自分に正直になることのメリット

 僕は自分に正直だと思っている。相手に合わせて愛想ついたり、自分の感情に嘘をついて平然を装うことをしない。
うんうん。学生時代研究が辛すぎて、休みを貰った時、正直に研究が原因で体調を壊したと言ったことがある。自分に嘘をつけば研究を続けられた。だが、僕は研究がしたいわけでなかった。興味がどうしても持てない雑用や教師の高圧的で性格がどうしても肌に合わず、拒否をした。心身に向き合えば続けられたが、情熱は研究に向いておらず自由奔放に好きなことばかりやっている学生だったので拒否反応をあからさまに示した。
うんうん。今日は飲み会で沢山料理を食え食えのめのめと言われた。表面上では食べます。頑張ります。と言っているが表情はキツい嫌だという顔をした。表情は嘘をつかない。だが、あからさまに断るのは面白くないので、僕はイエスという。飲み会だ。押し付けも全て笑いに変えればユーモアだ。我慢しながら頑張る姿はコントだ。そうだ僕はコントをさせてもらっている。僕は笑って貰うことが好きだ。
今日は2次会を断った。帰りますとハッキリ言った。それもコントだ。雰囲気をぶち壊す。ハッキリと断れば、予想を思いっきり裏切るコントだ。多分、飲み潰れるのが新人というのが当たり前の世代の人からすればありえない行動で、堂々と断ればコントだ。今日は仕事終わりに飲み会だったので疲労が溜まっていた。これじゃ楽しく飲めない。自分に嘘をついて元気出すには疲れると思って2次会は行きたくなかった。楽しく飲むのが良いと思っているので、心に余裕がないときは断る。余裕があれば、楽しめると思えば行く。
僕は仕事中きつい時はしかめっ面だ。上司から忙しそうね、無理したらだめよ、息抜きしっかりねと言っていただいた。これはキツい気持ちを正直に表現できているからこそ、言葉がけをいただけると思う。平然を装えば、無理難題を軽はずみのように押し付けられ潰れるだろう。
僕は口数が少ないが、表情や雰囲気だけは表現力に長けているのかもしれない。口数が多いとボロが出る。だが本当に無理だと思った時は口数を多くして助けを求めるように心がけている。言葉でしか伝わらないことだってきっとある。

僕は自分に嘘を付けばきっとメンタルがおかしくなると思っている。だからこそ自分が選んだ選択に嘘は無いし、進むべき道は間違ってない、溺れれば掬い上げてくれるという安心感という微かな希望を信じ暗闇の沼路を歩むことを覚悟している。

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