時は金なり

「時は金なり」という格言がある。
英語で言えば「Time Is Money」。

有名な格言で老若男女誰でも一度は聞いたことがあるくらい数多ある格言、名言の中でも1、2を争うメジャー中のメジャーな格言であろう。
一般的には、時間には金と同等もしくはそれ以上の価値がある、といったような意味で使われることが多い。
故に他人の時間を奪うことは、金銭を奪うことくらい非道なことだと解釈してる人もきっと多いだろう。それくらい時間というのは人間にとって大切だという意味で。

逆もまた然りで、金には時間と同等もしくはそれ以上の価値がある、と解釈する人も少なからずいるだろう。
どちらにせよ語られていることは、概念も含めた物事の価値の有無であることには変わりがないわけである。

しかし、この格言の本来の意味は少し違っているようで、

「時間というのは金に変えることができる」

もう少し説明すると、

「時間というのは金を産み出す機会を有している」

という意味で使われていたそうだ。

元々は経済学の用語で機会の損失や創出についての話の主軸となる格言のようだ。

価値の有無と機会の有無、違う話のようだが、価値がなければ機会が得られないし、機会がなければ価値を証明できない。

どちらが先か後かの違いはあるにせよ、身の丈以上のお金を稼ぐには時間を最大限効率化する必要があるし、有意義な時間を過ごすためにはある程度の支出は必要であるし、人生を楽しむというのはなんて難しいのかと天を仰ぐばかりである。

時間と金をただただ浪費し続ける自分のような人間は、同時に機会も失い続けるということは充分理解できたが、これを機に自己を改め、限りある時間とお金を大切にして生きよう、とは微塵も思わないあたりがバカのバカたる、クズのクズたる、無能の無能たる所以である。

バカでもクズでも無能でも今はなんとか生きている。
無益で無駄なことしかできないし、楽しいなんて全く言えないが、
そこそこ愉快な人生なんじゃないかとは思う。

滑稽と言い換えることもできるとは思うが。。

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