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12/14の日記~ダブルアップル、コヨーテ、日曜日よりの使者~

 土曜日、高円寺の一角にあるシーシャ・バーでは、細かい装飾が施された照明が淡く部屋を照らしていた。約束通り僕ら3人は水タバコを吸いに来たわけだ。
 コヨーテと呼ばれるカードゲームをしながら、脚を捥ぎ取られた巨大な甲殻類のような体格のシーシャがやってくるのを待っていると、どうしてもセザンヌを思い出さざるを得ない。ポール・セザンヌの描いた「カード遊びをする人々」のことだ。お互いの顔ではなく、手にしたカードに没頭する姿。彼らはカードを通してしかコミュニケーションをとれないぶっきらぼうでひたむきな農夫たちだ。
 でも、僕ら3人と農夫たちは違う。そもそもコヨーテというゲームは、カードをそれぞれ自分の頭に掲げる(自分の数字はわからない)。互いのカードに書かれた数字の合計値を推測し、宣言し、互いにハッタリをかまし合うゲームだ。だから、僕らはお互いの表情をしっかり観察しなければならない。青春を共にしてきた互いの顔だ。一時期は親の顔より見てきた。

「煙草は普段お吸いですか?」、若いウェイターは言った。僕ら3人は一斉に首を横に振った。
「タピオカや、マックシェイクを吸う時と同じ要領で思いきり吸うんです。そして、ゆっくり吐き出す。簡単です」と、ウェイターはシーシャに自分用のマウスピースをつけ、実演してみせた。店内ではT-REXの『GET IT ON』が密やかに流れている。半世紀近い昔の歌だ。ウェイターの吐いた煙は決まった形もとれないまま直ぐに空間に溶けた。仕方のないことだ。煙とはそういうものだからだ。
「ダブルアップルです。では、どうぞくつろいで」
 りんご本来のフレーバーから程遠いはずなのに、どこかでなぜかりんごの輪郭を感じる。四辺が50センチもないテーブルの上にハードシードル、ガラナ、スミノフ。そして、ウィスキー入りのカフェモカが黙々と柔い湯気を出しながらその場に馴染もうとしている。6ピースチーズの包み紙。ベビースターラーメンの袋。「ありのままを捉えよ」と印象派のセザンヌが語り掛ける。


「あなたにはちゃんと才能があると思う」としばらくして彼女は言った。僕はこの数か月、思い悩んでいることをそっくり二人に打ち明けてみたのだ。いつのまにか店内ではPUFFYのカヴァーする『日曜日よりの使者』が流れていた。彼女はその時々の僕の状態を見定め、適格に評価してくれる。
「あとは、どれだけ多くの人に評価されるかだよ。あたしたちだけじゃなくて。」
 ウィスキー入りのカフェモカが内蔵を潤し、脳を乾かしていく。アルコールが脳をスポンジのように萎縮させる。でも、冬の寒さに冷えた内臓を暖める。
 一方で、シーシャが肺を乾かし、脳みそを潤していく。補完的だ。良く出来ている。
「お前の悩みだけどな、俺だってこのままでいいわけがないんじゃないか、とは思っているよ。でも一方で、進まなくちゃいけない。難しいよな」、と彼がなんだかワインの銘柄を選定しかねているソムリエみたいな表情で言った。楠木正成像の前で一緒に奇妙なステップを踏んだ彼だ。
「なーんか、この3人で集まると、人生の話になりがちだよね」、と彼女は笑った。暖炉でチリチリ淡く燃える薪の炎のような、柔らかい輪郭を持った笑顔だった。そりゃあそうだろう。人生の3分の1を一緒に過ごしてきたじゃないか。
 
 自分の持つ夢の大きさというのは、案外、自分では把握しづらいものなのかもしれない。的確な評価者に採寸してもらわなくてはならないのかもしれない。とはいえ、誰かにとってちっぽけな夢に見えても、また他の誰かにとっては大きな夢に見えることもあるかもしれない。わからないものだ。それでもいいから、これからの時代、ハッタリでもなんでもいいから高らかに大きく叫ぶしかないのかもしれない。コヨーテのように。


「土曜のこの時間帯が一番好きだ。」と彼は呟いた。吐いた息が白い。まだあのエキゾチックなバーにいたのかと勘違いをする。
高円寺の通りをたくさんの人々が通り抜けていく。クリスマスを十日後に控えた慌ただしい師走の街で、それでも人々は自分たちの生活をいつも通り、貫こうとしている。午後十時、永遠に続いてほしい土曜日はもうすぐ役目を終える。

Sha, la, la, la, sha, la la, la, la, sha, la, la, la, sha, la, la, la, la 


誰彼ともなくメロディを歌い始める。僕らは、僕らの日曜日よりの使者を迎えに行くことにした。
3人の鼻歌が重なる。ハーモニーは、高円寺の商店街を吹き抜けていく、冷たい風に優しく染み込んでいった。


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 2ヵ月前、東京都美術館で見た「パイプをくわえた男」は記憶のキャンバスの向こうから僕を見つめてくる。愛用のパイプをくわえたその農夫は、照れ臭そうに僕を見ている。それでいいのだ、と何か慰めの言葉をかけてくれるようだ。決して「派手にやらかそうぜ」とはっぱをかけるような大雑把でイキのいい人物には見えない。実直に楽しく生きろ、とも諭してくるみたいだ。考えろ。カードに没頭するんだ。

For a meanwhile I’m still thinking…

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