見出し画像

ひそひそ昔話-その1 やれやれ。いい加減な男がどうして花促進委員長までやれたんだろう? さて、僕は事実にどう向き合ったか?-

 僕は、あの頃、花いっぱい促進委員会(ふざけた名前だ)の全校の委員長をしていた。校内の花壇を管理し、土を耕し、植物を植え、花で学校生活を彩る。それぞれのクラスの前には、花壇があって、各クラスの委員が管理する。一人一役、何か委員をしなければならない面倒くさいルールの中、やれやれ、こんないい加減な男がどうして委員長までやれたんだろう?

 で、僕はクラスの花壇でトマトやらスイカやらキュウリやらを栽培していた(花ちゃうやんけ)。

 そんで、その開墾時、花壇を耕していると、土の中から体操服や弁当箱や上靴なんかが掘り出されてきた…。絶句した。

 最初こそ、死体でも埋まっているのかと思ったが、よく考えてみればそんなわけがない。誰かの手によって、誰かの体操服やら弁当箱が埋められたのだ。学年別に体操服の色は決まっていたから、確実に自分のクラスや学年で起こった事件ではないと分かった。僕はどうすることも出来ず、花壇の脇にそれを一式置いた。次の日にはどこかに消えていた。


 あの時、なんだかやりきれない思いをしたのを覚えている。そして妙に怖かった。

 今でもそう感じている、と思う。

 僕は、時折こう思ってしまうのだ。「彼/彼女をどうにかして救うことは出来なかったのか」と。なんて傲慢なのだろう。でも今や、どうすることもできないよな。そして今後もどうすることもないのだろう、という諦めさえある。親愛なる隣人にはなれない。

 あの時何もしなかった、という淡々とした現実が横たわっている。僕が設けた、シングルベッドの右側の一人分のスペースに、現実が横たわっている。それを抱き枕のように毎晩、両腕の中に入れてみるのだが、空しさだけがある。たぶん、これを無力と呼ぶ。


 あの青い体操服の持ち主は、どんな気持ちで体育の時間をやり過ごしたのだろう。カラの弁当袋だけを洗濯カゴに放り込んで、家族から何か言われなかったのだろうか。そして、何か心配の声をかけられたのなら、それにどういう言い訳をしたんだろう。

 こう考えてみてもいい。高3の3学期終わりに家に体操服やらを持って帰るのが急に面倒になって、でもロッカーに入れたまんまだと先生にすぐバレそうだから、と荒れ果てたクラス花壇に埋めた、とか。無理があるな。そうじゃないよな。いい加減な僕ですらそんなことしないもんな。絶対に何かあったんだ。そうでしょう?

 もしかしたら、大学での初めての一人暮らしの部屋着に、あのダサいデザインの体操服を着たかったろう? 三日坊主の自炊の集大成を、あの弁当箱に詰め込んだりしたかったろう? そういう思いがもしも、持ち主にあったのならとても残念に思う。誰かの手によって引き裂かれ、姑息にも土をかけられ、何か月も何日も息を潜めていなければならかったのだから。そしてそのまま死んだのだ。

 そう考えると、そこには死体があったのかもしれない。


 いずれにせよ、そこに埋めても土は肥えないし、葉の養分にもならないし、花は咲かないし、実にもならない。そこには、ただ、人の落ち度だけがあった。

よろしければお願いします!本や音楽や映画、心を動かしてくれるもののために使います。