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マインレンデル『救済の哲学』を読む:素人邦訳



はじめに



動機云々の私的な補足を記します。

記事の末尾に草稿へのリンクを記載しています。


1.動機

生来ロクデナシでございます。
日々だらだら過ごしとるのですが、
芥川をまだらに読み散らかしてた折、
気になったのがこんな一節。

   死

 マインレンデルは頗る正確に死の魅力を記述している。実際我我は何かの拍子に死の魅力を感じたが最後、容易にその圏外に逃れることは出来ない。のみならず同心円をめぐるようにじりじり死の前へ歩み寄るのである。

 1923-1927年 侏儒の言葉 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html



不意に出てくるマインレンデルという名。

芥川がマインレンデルに親しむようになったきっかけは、
森鴎外『妄想』を読んでだという。


たしかに、
上記『侏儒の言葉』の引用部は、下記の鴎外『妄想』抜粋部に似ている。

自分は此儘で人生の下り坂を下つて行く。そしてその下り果てた所が死だといふことを知つて居る。
 併しその死はこはくはない。人の説に、老年になるに従つて増長するといふ「死の恐怖」が、自分には無い。
 若い時には、この死といふ目的地に達するまでに、自分の眼前に横はつてゐる謎を解きたいと、痛切に感じたことがある。その感じが次第に痛切でなくなつた。次第に薄らいだ。解けずに横はつてゐる謎が見えないのではない。見えてゐる謎を解くべきものだと思はないのでもない。それを解かうとしてあせらなくなつたのである。
 この頃自分は Philipp Mainlaender フイリツプ マインレンデル が事を聞いて、その男の書いた救抜の哲学を読んで見た。
 此男は Hartmann ハルトマン の迷ひの三期を承認してゐる。ところであらゆる錯迷を打ち破つて置いて、生を肯定しろと云ふのは無理だと云ふのである。これは皆迷だが、死んだつて駄目だから、迷を追つ掛けて行けとは云はれない筈だと云ふのである。人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面を背ける。次いで死の廻りに大きい圏を画がいて、震慄しながら歩いてゐる。その圏が漸く小くなつて、とうとう疲れた腕を死の項に投げ掛けて、死と目と目を見合はす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンデルは云つてゐる。
 さう云つて置いて、マインレンデルは三十五歳で自殺したのである。
 自分には死の恐怖が無いと同時にマインレンデルの「死の憧憬」も無い。
 死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下つて行く。

1911年 妄想 森鴎外
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/683_23194.html


芥川の自殺を後押ししたっぽい、というエピソードが日本におけるマインレンデルの評価だ。

芥川が自殺した同年の『河童』、
『或舊友へ送る手記』(死後に発見されたもの)にもその名が出てくる。

問 君の交友の多少は如何?
答 予の交友は古今東西に亘り、三百人を下らざるべし。その著名なるものを挙ぐれば、クライスト、マイレンデル、ワイニンゲル、……

1927年 河童 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/45761_39095.html

僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向ふ道程を描いてゐるのに違ひない。

(中略)

僕は冷やかにこの準備を終り、今は唯死と遊んでゐる。この先の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであらう。

 我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうに透み渡つた、病的な神経の世界である。僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。

1927年 或舊友へ送る手記 芥川龍之介
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/20_14619.html

芥川のマインレンデルへの傾倒ぶりは当時そこまで知られておらず、
死後、菊池寛が芥川の自死を受けて記した『芥川の事ども』で触れられているくらい。
というか、マインレンデルがマイナーすぎた。

 彼は、文学上の読書においては、当代その比がないと思う。あの手記の中にあるマインレンデルについて、火葬場からの帰途、恒藤君が僕に訊いた。
「君、マインレンデルというのを知っているか。」
「知らない。君は。」
「僕も知らないんだ、あれは人の名かしらん。」
 山本有三、井汲清治、豊島與志雄の諸氏がいたが、誰も知らなかった。あの手記を読んで、マインレンデルを知っていたもの果たして幾人いただろう。二、三日して恒藤君が来訪しての話では、独逸の哲学者で、ショペンハウエルの影響を受け、厭世思想をいだき、結局自殺が最良の道であることを鼓吹した学者だろうとの事だった。
 芥川はいろいろの方面で、多くのマインレンデルを読んでいる男に違いなかった。

菊池寛 芥川の事ども
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1340_19832.html


その他、西尾維新作品に出てくるマインレンデルをもじった「マインドレンデル」という武器から知った人もいるらしい。

こんな流れで彼を知り、『救済の哲学』ちゅー大層な書名に厨二心もくすぐられて読んでみたくなった。

さて、このマインレンデルさん、
ショーペンハウエルの熱心なフォロワーなのだけれど、両者の思想はえてして混同されがち、なのだという。
(混同するやつ、ほんとにおるんかな?めっちゃちがうで)

たとえばショーペンハウエルの『自殺について』はとてもよい本で、
彼が決して単調なペシミストではなく、キリスト教に基づいて自殺に反対しているとわかる。

が、マインレンデルはそうではないらしい。



けれどもこのマインレンデル、評価は高くない。
ニーチェからは「ディレッタント」すなわち数奇者(在野のマニア。アカデミックな権威はない人)程度の人物、と評されたらしい。
自分の著作を踏み台にして首を吊ったのだという。
首吊り台になった遺作が『救済の哲学』。全2巻。
以上、ネット調べ。(こういうとこも原典当たって確認しておきたい)

今は何とも便利な時代で、インターネットをすこし漂流すればある程度のことは誤謬であれなんであれなんとなく見当がついたような気になれます。
とはいえせめて本を読まないと知ったかぶりもできやせんね、
本を読んでもわかんねーのに、読んですらおらんちゅーたら輪をかけて自分が恥ずかしくなるだけなので。

なんやおもろい人やな〜って思って、いざ『救済の哲学』を読もうとしたところ、やんぬるかな日本語訳など転がっていないのだった。

それでは原著を読みませう、なんて気軽に言えるわけもない。
語学などからきしでドイツ語どころか英語も日本語もあやしいのだから手が出るわけもなかった。
だけれども、この『救済の哲学』邦訳はいくら待っても出てこなそうに思える。
図書館に行くにしても、日本だと東大にしか蔵書がないらしい。

重要でもない、面白いかもあやしい、翻訳したところでリターンも貢献も薄そうなシロモノっぽい。
それならば、どうせ暇を持て余しているのだし、誤訳でもなんでもちょいと手を付けてみようと思った次第。


補足:2024年、英訳が出た。

The Philosophy of Redemption

https://amzn.asia/d/eBQRgrB


有志によるWeb上の英訳はこれまでもあったのだけれど、
ペーパーバックとして手に入るのは気楽だ。

(西語訳、独語再版は以前からあるが。)

訳者情報

経歴的にしっかりやっているひとっぽい。




2. たすけてください!

訳、まったく自信がありません!

下記のGoogle docsを随時のろのろ更新していきます〜


ぜひ誤りの指摘やアドバイスをいただけますと幸甚です。
気になった箇所ごとにコメント機能でつらつら僕もメモしています。

どうぞお気軽に、
おたすけください〜!!

まだぜんぜん手をつけられてないですが、ゆっくりやってます〜





2024/03/22_追記

要望を頂戴したので原本画像データの一部を追記しました。

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