【2022年ベスト読書】猫も杓子も終歳馳駆

私みたいな2023年も始まって3ヶ月も経ってるのに、今だに2022年のベスト読書を投稿してる野郎、他に、いますかっていねーか、はは

本当にいないから困る。
しかも結局書き終わってないのに投稿しちゃう!!ああ〜!!!!サムネもねえ!!あとでつけます!

今年は頑張るぞ〜!!(虚偽)

奥田亜希子『五つ星をつけてよ』

文章の湿度が高い。同性の友人をバレないように性愛の対象として見るときの描写や、過保護な母親の子どもたちへの接し方。ストーリーとしては爽やかな部分もあるけれど、なんだかそれ以上にじとっと文章が纏わりついてくるような重さがある。日本の夏かよ。
『五つ星をつけてよ』は短編集だが、全作品にその湿度が出ている。ストーリーではなく文章に色が出てしまう作家が大好きなので、一気に奥田亜希子という作家に興味が湧いた。今回初めて読んだけれど、今年も開拓していく作家だと思う。
『五つ星をつけてよ』ってタイトルも良い。五つ星という言葉で評価のことだと一瞬で分かる上に、じゃあ誰が誰に評価をされたい話なのか?と引き込まれる。
中でも「ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ」という話がお気に入り。しょーもないバンドマンがかっこよく見えちゃうことって人類共通の黒歴史だと私は勝手に思ってます。主人公、お前を一人にはしないぜ。

H・G・ウエルズ『神々のような人びと』(水嶋正路訳)

通勤中に何回にも分けて読んだからかもしれないけど、全然登場人物の名前が覚えられなくて混乱した本だった。あれこいつ誰だっけ!?さっき食堂で飯食ってたやつ…じゃない!!?じゃあさっき主人公と喧嘩して…ない!!?本当に誰!!?!「水星の魔女」を観ていても思ったけど、カタカナの名前に対して全然海馬が仕事してくれない。

本を読んだ時に「もっと早く出会いたかった」と思うことがよくあるが、この本は例外かもしれない。あまり幼い頃に読むと影響されすぎて「理想の社会」に対する考えが歪んだ気がする。

ユートピアとディストピアは表裏一体だ。平等に幸せを追求するのであれば、状態把握のためにある程度の国民の管理は必要となる。が、徹底した管理が向かう先は監視社会であり、最初に思い描いていた理想とは何故かズレが生じる。
オルダス・ハックスリィ『すばらしい新世界』という有名なディストピア小説は、ユートピア小説であるはずの『神々のような人びと』のパロディだったりする。これが、ディストピアとユートピアの関係性を如実に表していると私は思う。

この本、主人公が自分の黄色い車を「黄禍号」って呼ぶんだよね。人種差別をものともしないこの強気な姿勢すごすぎるって思ったけど、黄禍論がいつの思想で、この本の初版がいつで…みたいなことを考えていたらどんどん暗くなってきてしまった。

私は角帽を被る歳になっても勉学からできる限り逃げ続けたしょうもない人間だったため、こういう話を読めば読むほど、文学と歴史の切り離せない関係性を再認識していつも後悔する。ストーリーが理解できても、バックグラウンドをすぐに理解できない。時代独特の言葉遣いが分からない。それは作品の魅力を取りこぼしていると感じる。
学生時代を後悔したくはないが、現代小説以外の本に対する私の感想は特に表面的であり、書くたびに己の底の浅さが露呈されているなといつも虚しくなる。暗い女…。

でも面白いからみんな読んでね!あとサンリオSF文庫、死ぬまでに全冊欲しい!!!!

ハリイ・ケメルマン(永井淳/深町眞理子訳)『九マイルは遠すぎる』

米澤穂信の『本と鍵の季節』が大好きすぎて苦しいほどで、私のnoteでも何回も登場させてるんだけど、その中の「ロックオンロッカー」という作品の元ネタ、『九マイルは遠すぎる』はやっぱりものすごく良かった。「安楽椅子探偵」の代表作品でもあるのに、今まで読んでいなかった。

「安楽椅子探偵」というのは、推理小説のジャンルの1つだ。自分で捜査を進めていくのではなく、他人から聞いた情報だけで推理を組み立てる探偵のことを指す。つまりべらぼうに優秀ということ。

「たとえば十語ないし十二語からなる一つの文章を作ってみたまえ」「そうしたら、きみがその文章を考えたときにはまったく思いもかけなかった一連の論理的な推論を引きだしてお目にかけよう」という問いに対し、「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」と答えることから、このミステリは幕を開ける。

本当に思いもよらない推論をお目にかけていただき、「お、思いもよらね〜!」って家で一人で言う羽目になった。「最後の30分、あなたは裏切られる!」みたいな安っぽい煽りがついた映画よりこの本読んだ方が良い、さっさと裏切ってくれてコスパ良い。短編なので。

余談ですが、私は「〜したまえ」「お目にかけよう」などの偉そうなミステリ口調が、本当に、大好きです。

米澤穂信『栞と嘘の季節』

高校で図書委員をつとめる堀川次郎と松倉詩門の男子生徒による長編ミステリシリーズ。上で書いた『本と鍵の季節』の続編!待ち望んでた!おかえり〜!!もう一生この本の話できる。酒飲むと永遠にしてる。
シリーズものの途中の巻の感想を人に伝わるように書くってなかなか難しいんだけど、頑張って書きたいと思う。

まず前作、かなり読者を絶望に突き落としてくる終わり方をした。あそこからどうやって繋げるつもりなんだ〜とどきどきしたが、存外ぬるっと始まった。えっこんな感じ!?と動揺している間に、新キャラ、女子生徒の瀬野が登場。

瀬野は顔がきれいな女子生徒だ。少しではなく、ずば抜けて。美しいということは才能で、古今東西人々が欲するものであるが、それは良くも悪くも異物ということでもある。勝手にその人を崇め、奉り、劣等感を抱き、時に距離を置く。だから美貌という才能が必ずしも人を幸せにしてくれるとは限らない。

他の記事でも書いたが、米澤穂信は少年少女に推理能力や美貌などの才能を与えても、その才能が安直に幸せに繋がる道までは与えてくれない。周囲と関係を築く中で、特別な彼ら彼女らは才能を持て余すことが多い。

その様子を見ていると苦しくなってしまうが、でも私は周りの人の気持ちがわかってしまう。私は特に何かに秀でたわけでもないありふれた人間で、好きなことはたくさんあるけれど何か1つに死んでもしがみつくような熱情はない。だから私がもし米澤穂信の小説に登場するとしたら、メイン登場人物である彼ら彼女らが、才能をギフトとしてでなく苦悩の種として受け取ってしまうことの原因に携わるように描かれるのだろう、と思う。そう私は暗いし自意識過剰な女です!!

相変わらず登場人物に容赦がなくて救いがないシリーズだけれど、松倉が自分が進む道を見つけようとしていたことがとても嬉しかった。松倉、大好きなので。3巻も早く発売してほしい。明日発売してほしい。早く読みたい。でも氷菓シリーズも早く読みたい!!もう新作ならなんでもいい!!米澤穂信大好き!!!

あとはちょっとしたネタが細かいのも良い!例えば図書室の利用者があまりに少ないことに対しての堀川と松倉の会話。

「本気で少ないな。この図書室、俺たちが思うよりやばいのかもしれん」
「やばいとどうなる。倒産するのか」
「赤字の補填が必要だ。煎餅を焼いて売ろうぜ」
「なんで煎餅なんだよ」

『栞と嘘の季節』p149より引用

三陸鉄道の赤字ネタが出てきた(三陸鉄道は赤字を補うべく煎餅を売っている)。堀川に通じてないのも可愛い。赤字の話題の中でそれを言えちゃう松倉という男、及び特に鉄道好きでもない男子高生にそれを言わせる米澤穂信、総じてラヴ。他にも延滞する利用者について話している時にスティーブン・キングの『図書館警察』を持ち出したりとか(しかもそれが相手にも通じる)、そんな男子高生たち現実にいないじゃん萌え萌えじゃん。本当に彼らが好きすぎる勘弁して〜。

赤川次郎・新井素子・石田衣良・荻原浩・恩田陸・原田マハ・村山由佳・山内マリコ『吾輩も猫である』

猫好き各位!立て!財布を持て!書店へ走れ!!!!
夏目漱石の没後100年と生誕150周年を記念して出版された猫アンソロジー。「猫アンソロジー」以上に幸せな日本語があるだろうか、いや、ない。
猫視点の小説っていくつかあるけど(柴田よしきの「猫探偵シリーズ」とか好きです)、猫が自分のことを高貴な生き物だと思っていて、人間をちょっと下に見てる構図が大好きで、この本もその性癖に刺さる内容でした。人間はネコチャンの下僕です。この腕はあなたたちの世話をするためにある。ありがとう。
赤川次郎や恩田陸など豪華作家が並ぶ中、やっぱり新井素子の文章は光るなあと思った。いつもこの人の文章を誉める時、私は「毒」という言葉を使いたくなるけれど、今回は「上品でチャーミング」だった。珍しくですます調だからかな。
夏目漱石に対するリスペクトはもちろんのこと、各々の文才も遺憾なく発揮され、素晴らしいアンソロジーだった。

寮美千子『星兎』

決してお涙頂戴ではないのに、文章に透明感があり、ただただ綺麗で泣きたくなるような本だった。

記憶喪失の等身大のサイズのうさぎが(想像してみると本当に怖い)、主人公と一緒に自分がどんな存在なのか思い出すために旅をするという、ストーリーとしてはシンプルなものになるが、とにかく文章で魅せる本だ。最初の1ページから情景描写の巧みさに引き込まれた。特に真夜中のショッピング・モールを抜けて、主人公とうさぎがドーナツ屋に向かう場面が、ほんの1〜2ページの描写なのにあまりに美しく忘れられない。私は言葉の持ち物が少なくて、美しいことを美しいという言葉でしか表現できないので、とにかく読んで確かめてほしい…!

大人も読める児童書のような雰囲気、「他者の喪失」がテーマにあること、情景描写から想像できる風景などが、少しだけ宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を想起させる。別れの予感を抱えながらの、異国情緒の中を巡る旅。夏の真夜中、少し照明を落とした部屋で読むのに相応しい本だった。ページ数も多くないので普段あまり本を読まないような人にもおすすめ。

ちなみに絶版でもう出版社からは買えないが、作者である寮美千子自身が出版社から買い取ったものをAmazonで販売しているので、まだ今なら入手できる!!

大岡信・谷川俊太郎『詩の誕生』

小説に比べて、詩というものはなんだかハードルが高く感じる。それは私が詩のことを何も知らないからだ、まずは敵情視察だ、と思い手を出した一冊。

昔感動した本や音楽が、歳を重ねた自分に響かなくなることは、誰しも経験があると思う。詩にも同じことが言えて、それを「詩が死んだ」と捉えることからこの本は始まる。もう良いよね、そんなの読み出しから引き込まれるに決まっている。
ただ「詩には個人の中での死と社会の中での死がある」って話は、人間が死ぬ時と同じやつじゃんと思った。よく世間で言われてるやつ。

そのあとは著者2人やその他の詩人たちの詩を引用しながら、詩が生まれる体験や、日本語の豊かさについて語られており、読むのにかなりエネルギーを要した。ただ難しくても、完全に理解できなくても、この人たちの脳味噌を垣間見たいと食らいついて読むくらいには魅力がある本だった。

特に収穫だったのは、谷川俊太郎が、詩人の役割は何だったのかと話しているところ。 

自分の詩がどういう役割を果たしてきたかということを考えてみると、ただ一つの答は、少しは人を楽しませただろうということなわけよね。結局それしかないわけさ。それしかないということが物足りないとも思うけれども、同時にもしかするとそれこそが究極的な答なのかもしれないという感じもある。
 詩人の場合は言語を通して人を楽しませる、つまり言語の実用性というものから言語を解き放ってやるというのかな。だから非常に広い意味での遊びの世界へ人間をいざなう。

『詩の誕生』p66より引用

自分の肩から力が抜けるのを感じた。ハードル高く感じる必要はなく、小説と同じで、詩もただ楽しんで良かったのだと。
今年はもっと積極的に詩集にも手を出していきたいと思う。とりあえずは金子光晴かな。

河合隼雄『コンプレックス』

Chu!生まれてきちゃってごめん!!!の歌詞だけ異様に力を込めて歌える私は自己肯定感が低い。自意識と自己肯定感の数値逆にしてくれよ。コンプレックスマシマシ全乗せを頼んだ覚えはないのにこの世に生まれたらこうなっていた。人生やってらんね〜と日々思っていたが、ある時ふと、そもそもコンプレックスってなんだ?と思った。
こんなにコンプレックスを憎んでいるのにその姿をよく知らないのはおかしい、と手を伸ばした一冊。

アホアホな感想で申し訳ないけど、まぁ〜〜すごい本である。コンプレックスを「つまりは劣等感を指しているんだろう」と思っている人に読んでほしい。確かに劣等感の一種ではあるが、これはそんなに単純な話じゃない。
学歴コンプレックスに置き換えるのが1番わかりやすいと個人的には思う。私の所感も混ざった解釈だけれど、「憧れ」(劣等感)と「でも自分だって努力していればそこに到達できるはず、今はまだ努力をしていないだけだ」(優越感)を併せ持った時にコンプレックスは完成する。

というか読み終わった後に気がついたが、コンプレックスがそんなに単純な話だったら、私も、多分あなたも、こんなに捻れて苦しんで生きていない。

本の中にハイライト!という部分が多すぎて、何かを切り取って感想を言うのがすごく難しい。全部ハイライト。全部引用したい。それは引用じゃない。

今回のnoteで登場させた本の中で一冊だけ他人に渡すことができるのであれば、私はこの本を選ぶと思うけど、それは知見をシェアみたいな明るい感じではなくて、どちらかと言うと地獄へ道連れみたいな感じ。自分に向き合うことは程々にしないと余計拗らせるし、「自分がなぜあの恋人やあの友人達に側にいてほしいのか」とかは多分知らなくて良いことだった。

小川洋子『掌に眠る舞台』

「さまざまな"舞台"にまつわる、美しく恐ろしい8編の物語。」と帯にはあった。確かにこの作品を一言で分かりやすくと言われたら、私も舞台についての作品集だと述べるだろう。
ただ変な感想かもしれないが、読み進めていくうちに、あ、これは舞台だけじゃなくて「空洞」にも焦点を当てた物語集なんだ、と思った。

例えば、「指紋のついた羽」という作品。中に「ラ・シルフィールド」というバレエ作品が登場し、主人公と少女が鑑賞する場面がある。ラ・シルフィールドという妖精に青年が一目惚れして…というストーリーのバレエで(クラシックバレエに登場する男はマジで大体信じらんないくらい惚れっぽい)、途中で青年がラ・シルフィールドを持ち上げるような振り付けがある。この舞台を観た少女はこう感じる。ラ・シルフィールドは妖精だから1人で飛べるのに、青年はそれを理解しないで持ち上げようとした。持ち上げられたときのラ・シルフィールドのつま先と、舞台との間の「空洞」がある限り、2人が結ばれれることはないのだと。

次の「ユニコーンを握らせる」という作品では、街明かりが灯る夜景に対し、自分と元女優という変わり者の叔母しかいない部屋の真ん中が空虚さを孕んでおり「空洞」だと主人公は感じる。

こんな具合で、「空洞」が何を指すかは作品によって全く異なる。絵本を万引きしたいという心の薄ら暗い部分、あるいは左下奥歯のブリッジと歯茎の隙間、あるいは子を望めど宿せぬ子宮。

舞台という華やかな世界に伴う影の部分を「空洞」で彩った、退廃的な香りのする短編集だった。

八馬智『日常の絶景』

写真についての説明がとても多いというか、写真がメインの本なので、写真集という分類なのかもしれない。いかんせんその方面の文化に明るくないのでよく分からない。
タイトルの通り、「絶景」は非日常のものだけでなく、日常にも含まれていると考える著者が、私たちの周りにどんな絶景があるのか教えてくれる本だ。

堅苦しい文章はここまで。
何が載っているかというと、室外機!!!!!!が!まず!たくさん!載っています!!私はなぜだか分からないけど室外機が好きで、普段街を歩いていても良さげな室外機がないか周りを見ているし、見つけるとたとえ上司と一緒でも取引先がいても絶対に写真を撮る。

そのほかにも土木がたくさん載っていて、お散歩がぐっと楽しくなる本だった。自分の日常にどんな景色があるのか改めて探しに行きたくなる。ちょっとだけ世界を変えてくれる、私を外に押し出してくれる本だった。

おわりに

2022年は転職関連で疲弊していたこともあり、振り返るとそんなに冊数は重ねられなかった年だと思う。でも人生でも指折りの心への負荷が大きかった年に印象に残った本のことは多分しばらくは覚えている。
しばらくというヨワヨワな言葉を使っているのは、生涯覚えていると言うには最近記憶力に自信がないし、本を信仰して生きる若さと危うさはもう失ったなと思うから。

まぁ難しいことはともかく、今年も本、たくさん読むぞ〜!!そしてちゃんと記録するぞ…。











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