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【読書感想】米澤穂信作品の探偵役は三次元にいないでくれ

最近お気に入りの本2〜3冊について感想を書こうとした。書こうとしたんだが、米澤穂信の『本と鍵の季節』についての感想が思った以上に長くなってしまい、私が教師なら確実にクレームが入るレベルのエコヒイキになってしまったので、この1冊で1つの記事にまとめることにした。

米澤穂信の作品の探偵役たち、特にこの作品の探偵役2人である堀川次郎と松倉詩門は絶対に三次元にいてほしくない。何故なら私は彼らに恋をしてしまうことが容易に想像できるから。

リアコ勢だと逃げないで欲しい。言い訳を聞いてくれ。まず探偵役は人の心の機微が分からないと務まらないものだ。しょうもない犯罪もあるが、小説の中での犯人の動機は有り体に言えばめちゃくちゃにブチギレたからである。人のブチギレを見抜けるというのは、観察眼や知識、加えて思慮深さなど、人間としての能力を多く持っているからこそできる至難の業だ。ということで探偵役が魅力的に見えるのは明々白々。

その中でも米澤穂信作品の探偵役は光っている。小市民シリーズ・氷菓シリーズ・本作品など、多くの作品に於いて、彼ら彼女らは10代にして自分の中でルールを明確に持っている。例えば氷菓シリーズでの探偵役、奉太郎は「やらなくてもいいことならやらない。やらなければいけないことは手短に。」というモットーを掲げている。これは有名なので聞いたことがある人も多いかもしれない。10代の頃の私のモットーなんぞ、スピード感・勢い・疾走感という感じだったし、正確にはこれはモットーではなく、勝手に背負った三重苦である。

若くして自分の輪郭をそんなに明確にできる時点で憧れてしまうが、何故そのモットーが生まれたのか、いや生まれてしまったのかということに思いを馳せると、私は彼ら彼女らのことが愛しくて堪らなくなる。それは自分が受けた過去の傷から学んだものだからだ。傷や弱さは自分にとっては荷物になるかもしれないが、他者から見たら魅力というのは現実世界でも多々あると思う。ハガレンのエドも手足をもぎもぎされながら、痛みを伴わない教訓には意義がないのだと言っていたが、ちょっと君たち痛みから教訓を得すぎじゃない?

加えて傷を抱えた人間の中には、他人の心の機微に鋭くなる者がいる。その結果、自分をしっかりと持ち、かつ他人のことも思いやれる、痺れる探偵役が爆誕してしまうのだ。その才能が彼ら彼女らにとってギフトとは限らないところも、良い。

ということで米澤穂信作品の探偵役の魅力を少しは伝えることができただろうか。

そして本作品の探偵役は、松倉と堀川という、図書委員を務める2名の男子高校生だ。松倉は背が高く顔も良く目立つ存在であり、笑い上戸な面もありながらもほどよく皮肉屋でいいやつだ、というのが堀川から見た印象である。ベタ褒めじゃん。堀川、松倉のこと大好きじゃん。私も松倉のこと大好きだよ。

ただ堀川が語り部という作品の構造上、松倉について外からの描写というのは多いが、堀川についてはあまり記載されていない。誰も彼のことをベタ褒めしていない。

そんなの寂しい。だから私が堀川を褒める。

堀川は真っ直ぐで思慮深く、友情にアツい。正義感もほどほどに強く、いいやつだ。

このほどほどというのがミソである。私の人生において、勧善懲悪正義感野郎が輝いて見えたのは3歳までであった。堀川は自分なりの正義を貫きたい、ただ自分と相手にとっての「正解」は違うし、この考えは偽善かもしれないというところまで考えている。考えた上で自分の正義の発言をする。自分の為でもあるが、相手の為に。いいやつなんだ、本当に。

私が堀川にうっかり恋しそうになったポイントといえば、「言いたいことだけを言うのは難しい。言いたくないことまで伝わってしまう。言いたいことの方は、たいてい歪んでしまうのに。」と考えているシーンだ。

過激で申し訳ないが、私は言葉を過信し、万能薬か何かだと思っている奴が嫌いだ。言葉を過信といっても、それが見えない凶器になってしまうことを理解しているのは社会を生きていく上で必要なことであり、何ならそれは過信ではなく思いやりである。

基本的に言葉なんてものは無力だ。だからこそ諦めたくなくて、相手に届くように自分なりに最適解を探し、相手に刺されながら相手を刺しながら、いつかは言葉「なんてもの」と言わなくなる日が来ますように、と紡ぐものだと思っている。だけどこれは四半世紀外部から色んな影響を受けて、ようやく考えられるようになったことなので、言葉という弾丸の扱いの難しさを10代にして知る堀川をとても尊敬している。

また、上で書いたように堀川は松倉をベタ褒めしており、「相当な切れ者」とまで松倉のことを思っているが、その切れ者と対等に渡り合い、時には出し抜いていることもあるのだ。だからこそこの2人はホームズとワトソンの関係でない、対等なパートナーなり得るのだが、自分の長所にはいまいち鈍感なのが人間の悲しき性分だと思う。背中の梅干し。

堀川の魅力アピールタイムはこんなところにしておきたい。もしあなたがここまでで堀川よりも松倉の方が魅力的に思えているならば、それは私の力不足であり、彼に落ち度はない。彼を責めないで。全部私が悪いの。

先程米澤作品のキャラクターの自分ルールのことを書いたが、今回は松倉があまりに重い荷物と共に自分のルールを背負っている。堀川もちょいちょいルールは持っているが、作品の核となっているのは松倉の方だ。それが何かということを書いて松倉のことを布教したいのだが、ここは是非読んでいただいて確かめて欲しい。

ここまでの文章で、ほぼキャラクターへの愛しか書いていないことに我ながら引いてしまったため、作品の内容についても触れたいと思う。本作品は日常系ミステリであり、6つのエピソードから成り立っているが、その全てに、タイトルに入っている「本」と「鍵」が関係している。タイトルがシンプルかつ作品に直接的に絡んでいるのが私は非常に好きだし、米澤作品はこの傾向が高いと思う。

ただ正直読後感はあまり良くない。本の後ろのあらすじには「青春図書室ミステリー開幕!!」との文字があるが、そもそも米澤にとっての青春とは、お砂糖、スパイス、すてきなものをいっぱい入れただけものではなく、ケミカルXも突っ込んでしまったものなのである。逃れられない劣等感や自分の力だけではどうにもならない家庭環境など、私は読んでいて胸が詰まるほど身に覚えがあったが、キャラクターたちに部分的にでも自己投影する人は多いのではないか。

松倉も堀川も弱さがあるキャラクターだからこそ愛おしいが、紆余曲折を経て、彼らの基準での幸せを掴んでほしいと思う。ハッピーエンド至上主義者というわけではない。もっと単純に、好きな人には幸せで居て欲しいだけで、ついでにその未来が澱んだ10代の私をも照らす気がする。

というか「好きだから幸せでいて欲しい」って、もうそれは完全に恋では?時すでに遅しだった模様。本当に彼らみたいな人が三次元にいませんように!

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