がクリエイティブな場に出向くことが批判されない世界が欲しい。そのためには一人一人の協力が欠かせない。どうかほんの少しだけ我慢をしてほしい。今すでに必死で我慢している人はもういいから、それ以外の人がほんの少しだけ。力を貸してほしい。

コロナが原因で職を失った人、コロナ感染者の治療に休みなく尽くしている人、コロナのせいで仕事の現場が無くなった人、コロナになっても生活が変わらない人、いろんな人がいる。私はマスクをしていない友人に何故マスクをしないのか聞いたことがある。「だって息苦しくない?」と言われた。どうか世の中にはもっと本当の意味で息をすることが、生きることが苦しくなっている人がいることを知ってほしい。

おけい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?