徒然なる想い その五〜ミクロとマクロの狭間〜

皆さん、こんにちは。
いよいよ今年も終わりという時期になってきました。
皆さんはどうお過ごしでしょうか。

さて、今回はミクロ(微視)とマクロ(巨視)についての雑感を綴って行きたいと思います。なぜこのような内容の記事を書こうと思い立ったのかと言えば、最近生命科学に於いてミクロとマクロな橋渡しをするものは何なのかということを考えるようになったからです。一般的にミクロと言えばマイクロスケール(光学顕微鏡で扱う世界で$${10^{-6}}$$スケール)やナノスケール(電子顕微鏡で扱う世界で$${10^{-9}}$$スケール)のように小さい世界を指し、反対にマクロと言えば視覚で捉えることのできるスケール($${10^{-3}}$$から$${10^{3}}$$スケール)から天文学的なスケール($${10^{6}}$$から10の何十乗まで幅広いスケール)までの大きい世界を指します。例えば、動物細胞は約 $${1.0\times 10^{-5}\!\  m}$$ 程度のミクロスケールである一方、我々が住む地球は約 $${1.3\times 10^{4}\!\  m}$$ 程度のマクロスケールとなり、大きさが約 $${10^{9}}$$ 倍となります。また、体積を比較すれば約 $${10^{27}}$$ 倍となるため、この2つのものの間には途方もない差があるように感じられます。このように世界のサイズ感が余りにも違いすぎるため、一般的にミクロとマクロは別物と考えられがちです。しかし、ミクロなものとマクロなものは別物でも何でもありません。なぜなら、マクロなものは分割という操作を繰り返せばミクロなものに帰着し、またミクロなものを次々と統合していけばマクロなものになるからです。我々の体も分割していけば細胞、分子、原子、原子核、クオークとどんどん小さくなって行きますが、逆にこれらを数多く集め秩序付けて行くことによって我々の体ができあがります。従って、ミクロとマクロは本来不可分なものであり、一見すると別物に見えるミクロとマクロを橋渡しする原理を見付けることが重要だと言えます。

このように一見すると別物に見えるミクロとマクロを橋渡しする概念が、物理学では存在します。それは、統計力学で用いられるボルツマンの原理です。ボルツマンの原理とは、エントロピーを分子運動の観点から表現したものです。エントロピーという物理量は最初に熱力学で考え出され、系の不可逆性を示す物理量として利用されています。よく聞かれるエントロピー増大則とは熱力学的な観点に由来するものであり、孤立系(エネルギーと物質が出入りしない系)に於ける断熱過程では必ず $${ΔS=S'-S≥0}$$という関係式が成立することを主張しています。つまり、反応前後に於ける系のエントロピーは必ず増加し、この過程は自然状態では不可逆であることを表わしています。例えば、お湯を常温においておくとお湯はどんどん冷めて行きますが、冷めた水をお湯にしようとすると温めるという人為的な過程が必要になり、お湯が水になるという過程は自然状態に於いて不可逆であることが分かります。このような過程もエントロピー増大則から説明することができ、このことからも反応の不可逆性を示す法則であることが分かります。よって、エントロピー増大の法則は時間が一方向に進むことを意味していると言えます。ここで、おやと思われる方もいらっしゃるかと思います。と言うのも、エントロピーとは一般的に乱雑さであると説明されるからです。実はエントロピーが乱雑さを表わすことを理解するためには、熱力学ではなく統計力学的な観点が必要になってきます。ボルツマンの原理に基づけば、エントロピーは $${S=k_{B}logW}$$ ($${k_{B}}$$はボルツマン定数、$${W}$$は系の状態数を表わします)と表現されます。これだけでは何のことかよく分からないため、先ほどのエントロピー増大則にこの式を代入します。  $${ΔS=k_{B}logW'-k_{B}logW=k_{B}log\frac{W'}{W}≥0}$$ となるため、$${log\frac{W'}{W}≥0}$$ を満たせば良いことになります。つまり、反応前後で系の取り得る状態の数が増えれば良いことになり、エントロピー増大則を分子運動の観点から考えれば、系の取り得る状態の数が増えることを意味しています。系の取り得る状態の数が増えるということは分子運動もそれだけ激しくなるため、分子運動の乱雑さが大きくなるということになります。これがエントロピーは乱雑さを表わすということの意味です。従って、エントロピー増大則をミクロな視点で解釈すると分子運動の乱雑さが大きくなるということを意味し、これをマクロな視点で解釈すると自然状態に於ける反応は不可逆性であるということになります。このように熱現象はミクロな分子運動と捉えることもできると同時に、マクロな熱的系の変化と捉えることもでき、このミクロとマクロの橋渡しをするためにはボルツマンの原理が不可欠であることが分かります。物理学の面白さはミクロな現象とマクロな現象を紐づけられるところにあると言え、ミクロとマクロが不可分であることを常に意識させてくれます。

エントロピーのミクロ的な解釈とマクロ的な解釈の話だけで長くなってきましたが、もう少しだけお付き合いください。ボルツマンの原理は熱現象に於けるミクロな側面とマクロな側面を紐付けてくれるものであることが分かったものの、これは物理学に関する話です。このようなことを生命科学でできたら面白いと思わないでしょうか。個人的にこの問題は非常に面白いものだと思っていて、ミクロとマクロの橋渡しをするものは一体何なのかということを少し考えてみました。すると、非常に面白いことが見えてきます。私たちの体をマクロなものと捉えれば、ミクロなものはDNAや細胞といったものになります。これは当たり前の話ですが、逆に私たちをミクロな一つの個体と捉えることで、個体群や生態系といったマクロなものも見えてくるようになります。このことを象徴的に表現すると、図 1 のようになります。このように、個体1つ1つはマクロでもあり、且つミクロでもあるという非常に不思議な存在になります。別な表現をすれば、私たちの体は細胞社会により構成されている点でマクロなものと言える一方、人間社会や生物社会を構成する点でミクロなものと言えます。従って、ミクロなものとマクロなものを橋渡しする存在は個体ではないのかと考えられるわけです。私たち一人一人がマクロとミクロの橋渡しになっているということは、中々面白いことだと思いませんか。

図 1 :生物に於けるミクロ視点とマクロ視点

以上のことをまとめると、生命科学に於ける個体という概念は物理学に於けるボルツマンの原理と同じような意味を持つことになります。熱現象がミクロから攻めてもマクロから攻めてもボルツマンの原理という土台に回帰するように、生命現象もミクロから攻めてもマクロから攻めても個体という基本に帰着します。従って、生命科学に於いてはアプローチがどうであれ、個体という基本単位を常に意識する必要があるのではないでしょうか。先ず個体レベルで見るとどうなのかというところから始まり、次にミクロな方向に分解して行くか、或いはマクロな方向に統合して行くことが生命を理解する上で不可欠なことだと思います。当たり前のことのように思われるかもしれません。しかし、分子レベルでどうなのか、或いは個体群レベルでどうなのかといった視点は常に持ちますが、意外と個体レベルでどうなのかといったことは忘れがちになってしまいます。従って、個体レベルでどうなのかという視点も常に忘れないようにしたいなと思った次第です。ちなみに、この話は何も生命科学に限った話ではなく、日常的な部分でも当てはまります。例えば、何らかの社会集団を考えるといった場合はマクロな視点となりますが、社会集団に属する私を考える場合はミクロな視点となります。片方の視点のみでは全体像は描けず、双方の視点から眺めミクロとマクロの狭間にあるものを理解することで全体像が描けるようになります。ミクロ、マクロのどちらかに寄る(社会的な話でマクロに寄りすぎるということも少ないでしょうが)ことなく、ミクロとマクロの狭間に何があるのかを見極めることが大事なのではないでしょうか。

雑感でありながら数式を連発し一寸重ための話になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき有り難うございます。note でも簡単な Latex 表記で数式が普通に打てるようになったため、折角ですので有効に活用させていただきました(注 1 )。数式は一寸という方がいらっしゃったら申し訳ありません。数式を連発するなと一言コメントをいただけると幸いです。次回以後、極力減らすようにしてみます。最後になりますが、来週こそ「How to define Life?」を上げたいと考えていますので、もう少々お待ちいただけると幸いです。それでは、また次回の記事でお会いできることを楽しみにしております。



注 1 :note で数式が打てるようになったことに伴い、以前の記事で用いた数式も全て修正しました。もし以前の記事で何のことか分からなかったという方がいらっしゃれば、もう一度記事をお読みいただけると幸いです。2つの記事のURLを掲載しておきます。
How to face death?〜死とどう向き合うか〜」(光円錐座標に於ける座標式を修正)
Let's image unknown creatures part 2〜深海生物を考えてみよう〜」(水深と大気圧に関する関係式を修正)

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